濁流の杭

心を使って何かに取り組むというのは、毎回、薄氷の上をおそるおそる歩くように似ています。

勇気があるというのは、実際は怖がりながらも一歩一歩また歩んでいくようなもので気にもせずにずんずん行く人というのは野蛮なだけだったりもします。勇気というのは、ないものを絞り出してでも前進しようとすることかもしれません。

ブレナイということも、四六時中刷り込まれないように自分を正し続けることであり少しでも油断すればそこから自分を正当化したりして独善的になったり、もしくは頓珍漢なことをいって周囲を惑わしてしまったりもするものです。

特に他人に影響を与える仕事をする人や、リーダーと称される立ち場の人がそのようによくブレテしまっていたらそれだけ多大な迷惑をかけてしまうこともあるように思うのです。

心配しても心配し尽くせないのがこの役割の人達で、常日頃、四六時中油断をしないように気持ちを切らないでいることでブレナイで決心したことを持続していく必要があるように思います。

ここでもブレルというのはどういうことかと言えば、決めたことが徹底できなくなることです。例えば自分の中で決心したことを、自分が流してしまい、そのものの本質を見失ってしまうことや、何のためにやっているのかという意味づけをなくしてしまう、またご縁のつながりの中で確かに掴んでいたものを手放してしまうことのようなものです。

だからこそ油断しないよう、常に自重し、日々に理念に立ち返り、日々に内省し、本質を貫くために道の実践を継続するという途絶える事のない自律自戒を遣り切る日々を歩む必要があるように思います。

この時代の私たちは何でも便利で新しい情報が日々に入っていき少しでも受け身になればすぐに流されそうになるような濁流の川の中にいる杭のようです。流されないようにしていくためにも、常にブレナイでいられるよう油断なく働き続けていきたいと思います。また仲間が助けてくれているからこそ、自分からブレナイ杭になるようより深く差し込んでいきたいと思います。