発達の練習

世の中が今、何が起きていて何が問題なのかを論じる情報は沢山あります。

その一つ一つを拝見していると、あらゆる方法論が存在しどこから手を付けていいか分からないほどです。それは病気の治し方から食生活の治し方、お金に関すること、教育や育児など様々な分野で存在しています。

しかしそれを実践していこうとすると、一つ一つを掘り下げて自分で確信を得るところまで学びこまなければそれを使いこなすことはできません。

そう考えてみると、何を実践するのかを決めることは何のために行うのかということを定めるということだろうと思います。

人は本気になれなけれれば、何かを修得することができないように思います。どの仕事もどの分野も、自分がこうなりたいやああなりたいと思ったら、何のために遣るのかを決めてから事物に取り組み実践を積んでモノにしていくように思えるからです。

例えば、笑顔の練習も、喋り方の練習も、態度の練習も、それは何かを実現するために積むのです。練習を積んでいくというのは、将来への練習で発達と同じく、どの方向性に合わせて練習していくかでその人なりの目的を果たしていくのであろうと思います。

自分なりのやり方と自分なりの方法で、自分らしく発達していくのが人間のように思います。それがたとえ不可解な行為であっても、不真面目に観えたとしても、実はその人に最も相応しい方法であるから不思議なものです。

発達を信じるということは、その人なりの学び方があり、その人が掴んだ方法を違う形で真似をし掴む人たちがいるということなのでしょう。それぞれの個性が実践を通じて磨かれることを知ると、実践を増やしていくことがより発達を促していくように思います。

役に立つのは実践の種類だけではなく、実践している姿そのものかもしれません。まずは自らの周辺を、実践で感化していきたいと思います。