幸福の秘訣

毎回、旅を終えるときに思うことがあります。

それは旅の意味についてです。

人は何かを学ぼうとしているから学ぶのではないように思います、同時に何かを欲しているから欲するのではないように思います。つまりは、不学不欲というように学ばず欲さずときこそがもっとも学び欲したということになると思うのです。

例えば、自分では学んだ気になっていても実際は自分の考えの及ばないところでその学んだと思っている以上のことが発生しているとします。それを学ぼうとすれば余計に学べず、学ぶのをやめてみてその後の意味を味わっていると自然に学びに達します。

また同様に自分では欲している気になっていても欲している以上のことが発生しているとすれば、欲するのをやめてみれば自然に欲したものがその中に手に入っていることに気づきます。

このように意味が後で着いてくるものを旅と定義したとしたら、旅とはそのものをそのままに味わう中にこそ何とも得難い邂逅の記憶になると実感するのです。

そしてそのほとんどは日々の何気ない生活の中にこそ存在しているように思います。

この何気ない生活というものは、先ほどの不学不欲の中にあり、来たものを素直に受け取ることができるとき、過ぎたことを澄んだ心で意味づけができるときにこそ、無尽蔵の教えや学び、また人生の求道で得られる感謝の醍醐味も味わうことができるということです。

人生、そのものの意味をどのようにつけたのか、その意味をどのように味わったか、そこに幸福の秘訣があるように思います。どんな出来事があったにせよ、それに感謝していけるような人生、そしてあの件もこの件もまたそれは偉大な見守りの中であったといつも実感できた人生。

自分がいつも何か偉大なものに助けられてこの地上の旅ができることに感謝するのです。

その一つ一つ分かれていない太古からの旅の記憶、その意味を日々に紐ずけていけば、自ずから学ばなくても学べているのです。この人生という美しい秘境の楽園にいる自らの意味を感じることが旅そのものの本来の味わいなのかもしれません。

旅とはつながりなのです。

このつながりの中に歩んでいることは、目には観えないものを実感するときにこそ顕われてきます。自分の中に或る無邪気な子どもの心が旅を求めてはいつも遊びたがっています。日々の遊び場にすべてを投じていきたいと旅を思うほどに好奇心が働きます。

「ゆめうらら うみの小舟と 流れゆく はるかかなたの 星旅のなか」 藍杜静海

内省を味わい意味を楽しみ、この旅の記憶の醍醐味と人生の妙味を尽くしていきたいと思います。

有難うございます。