余計から余慶へ

世の中には自分だけが正しいということはありえません。なぜなら世界は無限に正しいというものが存在しているからです。ある生きものの中で正しいと思い込んでも、他の生きものからは正しくないと思えるようなこともあります。

例えば自然界の弱肉強食ではないですが、私たちはつい万物の霊長などと食物連鎖の最高峰に立っているから次第に自分たちが何でも食べて当たり前みたいになっていますが、他の生きものからすれば同時になぜこのような理不尽がまかり通るのだろうかとも思っているかもしれないのです。

そういうことを忘れていく中で、様々な失敗がおきるから私たちは大切なことはいつまでも忘れないようにと様々な行事や礼儀、作法を通じて余計なことをしないように今まで努めてきました。

自然界では、あるがままにそれぞれの正しいが中和して共生するように成り立っています。そこには数々の正しいが渾沌と混ざり合い、そうして絶妙にかみ合って調和しているのです。私たちが謙虚を学ぶ際に、自然がどのようになっているかと思うのが最も納得できるものかもしれません。

以前、謙虚ということを学びはじめてからかなり時が経ちましたが課題というものはいつも刷り込みと共に時間をかけては訪れるものです。自分が正しいと思い込むことで謙虚というものから遠ざかるということも体験を積み上げていく中で気づいていきます。

そもそもあらゆる方面の正しいを理解し、あらゆる正しいを伸ばしていくことが周囲を活かすということかもしれません。結局は、自分も周りもみんな正しいというのが真理なのです。

競争や比較、評価の中で育つのだから生きていくためには自分が正しくいるためにそれぞれに力をつけてきたともいえるのでしょう。その力が不自然を呼び、今のような国家や人間中心の社会を築いたのでしょうがそれを呑み込むことができるのでしょうか。

余計なことをしないで、余慶なことをしていくという日々。

常に私たちは自分を世界の御役に立てさせてくださいという心が大事なのでしょう。意固地になっていくのは、つまらない生き方を選んでいるように思います。かんながらの道を往く中で謙虚ということの真意を深く感じて学んでいきたいと思います。