暮らしの叡智

暮らしという伝統がそれぞれの国には存在します。例えば民間療法などもその一つです。それぞれの地域にはそれぞれの薬草などがあり古来からの治療法があります。今のように薬は買うものになっていますが、実際には買わずに身近な野草や植物を栽培してそこから薬にしていました。

長い間、人間は自分たちのいのちを支えてくれる存在を身近において共にパートナーとして暮らしてきたからです。それが今の時代のようにすべてのものをお金にするようになり、お金にならないものには未来がないと捨てていきました。

例えば、お医者さんを目指すのならお金になる医者になるように勧めます。民間療法などはお金にならないからなるなとばかりに親や周囲から言われます。子どもたちもお金になる職業を目指し、お金にならない職業は人気がなくなり消えていきます。

しかしそんなことをずっとやっていたら、お金にならなくても大切で失ってはならない伝統的な暮らしや知恵も共に消えてしまうのです。その連綿とつながって続いてきた中にこそ民族の知恵がありそれが途切れてしまえばそこで民族の叡智も途絶えます。

何百年も何千年も続いてきた文化を途絶えさせてしまうのです。その損失たるやはかり知れません。しかしそんな活動を誰かがやっても生活ができません。だから続かずに終わってしまいます。

これは信仰にも似ています。本来の信仰は、誰か特定の人が守るものではなくみんなで守るものです。相互扶助の組織、結、あるいはそれぞれの家々で親から子へ、またさらにその子へと連綿とつなげていくことで守ってきたものです。

暮らし方というものの中には、すべてその知恵が生き続けて存在しているのです。

私の取り組む暮らしフルネスとは、そういう人類にとってはこの時代も守り続けて伝承する必要がある叡智をみんなで守っていこうという活動でもあるのです。

子孫のためにも、仲間を集め結をつなぎ暮らしの叡智を守っていきたいと思います。