戦略~我を省く~

先日、戦略というものを考え直す善い機会に恵まれました。
今年は我を省くが師と共有したテーマだったので、是に出逢えたことに改めて感謝します。

そもそも戦略がなぜ必要かと言えば、世間は同じようなことを目標にし似たようなことを目的にする人たちが沢山います。世界で実現したいことがあったとしても、それは皆同じように思うものですから力も均衡してきます。

すると同じようなところに大勢の人たちがいるのですがどうしてもそのエリアで競争をしてしまうことになるのです。そういうものをしないでも善い方法、つまりは戦いを省略するという意味で独自性を発揮していこうとするのが本質ではないかと思います。

この戦略ということの本質を考える前に、戦略を実行しようとすること自体が大いなる刷り込みの中にいることに気づくのです。やはりどんなことでもそうですが、その元が何かを掴むまではそのものを真に活かすことはできないということを学べました。

戦略を活かすには、大変な勇気が要ります。

今まで身に着けてきたもの、持っていたいものを捨てる必要があるからです。例えば常識というものもそうです。そういうものを持つと、どうしても戦略が理解できないのは戦略とは何かを捨てて何かを優先する、つまり選択と集中が必要になるからです。

選択しないで集中しないというのは、かつて身に着けた自分の力をいつまでも頼ることに似ています。例えば、今までの会社経営でもそうですが最初にはじめた事業から今は大きく発展しています。それは一つのことをやっていたからではなく、どんどん事業が変化してきて前の事業を手放していくのです。

これはいい加減にやっているのではなく、より本質へ、より面白い方へと変化させていく必要があるからです。

どうしてもかつての成功が手放せないと事業を転換することはできません。それにどうしてもかつて認められた自分や会社をいつまでも手放せないと戦略は実行することはできません。戦略とは、持っているものを捨てる勇気。全部持ったままという発想ではなく、今は何を選択し、何に集中することが価値であるかということを自分の常識を捨て去って取り組むことになるからです。

人は戦略的に生きようとしていても、どうしても柵や刷り込みに縛られてしまって身動きできなくなっているものです。そこでこれは戦略であるのだと自覚し、敢えて強みだったものを弱みだと定義し、思い切って弱みを強みに換えるような勇気を持つといいように思います。

戦略を理解するというのは、我を省くことがあってはじめて成り立つものです。その我とは自信のない自分を、そのままでいいと思う事であったり、励まされたりした言葉を実はそれは自分が励まされたのではなく「戦略」であったと気づく時に出会うものです。

常に人はあるがままの自然、自然を味方について克己するのなら常に省くものは何かということを考えていなければならないのかもしれません。

少し距離をとってみると、面白いようにまた本質に出会います。
やはり、今回も躊躇いはありましたが思い切った「戦略」に向かうところ敵なしです。

戦略を私自身が最も楽しむために、勇気を持って異常なことを増やしていこうと思います。