愚直に信じる

自分のやっていることが好きになることや、仕事に惚れるというのは全身全霊でそのものの価値に身を捧げ没頭できるというものです。別の言い方では夢中になれるともいいます。

夢中になるには短期的なものもありますが、長期的なものものあります。ずっと好きでいられ続けるというのはそれだけ心を没入していくことができるからです。そこには、自分のなかで誇りであったり尊敬であったり、感動、感銘、使命感などあらゆるものが存在しています。

自分の取り組む仕事に惚れこんでいる人は、それだけのものを磨き上げていきます。そこに動機が善で私心がなければなおのこと、夢中になれるようにも思います。

不思議なことですが、無邪気であったり夢中であったり、好奇心というものは私心がないところで発動していきます。自分にとってどうかというよりは、まるで自分を超えるようなものがありそれに向かって自分を忘れていくかのようなそのものと一体になっていく感覚です。

人間は感情がありますから、嫌悪感などもあります。特に苦手なものや苦痛を伴うものなどは避けたいと思いますし安逸で便利に解決したいとも思うものです。

しかし実際に、取り組んでいけば取り組むどれもが繋がっていたり、重なっていたり、総合的には全体に必要なものであったりするのでどれも手を抜くことができません。目的を求めては、あらゆるものに取り組んでいくことができるのは自分のやっていることに誇りを持ち、仕事に惚れることができているからかもしれません。

誰が何と言おうとも、自分がこれだと思うものにいのちが懸けられることは素晴らしいことのように思います。子どもたちのためにも、愚直に信じて突き進んでいきたいと思います。

お山を調える暮らし

英彦山の宿坊の周辺の石組みや水路の修繕をしています。実際には、ほとんど土木作業ですが今のように重機がなかった時代にどのように石組みをしていたのかがほとんどわかりません。なので、一つ一つの自然や石組みを観察しながら推察したり想像したりと、先人の足跡から学び直しています。

今でも守静坊の周辺は、立地的にも機械や重機は入れません。なので、テコの原理を使って石を動かしたり、人を集めてみんなで運ぶという具合でととのえています。しかし、あまりにも大きな石はどうしようもなく、そのままにしています。本当に、どうやったのだろうかとまるで古代の失われた技術にため息ばかりです。

エジプトのピラミッドもですが、どうやってというのは今も解明されていません。その時代に生きた人たちの知恵は子孫のためにも伝承していく大事さをひしひしと感じています。

むかしの水路には、水を抑制する技術に長けていることがわかります。ただ流すのではなく、水の力を敢えてそぎ落としたり、ところどころで土に浸透させてガス抜きのように溜め込ませたり、落として力を逃がしたり、曲げて速度を調整したりと工夫に満ちています。

標高の高い英彦山は、大雨が降ると一気に洪水のように水が下に流れていきます。先日の豪雨はまるで、石段が川のようになり段差が大滝のようでした。土砂が崩れるのではないかと心配になりました。しかし数百年の間、壊れていない場所に建っていますからある意味での安心感があります。

先人は、なぜその場所が壊れないと思ったのか、そしてなぜ今のような石組みにしたのか、考えさせられます。とはいえ、宿坊の周辺もところどころ石が崩れ、水路の流れを換えてしまっています。小さな水路の破壊が、その場所の破壊にもなり、手入れをし続けないと場も保てません。

今は宿坊跡になり、ほとんど空き地になり家も人もここにはいません。しかし、本来、標高1000メートル以上の山というのは水を貯水する天然の給水塔だといわれます。森が水を育むという言葉にあるように、この山が水を保水しているから平地の暮らしが保たれています。特に福岡県においてもっとも高い山であり、水を生み出す英彦山の御蔭で県内のすべての支流は確保されています。その山を守るためにも、むかしは山伏たちが山が清浄であるように健全であるように暮らしを保ち山をととのえたのです。

その調え方は、まずは自らの宿坊の周辺を丁寧に修繕し続けること。そして風通しや水の流れなどを澱まないようにしたこと。山に感謝して、自然のありがたさを感じることなどをやったように私は思います。

やることはいくらでもありますが、身体は一つしかなく時間をかけて少しずつ取り組んでいます。お山の知恵に学び、人類の行く末を祈り、子孫のためにも暮らしフルネスを味わっていきたいと思います。

先人と食の知恵

私たち生き物は、ほとんど食べるために進化してきた生き物ともいえます。私たちの脳も、食べるために肥大化してきました。どんな生き物も食べなければ生きていけません。これは自然界の掟でもあります。今の時代は、食べ物には困りません。日本は特に食べ物の消費も廃棄も膨大ですから、食べ物が食べれなくなることは今では想像することもあまりありません。

しかし実際には、歴史を紐解くと江戸時代に4回ほど大飢饉もあり、世界にはさらに悲惨な大飢饉があり飢え死にしたことがたくさんありました。まさか、食べ物がなくなるとはと思わないようなときにこそそのまさかがあります。

そんな時、先人たちはどのように乗り越えてきたか。そこに私たちの民族の食のルーツもあるように思います。特に保存食などをみてみると、私たちは災害に備えてあらゆる保存食を工夫してきました。それは美味しいだけではなく、栄養がありいのちを助ける救荒食品でもあったのです。

例えば、鰹節や梅干し、干し野菜、漬物、味噌などは、その代表格でもあります。さらには、根菜や果物、野草などもですがいざとなるときに助けになりました。穀物においては、持ち出しもでき種でもあり食品でもありましたから最も重宝したはずです。

現代は、災害時はコンビニのものがなくなるから多めに買いだめしておけばいいと思う人も増えていますがそれは本当に数日程度から1か月くらいまでのものです。水の問題、火の問題もありますが、私たちはいのちを食べていますからやっぱり自然のもの、生き物を食べて健康を保ちます。

まさかと思って想像していませんが、もしも世界全体で大気候変動があったり、あるいは世界戦争が起きたなら札束や黄金も食べれません。国家もそうなった場合は、どれくらい助けてくれるのかもわかりません。むかしの資料をみていたら、国家にもその時には貯えがなく国家の補助だけでは餓死したともあります。

だからこそ一人一人が、みんなのために何ができるかを考えて今から準備しておく必要性も感じています。

子どもたちのためにも、種を残し知恵を譲り、少しでも力になっていきたいと思います。

きみたちはどう生きるのか

情報化社会で世界中のあらゆる場所の出来事が、日々にアップロードされていきます。特に、もっとも影響のある国家間の均衡などは自分の国を中心に情報が集められます。私たちは、そこからどの国家連合に所属しているのか。どのようなメリットを分け合っているのか。何がもっともデメリットで危険なのかも推察できます。

誰に聞かなくても、大局的に観たら世界の覇権をかけてそれぞれの地域で虎視眈々と経済戦争を含め、現実的な武力闘争まで行われています。

振り返ってみると、その範囲が現在は世界を巻き込む広さになっているだけで小さな地域での出来事が発展しているだけです。尊重しあわない、譲り合わない、和の精神とは程遠いことをそれぞれの場所で行います。例えば、平安時代や戦国時代などはどうだったか想像してみます。

今のように情報が往来せず、範囲も限られていましたから山の向こうで起きたことを一喜一憂しながら準備したのでしょう。あるいは、どこか遠くの場所から突然やってくる脅威に備えたのでしょう。

生き物は、もともと自分の与えられた範囲というものがあるように思います。縄張りともいいますが、その縄張りのなかで食べて生きて子孫を残します。自然界も、日々にその縄張り争いというものを繰り返しています。個体数が増えると、それだけ縄張りの奪い合いもありますから大変です。

広い地球ですが、縄張りでみるとそんなに広くありません。自分勝手に縄張りを広げて強奪するのか、あるいはお互いに折り合いをつけて共生をするのか。それはどちらも意志で選択できます。それを繰り返してきた歴史で、私たちはその経験から学んだ知恵をたくさん持っています。

それを活かせるかどうかは、歴史に学ぶかということです。

結局、縄張り争いでお互いが滅ぶほどの兵器を使ってしまえば縄張り自体が崩壊してしまいます。そのとき、縄張り争いは終了するのでしょう。人類は、一体何がしたかったのかと、生き残った人たちが途方に暮れて歴史に学ぶのです。

つまり真の意味で歴史に学ぶというのは、机上の教科書の歴史ではなく実際に実体験して結果がそうなっているときにこそ学ぶということになっています。現実に発生した実体験から、過去の歴史を学ぶのです。それでもまた同じことをやってしまう。これはある意味で歴史を学んでいるともいえます。

大事なのは、その学んでいる最中にどのように判断し決断していくか、その瞬間瞬間こそが歴史ですからそれを知恵で選択するときにこそ役にたつ学問になるように思います。

いま、まさに真っただ中の歴史においてこの瞬間に歴史の知恵から判断できるリーダーが必要です。子孫のためにも、どのような生き方が必要か、どう生きるのか、それぞれが問われています。

害を転じて福にする

「害」という言葉があります。この「害」という字は、あまり良いイメージのものがありません。例えば、全訳漢字海(三省堂)に記載している熟語は【前熟語】害悪・害意・害毒・害虫・害鳥・害心・害馬【後熟語】加害・禍害・干害・寒害・危害・凶害・公害・災害・殺害・惨害・残害・自害・実害・障害・傷害・侵害・阻害・霜害・賊害・損害・毒害・迫害・被害・風害・弊害・妨害・無害・薬害・厄害・有害・要害・冷害などがあります。

害という字は、語源には「わざわい・さまたげ」を意味する言葉を切り刻み防ぐために成り立ったとあります。漢字の成り立ちをみると「宀(かぶせる物)+口または古(あたま)」で、かぶせてじゃまをし進行をとめることを示しています。

この害というのは、全体的に何か被害を被ったか、誰かが加害を加えたかということが表現されています。その証拠に、「無害」という言葉がありこれが中庸で害ではない状態だったということになります。言葉は、相対的に意味ができているものです。温冷や寒暖、あらゆるものは比較することで表現されています。しかし、一文字である信や義、愛などは、その字によって本質が表現されます。そういう意味では、この害という字は色々と使い方が難しいものです。

そもそもむかしの障害者という使い方などはあまりにも違和感がある言葉で、害なのかということが根本的に問われるものです。そのその無害であり、害があるものではありません。

私たちは知らず知らずに生きていれば、加害者にもなり被害者にもなります。被害者意識が増えれば、気が付くと加害者になっていることもあります。そうならないように、お互いに無害になるように害にしない努力が必要になるように思います。

そのためには、お互い様や御蔭様、また一緒に生きて一緒に考えて一緒に悩み解決するといったどちらも無害になるような取り組みによって害を福に転じることができるように思います。

害になってしまうと、被害者加害者意識が生まれます。また有害、無害とすると無害は有害の程度の反対になるだけで根本的な害が福に転じることはありません。災い転じて福にするというものがありますが、害が転じても福になるという境地の中にこそ本質的な害があるようにも思います。

害があるから、みんなで一緒に考えていこうとするところに人々が思いやり助け合う知恵も生まれていくようにも思います。引き続き、害を転じて福にしていけるように自らを省みていきたいと思います。

本当の自分に近づく

人間は自分の力を過信するときに、同時に慢心が生まれます。この過信と慢心は別の意味のように語られます。つまり過信は自分の力を信じすぎる、慢心は自分を信じすぎておごり高ぶるという具合でしょうか。しかし、実際にこの過信も慢心も同じ意味です。

そうではない姿とは何か、それは謙虚です。

この謙虚さというのは、ある意味自分というものの理解を正しくしているものです。例えば、自分ではないと思えるということです。今の自分があるのは、ご縁、ご先祖様、お導き、仲間や家族、あるいは私であればお山やお家、風土や先人の遺徳、自然、太陽、お水、あらゆるものが自分ではないものになっていきます。

その時、私たちは御蔭様に気づき、有難いと自然に感謝ができます。そういう自分ではないものの存在に気づくとき、その中にあり「活かされている自分」というものに出会います。

自分で勝手に生きているのではないし、自分の力だけで生きてきたのではないという事実を知るのです。

その事実を知るとき、人は過信や慢心というものから遠ざかり現実を受け入れ真実を見つめることができます。

どうしても自分に意識が行き過ぎれば、人は過信となり、そして自分の力でのみ乗り越えられると思えば慢心となります。結局は、事実として人は誰かの助けによって共生の原理によって存在しますから現実に苦しめられるだけになります。

だからこそ現実を直視して、活かされている自分のままでいることに徹することで事は成就していくのでしょう。それが謙虚さであり、本当の自分を知るということになると思います。

色々と勘違いして、私もまだまだ迷い悩む日々ですが常に初心や原点を磨きながら、周囲の御蔭さまと有難さに感謝をして本当の自分に近づいていきたいと思います。

場を磨く

弱っている場所や荒廃している場所が、活き活きと甦ると周囲の気配も空気も変化していくものです。不思議ですが、私たちの生きるところでは外すことはできない大切な場所というものがあります。

例えば、水が分岐するところにも神社を設けて清浄に保ち調えて祈ります。他にも、湧水が出てくるところ、あるいは巨石が鎮座するところなども同じです。

重要な場所には、それぞれに大きな役割がありその役割が全体を守っていたりするものです。風水なども、その原理や掟を守ります。

今では、観光的に便利で目立つ場所や商業的に繁盛をするところなどを大切な場所にして、むかしから守られてきた要所や場所をおざなりにしています。そこで気の流れも変わり、場所全体が荒廃に進んでいくものです。

人間だけがこの世にいるわけではないので、私たちは共生しながらもっとも自分たちの場所が居心地がよくなにはどうすればいいかを突き詰めてきました。そうすると、よくよく観察し大切な場所は丁寧にお手入れしていこうとする伝承が繋がります。

私が取り組んでいるのは、世間ではどうでもいいと思われて放棄され荒廃したところを地域全体最適や地球全体最適をみて、それを守り調えていくことで場所を守りその場づくりをしていこうとするものです。

子どもたちには、場を一つでも甦生し遺していく必要性を感じます。なぜなら、子どもたちは場によって育つからです。

場づくりは時間がかかり労力もかかりますが、場を磨き続けていきたいと思います。

発明の意味

今までの世の中になかったものを形にしていくことは難しいことです。当たり前のことですが発明というものは、場数や努力の賜物であり自分の人生の体験の集大成でもあります。今まであるものと違うのだから、やってみないとわかりません。しかしそれが実現できると信じるからこそ、挑戦が本物になります。

また壁も理想が高く純粋であればあるほどに高くなります。それをするには、まさに偉大な御蔭様や神仏に祈るような心で取り組んでいくしかありません。しかし祈りだけでは実現しませんから、具体的に試行錯誤を繰り返すなかで本質的な発見をし続けていくことが必要です。そうしているうちに、人のご縁や繋がり、まさに天の声ともいえるようなことに出会い、結果が結ばれます。

もともと教科書に書いているようなことや、誰かが本にしたものの中に正解はありません。自分で経験して気づいて学んだものこそが智慧になり、それが発明の原動力になります。

自分が何に気づいたか。そしてどうそのものの本質から洞察したか。答えを探すよりも、感じる力を研ぎ澄ますことの方が重要になります。

トヨタ自動車の豊田喜一郎さんにこういう言葉があります。

「発明は知識そのものよりも、それをいかに自分のものにしているかにかかわる。学校を出ない人が往々にして相当な発明をするのはそれ故である。これを世の人のために活用し得るまでには、いろいろな研究と大きな努力がいる。その努力の中に発明が生まれてくるものだと私は思っている。発明は努力の賜である」

世の人が活用するところまでいくためには研究や努力が必要せまさにそれが発明そのものの成果になるということ。閃いたものを大事にしたら、それを突き詰めて形にしてそれをみんなが使えるようにできるかが重要ということです。

足を止めてみて、さらに一歩へと進んでいきたいと思います。

大家族主義の徳

互譲互助という言葉を知りました。これは出光創業者の出光佐三さんの遺した言葉です。日本人は、本来、お互いを尊重しあい譲り合う和の精神がありました。それが個人主義で失われていくのは違うのではないかと、さらに和の精神を磨こうと発信されました。

出光興産のホームページには「互譲互助」がこう紹介されています。

『個人主義は利己主義になって、自分さえ良ければいい、自分が金を儲ければ人はどうでもいい、人を搾取しても自分が儲ければいいということになっている。ところが本当の個人主義というのは、そうではなくてお互いに良くなるという個人主義でなければならない。それから自由主義はわがまま勝手をするということになってしまった。それに権利思想は、利己、わがままを主張するための手段として人権を主張する。この立派な個人主義、自由主義、権利思想というものが悪用されているのが今の時代で、行き詰っている。

それで私はよく会議で言うんだが、「お互いという傘をかぶせてみたまえ。個人主義も結構じゃないか。個人が立派に力強くなっておって、そしてお互いのために尽くすというのが、日本の無我無私の道徳の根源である。自由に働いて能率を上げて、お互いのために尽くすというならこれまた結構である。それから自分が人間としてしっかり権利をもって、お互いのために尽くすというなら結構だ。」と言うんです。互譲互助、無我無私、義理人情、犠牲とかはみんな「お互い」からでてきている。

大家族主義なんていうのも「お互い」からでてきている。
その「お互い」ということを世界が探しているということなんだ。』

本当の個人主義とは何か、それはお互いが善くなると定義されています。そもそも自今主義は利己主義でもなければわがままするものでもない。権利思想が悪用されているというのです。

私はこの権利思想というものは、人権を含め、お互いを尊重しあうという意味で人としてとても大切なことだと感じています。しかし今の使われている権利は、戦うため、争うための材料になってしまっています。

そこで本来の意味に回帰しようと「お互い様」という日本の精神を説きます。みんなで自立するのはいいことだと、そうやって自立してお互いのために支え合うのが日本人の生き方ではないかと。そのうえで、自分の権利を保っていこうではないかと。その道の先にこそ、みんながお互い様で生きていこうとする大家族としての地球があるのではないかと、私はそう仰っているように思います。

自分の国や自分のことだけ、そのために奪い合い争い合うというのは平和的ではありませんし自然の掟に反するものです。自然は、よく観察するとお互い様で成り立っており、みんなそれぞれが尊重しあうなかでお互いに譲り合って助け合って存在しています。

例えば、野菜でもそれを育て見守り喜んで一生を歩んでいく過程でその作物や食料として私たちは食べていくことができます。そして種をいただき、その種を育てていくことで共に生のパートナーとしてお互いを見守り合う関係で家族になります。

思いやりをもって歩んでいくことで、このお互い様がはじまりそこに譲り合いという知恵が生まれます。権利と勝ち負けではなく、尊重と譲り合いが世界をつくるのです。

時代が変わっていろいろと世の中も毒がたまってきています。毒を取り除くには、日頃から毒を出すかのように浄化し続けることが必要です。この出光佐三さんの大家族主義というのはまさに今の時代に求められている気がしています。

子どもたちの健やかな未来のためにもお互いというところをさらに突き詰め、徳積循環経済の仕組みに挑戦を続けていきたいと思います。

自然農文化の伝承

昨日は、千葉と福岡のむかしの田んぼで同時に稲刈りを行いました。無肥料無農薬でお米づくりをしていますが今年も無事に収穫ができました。稲と共に一年をめぐるのですが、この実りの時が何よりも有難く感謝が湧いてきます。

特に今年の福岡のむかしの田んぼは、ほとんどは稲に任せていました。といっても、福岡の田んぼはまるで原生林のように周囲の野草たちの楽園であり人工的な作物からすると都会の人がいきなりアマゾンに放り出されたような状態です。まわりの野生的な植物や虫たちからすれば格好の獲物のように激しく攻撃されます。

よく観察していたら、似たような植物から居場所を奪われる。蔓系の植物に巻き付かれる。あとはお米を食べる虫たちが群がってくる。太陽の光を木々や植物に占有される。雀などの鳥や動物たちから食べられ荒らされる。他には水害や台風、日照りの乾燥、きりがないほどです。

これだけの困難がありながらよく実を結んでくれたと感謝の気持ちに包まれます。

千葉とは異なり福岡の方は全体の田んぼの半分くらいしか収穫できませんでしたがそれでもよくここまでの野生に適応して元氣に育ってくれたとそのお米の持つ生命力の強さ、そして数々の困難を乗り越えた逞しさには深く感銘を受けるものがあります。

そういうお米は、凛とした力が漲っており、少しでも食べるとその元氣が体に沁みこんでくるかのようです。

私たちは食べているもので身体ができています。細胞一つ一つは、食べたもののいのちが移動しながら宿り代謝をしては活動を続けます。食べ物といっても、物ではなく、それぞれのいのちの物語があります。どのように育ってきたか、どのような思い出があったか、どのような生き方をしてきたか、それは生き物によってそれぞれに異なります。

野生のなかで、自分のいのちを真摯に燃やしよく生き残ったものは自然に魂が磨かれて強くなります。在来種の種などは、特に何年もその場所で育っていくにつれ強さを増していくものです。

いのちというものは、置かれた環境によって強くも弱くもなります。逞しさというのは、自分のいのちを真摯に全うしたものの持つ表現です。いのちを最も発揮した存在から偉大な魂の豊かさや喜びを感じます。

つい一般的な農業のイメージから、収量や姿かたちや糖度に意識をもっていかれます。しかし、本来は育ち方や逞しさ、元氣さや種の幸福さなどに意識を向けていくものではないかと私は思います。これは農業ではなく、農文化という伝統と伝承です。

そしてこのことは、人も会社も家庭も国家も同様だろうと思います。

子どもたちのためにも、子どもが子どもらしくいられる世の中に向けて自分の目が曇らないように稲のいのちから学び続けていきたいと思います。