大前提と刷り込み

人は無意識に自分の中に壁をつくるものです。

それが刷り込みともいい、自分で思い込んでしまうとなかなかそれを自分で取り払うことができません。特に長い間、それが常識とされてきてはなおさら今さらそれに気づくこともありませんしそのことから新しく変化することができずに低迷してしまうことがあります。

そこには大前提というものがあるように思います。

例えば、大前提として・・はできない、大前提として・・はありえない、大前提として、・・は無理だからと、その大前提はそのままに夢を叶えようとしたり、目標に向かおうとしたりするものです。

この大前提というものが引っかかることも刷り込みともいいます。今までの生き方や働き方を壊すというのは大変勇気がいることで、人は元来保守的でなかなかそれを壊すことができないのであろうと思います。自分を守りながら同時に攻めるというのは、身動きが取れないことにもつながっているからです。本来は、自分を守ってくれるからこそ攻めるとしたり、守るから攻めてくれとなるのが仲間であるし信頼、一家であるように思います。

しかしその外すことができない自分の中の大前提こそが、その人の足枷になっているものでそれがあるから変化を恐れる心もまた同時に外れないのだと思います。それを拭い去るには、真に追い込まれたり、何か状況がそうはいってはいられないことなどが発生すれば人は自然にその壁を超えないとと覚悟が決まるように思います。

実際は、それでも刷り込みにもっていかれて八方ふさがりになってしまうものです。そういう私も会社の枠組みや既存の仕事の枠組みに囚われ、いつまでたっても似たところで引き戻されたりしながらそのゴムひもの継ぎ目を取り払うことに挑戦の日々です。身動きが取れないときこそ、自分の中に大前提がないか、自分の中の刷り込みはそのままにしていないかと、自らを素直に反省し一つ一つを自明して実践し改善していくしかないように思います。

そうして刷り込みを取り除くことができれば、人は勇気をもって大きく変化していくことができます。

新しい変化を伝道するのが使命なのだからまずは自分の中にある大前提にどう気づいてもらい、どうそれを取り去るのか、それがライフワークであることが大事であろうと思います。まずは自分自身から理念を掲げ、大前提を取り払い続ける柔軟性を学びと反省と実践で磨いていきたいと思います。