妙見の地縁

今年は故郷の妙見神社のお社のお手入れなども取り組む予定があり、色々と妙見菩薩のことを深めています。この妙見は、「善を見通す」という意味もあります。もともと北斗七星を神格化した菩薩で、この妙見菩薩は国土を守り幸福をもたらす存在です。日本では特に眼病の治癒を祈る修法(妙見法・北斗法)の本尊として祀られています。仏教では尊星王、北辰菩薩、北辰妙見大菩薩、道教では、鎮宅霊符神、玄天上帝、太一、北極紫微大帝、そして神道では、天之御中主神ともいいます。日本に伝来し神仏習合され民間に広まり、時代の変遷を経てこれだけ名前が変わっています。

大きく変化したのは、明治の神仏分離令と廃仏毀釈です。それまであらゆるものが混淆していた妙見が神社になる必要があり。それまでの妙見菩薩を廃して別の神様に置き換えられていきました。明治政府による国家神道をつくり、一神教にしようとした試みです。

妙見という名が失われたのもそこからです。もともと色々なことを調べるほどに、時代の価値観の変化や新しい文化の輸入によってむかしのものが別のものと融合して新しくなっていきます。つまり革新し続けているということです。

それに広がり方などを観ていると、妙見は千葉氏が深く信仰していたため全国各地へその子孫が移動するたびにそこにお祀りするための場ができました。基本的には、杜という神聖さを保つ場所で心を清め祈りを捧げる場所に先祖や自らの信じてきた神様を祀るのです。

私たちが今、参拝する寺社仏閣をはじめ神社などのお社、祠には歴史がありそのむかしにそこに配置した誰かがいたということになります。私のいる場所の氏神様は、くらおかみの神という八大龍王、八龍権現といわれる水神です。雨乞い神事なども多く、稲作には欠かせない神様として先祖がお祀りしたところからはじまったのでしょう。

周囲にも龍王山があったり、別の場所には巨石の上で雨乞いをしていた毘沙門さまという場所もあります。

あらゆる人たちが、神域で新たに人々や地域に必要な神様を勧請するたびに文化が混淆していって今の私たちになったのでしょう。

懐かしい未来を思うとき、地縁というものを深く感じます。先人たちや先祖たちが何をしてきたのか、そして子孫へ何を伝えてきたのか。真摯に感じ取っていきたいと思います。