自律と自立~苦しいよりも楽しい方を選ぶ~

以前、見守ることの話の一つで、ある園から自律の話を聴いたことを思い出しました。

普通の保育園では、一般的に子どもたちは大人の言うとおりに厳しくしつけられ、一斉画一の中では放任か指導かという二極の考え方で保育を行っています。なので子どもたちは自分で考えて自分を律するというよりも、先生の顔色をみたり空気を読んだり、むしろ好き放題に過ごしているところが多いそうです。

しかし見守る保育を行う園では、子どもたちが自分で選択をし、自分で責任を持ち行動していく中で周りに甘えずに自らを律する力を持てるようになっていきます。社会で共生していくには、この甘えは禁物で甘えてしまうことで周囲に迷惑をかけるようになってしまうからです。甘えるのではなく他人に頼ることの大切さを身につけるのもこの幼少期の社会での体験が活きるように思います。

以前、私が最初に就職したところである上司にこんなことを言われたことがあります。「君は私から厳しく注意され指導されるのと、私から何も言われないのはどちらが本当に厳しいと思うか?」と尋ねらました。その上司は、かなり厳しく言う人だったので言われる方が厳しいのではとその時は返事したのですが実際は「君は私に何も言われなくなったら御仕舞でそこからは自分でやらなければならないんだぞ、言われているうちはまだいい、それを忘れずに必死に私が厳しいうちに学んでおきなさい」と諭されたことがありました。

これは今思い返せば、他人から注意されず誰からも言われないということはこれはよくよく自分を厳しく律し、甘えを捨て去らなければ責任を持った一社会人として会社で自立できないのだぞということを言われていたんだと思います。そのあとは、実際に何も言われなくなり自分で必死に言われないことの厳しさを味わいながら難しい仕事を取り組んだ思い出があります。

もう一つ別の話に以前、師から子どもの夢をみた話を聴いたことがあります。園にいる他所から転園してきた在る子が「僕はまえの園のように先生や周りに何でも指示して指導されて遊びも全部決めてもらった方がいい」と言われたそうです。しかしそれに対して「そうだね、大変だよね。でもこの園はお友達のみんなと自分で選択して自分で決めて、自分で全部やっていく園だからね」というと、「まえの方が楽だったのにね、、うん、分かった、いいよ」といったやり取りがあったそうです。

これは一つの自律のことを指すことで、甘えないというのは自分で甘えないということが分かるということができるようになるということです。例えば、仕事でいえば接客もそうですし、日々の業務連絡や全体への参画もそうですがそこで甘えるというのは自分のできることのモノサシで自ら周囲に甘えて妥協してしまうことをいいます。ここでは他人を頼ってでも品質を徹底して維持していこうではなく、自分に出来ない場合は出来ないのだから仕方がないと誰か任せにしてしまい甘えてしまうが妥協という意味です。

例えば、高級な旅館や飛行機のファーストクラスに乗ったとするでしょう。いくら常連だし、株主であったり、経営者の親友だからといってもそこでのサービスが二流であったり、いい加減な対応をされたらいくら仲が善いからといってもそれは大変不愉快な思いをします。

以前、伊勢神宮でご縁があった運転手や神職の人達もお仕事が大変厳しかったと言っていました。そこには公職や皇族の方々もいらっしゃるし、信奉していらっしゃる方々もいるので24時間365日、全く一切の気を抜かずに勤めていたと話を聴いたこともあります。自分でそれができない人たちは1,2年ですぐに辞めてしまったと言っていたのが印象的でした。

自律するというのは、甘えを断ち切り集団が目指す夢や理想のために自ら妥協点をてっぺんに合わせるために他と協力して他に頼りながら進めることができるようになるということであろうと思います。もちろん、理念をどうしても優先するからと他のことができなかったということはあるかもしれません。しかし本来は、それも実力をつけて理念をやって現実もそれに見合ったものがあって当然といった甘えのない自分を打ち立てていくことで会社もはじめてその価値に見合ったサービスや営業を展開していけるのではないかと思います。

この見守るの大変気を付けないといけない点は、そこが甘えになって本来の「らしさ」というものをはき違えてしまうことかもしれません。自由奔放に自分の好き放題でいることはらしさではなく甘えです。本来のらしさというのは、見守られる中で自律し自立することではじめて自分にしかできないことができるようになる、つまり社会や集団、世界へ貢献することができるように思います。

この自律は人生の中では大変厳しく辛く苦しいものかもしれません。しかし甘えてしまうことはそれ以上にもっと苦しむことになるだろうと思います。同じ苦しみも甘えているときと、頼るときでは質が異なっているからです。苦中楽ありの方の苦にしていくことが、私が善く言う「一緒にやれば苦しみは半分、歓びは倍」の意味になるからです。

楽しくなるにはやはり自らで自律できるようになり、自らが自立していくしかありません。人生は自然と同じものだからそこから習い、そもそも厳しいものだからこそ甘えて苦しむよりも、信じて楽しむ方を選んでいく方が尊いように思います。

理念から自分で考え抜いて、どうあることがもっとも自立なのかと出来事から内省し子どものことで深めていきたいと思います。