視野の寛さ

先日、視野を広げるということで話を深める機会があった。

視野というのは、別に広くだけを観ることが視野ではありません。よく視野というと、鳥の目、虫の目、魚の目というような見方の話や、多面的に、大局的に、360度から見るなどという言い方もありますがそれだけではないように思うのです。

頭で考える視野というものと、心で捉える視野というものがあり、そのバランスの中で見ることが観ることにもなり全体を直観で捉えて本質を見抜くことができるように思います。

例えば、心で捉える視野の方は他人のことを心配したり配慮したりするもので祈りに似ているのですが自分のこと以上に周りのことに関心を持ち、仁の実践をしていくようなものだと思います。

人は自分のことでいっぱいになり余裕がなくなるとすぐに視野が狭くなります。あの視野というのは、別に物の見方が狭くなるのではなく心で物が観えなくなり頭でっかちになってしまっているという意味で使われて いるのです。

この場合の視野の狭さというのは、他人のことが思いやれない、周りのために自分を使えない、他人に迷惑をかけてしまうといったものになりいつも後悔が付き纏うものが多いのです。

強さと優しさというのは、他人のことを思いやれるものの時に使われる言葉であろうと思います。いつも周りのことを心配し、自分を正しく役立てていこうとするときの心がけ、その時にはじめてゆとりが出て視野は寛がっていると言っていいとも思います。

ゆとりの語源とは、ゆったりから来ているとも言われます。このゆったりとは、「寛(ゆた)」+「たり」であり豊かであるという意味であるといいます。

他人のことを思いやれることを学ぶのが真のゆとり教育かもしれません。ゆとりは良くなかったとか、ゆとりのことを間違って使っている人が多いようですが本来、真の寛り、豊かさとはそれは人間が生きていく上でとても大切なものであったはずです。

余裕を失い自分しか見えなくし殺伐とした中で知識を詰め込むことよりも、視野の寛いことの中で人は本当のことを学ぶように思います。

この体験もまた糧にし、学び直しを深めていこうと思います。