紫陽花の不思議

この時期は、あちこちで綺麗に咲く紫陽花の花を見かけます。いろいろな形や色に変化していく様子は、まさにこの季節の雰囲気を明るくしてくれます。幼いころは、紫陽花が咲くころにはカタツムリを探しにいきました。比較的大きな、カタツムリをみつけては紫陽花の主人のように振る舞う様子に不思議を覚えた記憶があります。

改めて紫陽花のことを深めてみるとその名前から不思議であることがわかります。

詳しいことはウィキペディアにもありますが、それもまたはっきりしない内容です。そこにはこうあります。

「アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である[8]。そのほか、「味」は評価を、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある。花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれる。日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易が別の花、おそらくライラックに付けた名で、平安時代の学者源順がこの漢字をあてたことから誤って広まったといわれている。草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている。シーボルトはアジサイ属の新種に自分の妻「おタキさん」の名をとって Hydrangea otaksa と命名し、物議をかもした。これは Hydrangea macrophylla と同種であった。」

なんともはっきりしない由来ばかりで、しかも間違って使われている事例ばかり。まさに七変化の象徴のような花であるのを感じます。

うちの庭にあるものは、野生種のヤマアジサイです。独特な形をしていて、緑と花が交互に折り重なるように咲いているので透かしもあり涼し気です。

このヤマアジサイは九州や四国に分布している種だそうで、むかしから私の故郷の地域の山や沢に咲いていたのでしょう。それがうちの庭にもあるというのは、どのようにここに運ばれて来たのかわかりませんが時と場を感じます。

こうやって、その土地に相応しいものやいつまでも変わらずに存在するもの。変化しないものと変化するもの。紫陽花から色々と学び直す機会を得ています。

子どもたちにも紫陽花の美しさを豊かに鑑賞するゆったりとした時間を持てるよう環境を用意して見守っていきたいと思います。

私の目的

私はこの「場の道場(BA)」で、日本の伝統的な文化を継承して温故知新しながら最先端の取り組みと融合させています。なぜこのようなことをするのかといえば、目的は明確で子どものためにということです。

この子どものためといっても、単なる一般的な世の中で使う子どものためではありません。もっと広義で子孫のためといった方がいいのかもしれません。子孫たちが安心して世界の中で自分らしく自分を生きていけるように先祖の思いやりをつなごうとしているのです。

私の暮らすこの場には、古いものと新しいものが共存し共生しています。よく言われるのが、ハイブリット型や善いところ取りなどとも評されます。しかしそれは、ちゃんと日本人の精神や魂、生き方を大切にしながら時代の中で創造されてきたものとの調和した暮らしを実践しているだけのことです。

先祖は、私たち子孫のために色々と深く考えてくれて偉大な思いやりを遺してくれています。その先祖の生き様や人生を無駄にしないのが、私たち子孫たちの責務であり使命であるはずです。

今の時代は、そんなことを思わず刹那的に今の自分の人生や世代だけがよければいいという短絡的な生き方が増えています。どれもこれもすべてその原因は、忙しくなることで暮らしを手放したことに起因しています。

暮らしがなくなれば、先祖の思いやりも届かないところにいってしまいます。私たちの先祖は、決して単なる文字や記録で子孫が守れるとは思っていませんでした。なので色々と工夫して知恵を働かせたのです。

その一つが、日本の家屋であり日本の伝統行事であり、まさに衣食住を含むこれらの「暮らし」にその仕組みをを入れたのです。

そしてそれを甦生し続けて温故知新する人物を、道を通して育成してきたのです。私が場の道場を開いた理由、そしてなぜ今、ここに「場」を誕生させようとするのかはその手段の一つであり目的を実現するためです。

子どもの仕事をしてきたからこそ、何をすることがもっとも「子ども=子孫」のためになるのかと四六時中ずっと思い続けてきました。そうすることで先祖とつながり、子孫へ譲り遺していく初心伝承文化に気づいたのです。

これから目的に人を集めるための動画を撮影していきますが、目的を忘れずに丁寧に取り組んでいきたいと思います。

甦生の技術

この世の中には、時間というものがあると信じられています。他にも自分というものがあるとも信じられています。つまり人は何かを信じればそれがあると信じるようにできています。

実際にないものであっても、自分があると信じればそれがあるのです。

その中には、本当に現実としてあるものと、空想の中であると信じているものがあります。ある種の思い込みといえば、ほとんどすべてはこの世の中は思い込みでできていますが思い込みを超えるような発見があるとき人は真実に気づくように思います。

その時、目から鱗が落ちるような体験、また我に返ったような体験、自分というものを超えた偉大な存在になったような体験などがあるように思うのです。思い込みから解放されるとき、人間は今まで見えなかったものが観えるようになるのです。

例えば、「いのち」というものがあります。

一般的には、動物のように呼吸をして心臓を動かし活動しているものはいのちがあると信じています。その活動が停止したらいのちはなくなったといいます。植物であれば、花を咲かせていたらいのちがあるとし、枯れてしまえばいのちがないとしています。つまり動と静によって、いのちがあることとないことを使い分けているともいえます。

しかし、もしも静であることがいのちがあることで動であることがいのちがないとしたら混乱すると思います。例えば、石であればじっとしていればいのちがあり、壊れていけばいのちがなくなっていくということになります。他にも、静かな湖畔はいのちがあり、蒸発してなくなればいのちがないという具合です。

簡単に動と静で生き死にはすべて語ることはできません。

ここに一つ、「甦生」というものがあります。それは「いのち」そのものを観るために動静そのものとは離れた絶対的に存在する何かを可視化する技術です。私は甦生と浄化の道を究めていくものですから、いのちそのものの存在をどう磨いて徳を引き出し、それを活かすかということを生業にしています。

甦生というのは、時空を超えてあるものを世代を超えても受け継がれた存在を永続的に守り続ける力のことでもあります。甦生させていくことで、私たちは伝統を守り続けることができ、いつまでもいのちを輝かせていくことができるのです。

子どもたちにこのことを伝えていくために、映像を遺してみたいと思います。今、来ているご縁を一つ一つ噛みしめながら自分のやるべきことに専念していきたいと思います。

発明の甦生

私たちは、現在文字を活用して様々なことを記録していくことができています。人類が文字を使い始めたのは紀元前3200年ころの西アジアのシュメール人の都市の絵文字がはじまりだともいわれます。その後は、紀元前3000年ころにメソポタミア文明のくさび型文字、エジプトのヒエログリフが出たそうです。

文字ができたことで私たちは「歴史」というものを持つことができるようになりました。文字ができる前を先史時代といい、文字ができて私たちは歴史時代というようになります。

人類は紀元前500万年~400万年前からいるといわれていますがそうなるとそれまでは文字を使っていなかったということになります。文字という発明があってからまだ5000年くらいしか経っていないのです。文字ができるまでの人類は一体どうしていたのか、それを考えていると改めて原点や原始の姿を想像することができるように思います。

世界の少数民族には、数の概念がなかったり、文字を持たない民族も多くあるといいます。ハワイも、今から200年前には文字を持たなかったといいます。つまり、歴史の中に入っていなかったということになるのです。私たちは歴史というのを当たり前に認識していますが、実際には歴史とは文字の歴史のことです。文字にできるものが歴史といわれるもので、さらには時間という概念ですら人間が勝手に仕立てたものですから人類のみが発明した一つの道具ということになります。

動物の世界や昆虫の世界には、文字はありませんし時間という概念もありません。

そう考えてみると、人間というものは不自然なものを多く発明していくものです。本来、残らないものを残せるようにし、記録できないものを記録するようになったのです。しかしこれが文明を加速させて、今のような歴史時代を築いたということでしょう。

そういう意味では、文字の時代はまだはじまったばかりで終わるのかどうかもわかりません。その前はなかったか、もしくは風化してしまったのか、それもわかりません。ただ一つわかるのは、それは人間が創造した発明だということです。

そして文字が生まれる前に「トークン(TOKEN)」というものがあります。

ウィキペディアには「紀元前8000年頃から紀元前3000年までメソポタミアの地層から出土する直径が1cm前後の粘土で作られたさまざまな形状の物体のこと。物品の商取引や管理に用いられていたと想定される。近年ではフランス人考古学者デニス・シュマント・ベッセラ(英語版)(Denise Schmandt‐Besserat)が世界最古の文字であるウルク古拙文字の発生の起源をトークンに求めた「トークン仮説」で知られるようになった」とあります。

「数」という概念を持ち、それを「記録」するということを思いつきました。そしてその「証拠」を確かめるということをした。最初は粘土と絵文字とコンテナという保存庫でしたがそれが多様に複雑になり文字が誕生していったのです。

それが現在、ブロックチェーンの出現によってさらにその数と記録と証拠があらゆる境界を超えて交換できるようになってきています。

本来、これは何の発明だったのかとよく考えてから取り組むことで歴史を正しく認識することができるように私は思います。引き続き、子どもたちの未来のために人類の幸福のためになる発明の甦生に取り組んでいきたいと思います。

 

自然との共生

野生生物と人間との共生の問題は、避けては通ることができない問題です。現代では、見なかったことにするかのようにその問題はどこか別のところ、もしくは田舎の一部で発生している問題のように扱われますが地球全体の問題であり、人類が滅ぶかどうかの岐路に立っている問題でもあります。

大袈裟に思われるかもしれませんが、現代は恐竜大絶滅時代に匹敵するほどにあらゆる生物が絶滅していっています。現代は人間の産業化の影響で一日に約100種類の生き物が絶滅しています。このままでは、生物多様性と循環が途切れ、人間を含む一部の種だけが画一的に存在する場所になっていきます。そうすると、滅ぶのは時間の問題でありまた復活するまでに数万年単位の時間がかかってしまいます。

この大量絶滅はいつからはじまっているのか。野生動物と人間の共生はいつからおかしくなってきたのか。その期間を歴史を遡って推察するとまだ60年くらいなものです。なんとこの60年の間に、人類は取り返しのつかないほどの自然を破壊し、そして絶滅危機を迎えているということです。

日本でも第2次世界大戦後の1960年代の燃料革命によってエネルギーの主体が化石燃料となり木炭需要が急減して森林の利用が止まりました。そうなると森林の手入れができませんから野生動物はますます増えていきました。さらに減反政策によって耕作放棄地が増え、山の野生動物たちは人間のいる場所に近づいてきました。そのため1950年から60年代の半ばまで3~4万頭だった捕獲数も、16年度には61万頭に達しています。

エネルギーが化石燃焼になってから地球温暖化はとどまることを知りません。今では南極や北極の氷も解けて、山や海にまで人間の自然汚染が続き、絶滅のスピードは加速しています。

そもそも化石燃料だけが問題ではなく、人間が自然との共生をやめたことが本当の原因だと私は思います。田んぼにも農薬をまき散らし、河川、海、その他を人工物で塗り固めて便利にしていったことでより自然破壊は進みました。それもこれも、乱獲、乱開発によってです。人間の利益を優先して競争してきたことのツケが、人間全体に及んできているということです。

産業革命が切っ掛けになり、人間の欲は資本主義とともに成長の一途をたどっています。もはや、何かしらの大災害が地球規模で発生しない限り止まることはないでしょう。しかし、生き方として本来の自然との共生を生きようとすることは子どもたちのために必要なことだと私は思います。

資本主義がもっとも破壊してきたのは、自然との共生、つまり暮らしです。この暮らしの破壊が、人間本来の自然の心も破壊していきます。暮らしフルネス™に取り組む理由は、この暮らしを甦生させていくことで本来のあるべきように原点回帰していこうとする実践でもあります。

子どもが、この豊かな地球でいつまでも仕合せに暮らしていけるように地道に実践を積み重ねていきたいと思います。

人間と向き合う

昨日、ちょうど藁ぶき古民家の甦生で塗装をしている最中に天井にアライグマが出没しました。たぬきは昔から日本にいたということは、昔話などでも知っていましたがアライグマはどうしているのだろうかと調べてみたら最近入ってきた北米からの外来種であることを知りました。

海外からの動物が日本で野生化してさらに困っているという事例は、奄美大島のハブを退治するために輸入したマングースがかえって奄美の黒兎を襲い困っているという話を思い出しました。

アライグマも人間のエゴで輸入が始まり今では害獣として駆除対象になっています。この辺の歴史のことを少し調べたものを書いてみます。

原因は、1970年代にアライグマはその当時のアニメのキャラクターにアライグマがいたことで人気になり海外から大量に輸入されたことが起因になっているといいます。幼少期は人によくなつくそうですが、もともと気性が荒いアライグマは成熟して狂暴化したりするのでペットには向いておらず飼育できない飼い主が森に逃がしたといわれます。またそのアニメの主人公が物語の中で森に放つ姿をみて真似したともいわれています。

どちらにしても飼育ができなくなった家庭がアライグマを自然に放してしまったことで、野生化した原因であるといわれます。動物園から脱走して野生化したという話もあります。そして1980年代から徐々に生息域を拡大し続けた野生のアライグマは1990年代には日本各地で発見されるようになり、2000年代に入るとアライグマによる農作物被害は非常に深刻なものになっていきました。

そのため2005年に制定された外来生物法でアライグマの無断の輸入や販売だけでなく飼育などが禁止され、今ではアライグマは害獣と区分されていますがもう繁殖の拡大に対して捕獲も追いつかず次第に増えていく一方ということになります。

以前、私も家で飼育していた鶏がアライグマに襲われたことがあります。夜に見かけると牙をむいて激しい形相でこちらに襲い掛かってくるかのような凶暴さでした。

本来、天敵であったオオカミがいれば生態系を維持してバランスを守ってくれていましたが現在はオオカミはすべて駆除されほぼ絶滅したため山の中の野生動物は繁殖をコントロールすることができず荒れ放題です。

人間の都合で生態系を乱したつけは、子孫たちの暮らしにとても甚大な影響を与えます。本人たちは安易にその時代に、その時の消費願望や欲求を満たして行動していますがそのツケを子孫たちがどう払っていくのか。すでにこのアライグマにおいては、日本全国に大量に広がって繁殖していますからもはや元通りになることはありません。

こうやって特定外来生物になっていくように、グローバル社会の中で私たちは本来はその風土になかったものを持ち込み、生態系を著しく破壊しています。そのことからかえってお金を大量に消費しながら対策を立てるというメリットもあったのでしょう。しかし現代のように、資源が失われ資金が潰えてきたらもはやデメリットでしかないのは明白です。

どうやってこれらの野生の動物とこれから共生していくか。これはコロナの状況にとても似ていると思っています。海外から持ち込まれて駆除もできない、どうやって共存するか。今、私たちは自然や野生との付き合い方、つながり方について真剣に向き合う時が来ているということでしょう。つまり人間と向き合うということです。

新しい時代、人間がどうあることがもっとも自然にとって最善なのか。人類はそこに向かって対話していくと思います。子どもたちが安心して暮らしていけるように、私たちなりの答えを生きてみたいと思います。

甦生業

藁ぶき古民家の甦生もまもなく最終段階に入ってきていて家の徳が引き出されてきています。ご近所の方や通りすがりの車が止まり声をかけてくださいます。その声は、一様に「だんだんと家が善くなってきていますね、楽しみです」というものです。

それは動画で配信しているサイトのコメントでもたくさんいただき、身内や仲間からも喜びの声をいただきます。その言葉に励まされ、信念を強くして真摯に家に向き合って修繕を続けています。

考えてみると、人はみんな何かが甦っていくことに希望を感じるように思います。

もう御終いだと思っていたものが復活して、それがさらに以前よりも元氣になって美しく生命を輝かせていく姿に偉大な何かの存在を感じるように思うのです。

それは病気からの恢復、あるいは壊れた機械の修理、よくお手入れされた道具、これらのものに触れると人は善かったねと喜んでくれるのです。徳を積むということは、この甦えらせていくことに似ているのです。

今まで荒れ地で捨て去っていたものを甦らせてそこで作物を育て農地を役立てること、経験豊富な高齢者や職人たちが後世の若い人に技術を伝承していくこと、他にも古井戸や古民家を甦生して新しい役目を与えて人々を潤してもらうこと、こういうこともまた徳になるのです。

徳は事業ではなく、お金儲けではありません。なので無理にお金のためにするものではなく、みんなが喜び、自分も喜ぶことを真摯に取り組んでいくことに似ています。自他一体に全体が幸福になるというのは、自然循環の摂理であり自然の徳の仕組みでもあります。

この徳循環を支えるもの、それが「甦生」なのです。

甦生業が私の取り組みですから、甦生したものが役に立てるように場を創造していくこともまた使命です。挑戦すれば喜びも多いですが苦しみもまた同時に発生します。それを味わいながら、今、できることに真摯に挑戦を本気のままに続けていきたいと思います。

 

運気を磨く

昨日、久しぶりに田坂広志先生の講演を拝聴する機会がありました。新著「運気を引き寄せりリーダーの7つの心得」のお話が中心でしたが共感するものが多く学ばせていただきました。

想えば20年以上前に東京で田坂塾でお会いしたのがはじめてでしたが、ほとんどお変わりなく一期一会に真摯に講義されるお姿に生き方を垣間見させていただき刺激もいただきました。

あの頃は、「メメント・モリ」という死を想うという生き様を実践する大切さを語られていました。今日が人生最期の日と定めて生きていくことの大切さ、当たり前ではない時間に気づいているかという問いを発して一期一会に生きることを伝えておられました。

そして今回は「運気」ということでしたが、運は決して宗教的技法の祈りではなく、科学的技法としての祈りであると定義しています。つまり単なる神秘的なものではなく、これは実証されているという事実であると。現代、量子論を含め科学がその神秘の世界を可視化してきています。その時、これは単なる偶然ではないということがわかってきているのです。

それをあらゆる角度から分析し、リーダーというものの真の役割について語れています。古今、リーダーはすべて「運がいい」ということが絶対条件だといいます。その理由は、リーダーを含めた組織全体を導いていく使命があるからです。運がよくないリーダーについていけばいくらその人が良い人でも組織は運を逃して悲惨なことになることもあります。

運のよさというのは、その人だけではなくその周囲も幸運に導いていきますのでリーダーはその運気というものへの心得を持つ必要があるということでしょう。

田坂先生のいう心得の詳細は、GROBISのサイトで拝見できます。

私もいつまでも実践と改善を積み重ねて、運気を高めて子どもたちを導いていけるよう徳を磨いていきたいと思います。

腸活を楽しむ~智慧食~

私たちの郷土料理の中の一つに「ぬか炊き」というものがあります。ぬか漬けの漬物を知っている人は多いと思いますが、そのぬかを使って料理して味付けをし煮込んだものがぬか炊きといいます。

そもそもこの「ぬか」は、玄米を精白する時に出る、胚芽(はいが)と種皮とが混ざった粉のことをいいます。それを壺や木桶などに入れて、塩水を加えて練れば「床」ができます。そのぬかの床ができるから「ぬか床」(ぬかみそ)とも呼びます。このぬか床は人間に有益な微生物や乳酸菌などの棲家になりそこでの発酵の循環で産み出されたものを摂取することで人間にとっても豊富なビタミンやミネラル、栄養価を得られます。

この微生物と人間との調和、そのものを「発酵」と呼び、私たちは伝統文化として暮らしの中に取り入れてきました。野菜等の保存食としても最適でもあるためこの智慧を伝承されてきたのです。今では冷蔵庫=保存するものになっていますが、自然界にはそんなものはなく微生物と共生することで私たちは生き残るための智慧を獲得してきたのです。この時の保存は単に傷まない腐らないための仕組みではなく、「永続的に健康でいられる仕組み」まで入っていたのです。

以前、確かこのブログでも書きましたがぬか漬けの歴史は奈良時代の「須須保利(すずほり)」という漬物がルーツだともいわれます。米糠のことも734年(天平6年)の正倉院文書の尾張国正税帳にあるといわれています。それだけぬかを使った暮らしには歴史があります。

その「ぬか」を使った「ぬか炊き」は一般的なぬか床のような漬物として使わずにぬか床を調味料にして青魚のサバやイワシをぬか床で長時間炊くのに使います。つまり「ぬか+炊く」から「ぬか炊き」ということなのです。このぬか床を長時間炊くことで保存期間が延びさらに青魚特有の臭みも消えぬか床のうま味が魚に入り絶妙な味わいが得られます。健康になる上に、寿命が伸びるという発明食です。福岡での伝統郷土料理としてのはじまりは小倉藩主の小笠原忠政公が前任の信濃国から保存食用としてぬか床を持ち込んだのがはじまりです。

今の時代、添加物をはじめいのちの入っていない便利なサプリや加工食品ばかりが広がっている中で腸内環境を整えるといった「腸活」が流行ってきていますが現代社会でも心身の健康恢復の救いになるのがこの「ぬか漬け」と「ぬか炊き」であることは間違いありません。日々の暮らしの中で如何に腸内フローラを活き活きさせていくか、それは暮らしの中の日々の食の智慧と工夫にこそあります。

つまり伝統保存食は単なる長期間腐らないものではないのです。本来の伝統保存食とは、健康な暮らしを維持継続させるための智慧食のことです。私たちは日々に心身が整っていけば、それだけで仕合せを感じます。日々の暮らしは、私たちの人生を美しく彩り、明るくしていきます。

「食」という字が、なぜ「人が良くなる」と書くのか。それは食によって人間が磨かれていくからです。そしてそれは「腸内環境」からというのはまさに的を得ていると感じます。

コロナウイルスのことで、暗く辛い報道も増えていますが、いつまでも子どもたちが安心して元氣で健康で幸せになれるように私も腸活を楽しんでいきたいと思います。

 

温故改新

私はヨーロッパやアジアの国々の保育を視察し、色々と学ぶ機会がありました。特にドイツやオランダにはたくさんの示唆をいただきました。アジアではシンガポールも印象的でした。その中で、私は日本の保育とはどのようなものかということを保育環境研究所ギビングツリーを通して深めてきました。

世界の国々にはそれぞれの風土が異なるように、保育の環境も異なります。つまり、それぞれの風土がそれぞれの保育になっているのです。本来その保育をどこかの国のものをいれても、そもそも風土が異なるのだからうまくいくわけはありません。

もちろんその国の素晴らしいものは、観光を通して取り入れたとしても風土が異なるのだから同じにはなりません。善いところ取りをするには、それを解釈し自国の文化で調理して取り入れるという咀嚼する力がいるのです。

例えば、モンテッソーリであろうがシュタイナーであろうがそのまま持ち込んでも本質的には別物になってしまっていることもあるように思います。

そこで大事なのは自分の国の歴史をもう一度おさらいしていくことだと思います。その風土にどのような暮らしがあったのか、どのような文化を醸成してきたのか、環境を見つめ直していくことです。

そのうえで私たちが長い時間をかけて取り組んできたものを基盤に新しいものを取り入れていくのです。私が古民家甦生をして暮らしの甦生をするのもまた、基盤づくりの一つです。そのうえで、最先端技術やデザインやアートを取り入れるのもまた時代の潮流に合わせていくのです。

日々に新たに今の時代は今の世代がきちんと子孫たちに咀嚼して温故改新し続けていくことは今を生きる我々の使命であり責任です。そしてそれが真の自立なのです。

今の時代、自分で考えようともせず他人軸で他人の評価ばかりに合わせて依存している人が増えています。それでは仕合せにはなりません。そういう教育を施されてきて仕上がってしまえば仕合せは誰かが自分に与えてくれるものだと勘違いするのです。

本当の意味での勘違いとは、自分の仕合せは自分が決めるということです。そのためには、教育そのものを今の仕組みを改善して本来の真の豊かさに気づいて生きることに回帰する必要があると私は思うのです。

自分が本当は何をしたいのか、そして自分とは何か、主人公である自分を思い出し、自分であり続けることです。そのためは、日々の生き方をととのえていく暮らしから実践していくのが近道であろうと思うのです。

私が暮らしフルネス™を取り組む理由は、子ども第一義の理念があるからです。

子どもたちに、真の生き方、真の豊かさ、真の仕合せを生き、真に自立と協力をする人生を歩めるように少しでも今よりも善い環境を譲り遺したいと願っているのです。

初心に帰り、限りある人生を自分の使命に集中していきたいと思います。