世界観の研鑽

何かを行うとき、その物事を自ら丸ごとで取り組むときと表面上で取り組むときがあります。

人は全ての問題を自分の問題だと捉えれらるときは丸ごとであり、それをどこか他人の問題だと思っているときは表面上になるのです。

なぜ表面上になるかというのは、どこまで責任を持つかという問いがあるからです。

例えば、お客様の問題であっても、子どもの問題であっても、世間の問題であっても、それを自分とはどこか関係がないと切り分けたり、仕分けたりしているうちはその問題は他人事の領域で責任はほとんど自分以外にしてしまうのです。

本来の責任とは、責任感のことです。

例えば、世界で起きる悲しい事件があるとします。今ではシリアの難民の問題や、日本での自殺の問題、社会で起きる様々な痛ましい事件のこともこれは自分の何かに問題があるのではないかと思える人と、どこか他所で起きているのだからと関心を持たないのでは責任感に大きな差があるのです。

世界の出来事や世間の事件に関心を持つ必要があるのは、それが自分がどうすればそれを解決できるだろうかと常に自問自答しつつ、それを自らの生き方の実践にまで昇華していかなければそもそも何のために自分が社会の中で自立しようとするのかが分からなくなるからです。

それに社会というものをどのようなものにしていくのかは、社会に参画している大人の責任でもあります。様々な問題の中で自分の役割を見出し、それをどのように自らが責任感をもって取り組んでいくかで自他が分かれない場所で様々な周囲とつながっていくように思います。

これは自分の問題ではないとか、あれは自分とか関係ないとか、そう思うのは目先の自分の立場に囚われているからです。本来は、それは何を繋がっている課題なのか、そして何を解決している事柄なのかと気づいていくものです。

また自分の身の上に起きることは、自分だけに起きる事ではありません。それは必ず社会のどこかで起きる問題とつながっていますし、そしてそれは未来の本当の問題を解決するための尊い体験になっているのです。そこから人は自分の本当の役割に出会っていくのです。

だからこそ一つ一つを自分のことだけにせずよく玩味して自らが課題と一体になっていくことが責任感を自覚することのように思います。みんな自分のことだけで精一杯と思ってしまうものですが、もう少し客観的にその体験は何の問題とつながっているのかを分けずに考えていくことが世界に視野を広げていくことになるように思います。

常に問題は自分のものとして、全ての出来事を自他一体に捉える世界観を研鑽していこうと思います。