自分らしく豊かに楽しく自由自在に生きていくというのは、簡単なようですが難しいことです。一人で無人島に住んでいればそれもできるでしょうが、実際には複雑に繋がっている社会の中にいてそれぞれに役割を果たす様々な義務や価値観が存在するからです。
まるで空気やお金のように社会の中でそれぞれに役割が与えられます。わかりやすいのは、社会に迷惑をかけないこと、そして税金を支払うことなどです。これをすることは当たり前のことであり、それをしないと罰せられ犯罪人のように扱われます。不思議ですが、多数派になると罰せられなかったり、実際には善いことをしていても犯罪者のように扱われることがあります。
社会の中にある価値観は時代と共に変化します。戦国時代であれば戦国時代の価値観、弥生時代であれば弥生時代の価値観があります。そしてその中で誰かが我慢を強いられるようになります。社会の中では我慢することを一方的に押し付けられたりもします。そして人は、我慢をすれば安全が守られると盲目に信じているうちに過剰なストレスを抱え、自分らしさを見失い色々と窮屈に生きていることもあります。
そして我慢と窮屈に生きる人ほど、他人の自由が許せずに自分らしく豊かに生きる人たちのことを嫉妬したり断罪したり邪魔をするものです。本来は自分の我慢とどう向き合い、調和して生きるかをするのが先なはずですがそれよりも自分も我慢しているのだから相手も同じ我慢をするように強要するのです。
これが時代を超えて、パワハラになったりセクハラ、モラハラになったりと現代社会では何かと問題になっています。
行為そのものを問題にする前に、その前提になっている社会の中の価値観を一度見つめ直した方がいいのではないかと私は思います。
社会全体に諦め感が出ているのはなぜか、社会で自分らしくいることができなくなっているのはなぜか、社会とは本当は何かということです。
子どもたちが安心して自分の好きなことを自由自在に好きでやっていてそれを周囲も一緒に喜び合い、自立していく仲間ができる社会を目指していきたいものです。その社会の寛容さが場に反映されみんなの成功や自由や成長を歓喜しあえるようになると思います。
偉い人やすごい人、誰もしないような善行を積んでいる人などといわれるよりも、オタクや変人、好きなことを自由に生きている仙人のようになって社会を明るくしていきたいと思います。