伝統を守るための革新

ついに長年、農作業や私のハードな仕事を支援してくれていた軽トラックが廃車になることになりました。まだまだ乗れると思っていたら整備工場からも難しいと連絡が来ました。最後の仕事は、冬の英彦山での悪路での荷物運び。寒さ厳しい山の中で、頑張ってくれたこともありお別れが寂しく昨日は色々と思い出を振り返りながら掃除をしました。

これからまた新しい取り組みが始まるこのタイミングで、交代になりますが本当にこの軽トラックに私は支えられています。

改めて、軽トラックの歴史を調べるとそのはじまりはいつだろうかと思うと江戸時代の大八車にまで遡ります。つまり荷車こそ、軽トラックの原型ということです。そこから、1957年にダイハツからオート3輪が発明されます。これは前1輪、後ろ2輪の貨物車です。他にもマツダ、新三菱重工業などがこれを製造しました。

そして軽トラックの形になったのは1955年。スズキが同社初の4輪車であるスズライトを発売。そして1960年には東急くろがね工業がくろがねベビーという軽4輪トラックを開発します。これが現代の軽トラックの元祖と言われます。

私が今まで乗っていた車はスーパーキャリイでしたがこの原型の「キャリイ」はスズキ初の量産4輪車にして初の軽自動車である「スズライト」のトラック仕様として登場したものです。1966年にスズライトが取れてキャリイになりました。ずっとむかしから大きくモデルチェンジしていませんから、古い感じに思われていたからかあまり軽トラックがかっこいいとは言ってもらえません。しかし、この形が普遍的であって乗りやすく、私自身は軽トラックのこのもっとも機能的で合理的な姿を尊敬しています。

今回、入れ替わる新しい軽トラックはやはり同じくスーパーキャリイですがキャビンを長く伸ばしたものになります。これはシート後部が広くなり、シートも倒せるようになっていて荷台も工夫されています。しかも色を深いグリーンにし、英彦山や農地での景観に入っても違和感がないようなデザインのものにしています。

伝統を守るために、どのメーカーも革新を続けます。私はこの軽トラックは、見事にそれを実現しているように思っています。何よりも大切なのは、目的や初心を失わずに時代の価値観に合わせて微調整を続けていくことです。

今までの感謝とこれからの感謝を忘れずに、学び続けていきたいと思います。

漬物をつなぐ

昨日は天日干しした伝統の堀池高菜を仮漬けしました。ここから1週間近く漬けてから、本漬けといってウコンなどを加えて木樽に移動して他の高菜と合わせて漬けこみます。

もう11年近く漬け続てけていますし、もともとは百年以上続く老舗の高菜の菌が棲みついていますからそこで漬けることで独特の風味を産み出してくれます。種のことをブログで書きましたが、実はこの菌との共生や生き方もまた伝承していきたいものの一つです。

漬物というのは本来保存食でもあり塩は私たちの健康を守る大切な食材でした。ローマ時代には、塩が給与で支払われていたことで今のサラリー(給与)の語源になっているともいいます。かつての日本の食文化である一汁一菜は、ご飯とみそ汁と漬けもののことでした。塩とご飯、おむすびもですがこれが私たちのいのちを長年支えてきた基本のものです。

現代の塩はあまりいい塩がなく、むかしの塩づくりは自然に沿っていましたから健康を維持するのには欠かせないものでした。縁あって今、100年前の梅干しを一壺いただいていますがその塩は今でもしっかりとしていて味も美味しいです。100年以上保存できるものは、この塩が関係していることをそこから学びました。

漬物の原理は、塩の浸透圧を使います。浸透圧は、水がもともと濃度を一定に保とうとする力のことです。野菜の中の養分が外に出て、その分、塩が中に浸透していきます。その養分が菌たちの繁殖の栄養になり発酵してその野菜を別のものへと転換していきます。

重しをのせますが、これも水分を出やすくなるのと重力の力をつかい沁みこませて安定させる効果もあります。この野菜の水分で野菜が漬かることで漬物は完成します。空気に触れると腐敗菌が発生するので、塩分のある水の中に漬かることで腐敗よりも発酵を促進させます。

後は、塩分濃度さえ調整していけば、何年でもその漬物を食べ続けることができるのです。体にとっては、発酵した菌を取ることで腸内フローラも元氣にし、腐敗を防止します。漬物を食べると元氣になるのは、この発酵の仕組みをそのままに体に用いているからです。

いい塩、いい菌、いい野菜を食べ続けることで私たちは健康の基本を保つことができていました。今の時代のように多様で飽食の時代は、健康を保つことが難しくなってきています。医療がその分、発展発達して治療もできるようになりましたがその分、治療費もかなりの額になっています。この時代に生まれてきたらこれが当たり前なのかもしれませんが、本来の健康環境とは程遠くなっているかもしれません。

時代がまた揺れ戻され、何らかのかたちで治療ができなくなってきたらきっと私たちの日本もまた一汁一菜に回帰する日もくるかもしれません。その時、この漬物を守ること、塩を守ること、智慧を守ることは子どもたちのためになります。

今、やっていることを信じて、粛々と繋いでいきたいと思います。

種を守る

昨日は、郷里の伝統野菜の堀池高菜の収穫をしてきました。今年は、とても小ぶりですが逞しく健やかに育っているのは触った感じからも伝わってきました。毎年、一年を一緒に過ごす作物があることはとても豊かで仕合せなことです。

作物も種もそれは単なる呼び名であって、本来は一緒にこの世を生きる大切なパートナーです。そのパートナーとの一年一年の思い出や支え合い、その暮らしがあるということは何よりもかけがえのないものです。

お互いに貢献し合うことや、お互いに助け合うことで私たちは存在の絆を結ぶことができます。これは、生きものたちのすべての根底にある願いでありその価値の源泉です。

みんなただ生きているだけですが、その生きているだけで貢献する。物も同じく、すべてその存在理由はお互いの共生や貢献のためにあります。そしてその中でも、特に暮らしで支え合う仲間たちはともに働き、ともにその時代を生きていきます。

今、私の手の中にある種もそして目の前の高菜も同じように時代時代の中で同じ「種」として生き、お互いにいのちを分け合いここまで生きながらえてきました。私がそうであるように、先人たちもこのいのちを大切に守りながらここまで生きながらえてきました。

だからこそ、このずっと一緒に過ごしてきた種を見捨てるわけにはいかず同じようにこの土地で、この土地に生まれた者同士で生き続けていくのです。

私が伝統固定種の種を守るのは、ただ種が失われるからではありません。私がこの種を守りたいと思うのは、この種との「生き方」であり、大切なパートナーとしての仲間や家族との仕合せな暮らしをこの先もずっと子孫へ繋いでいきたいと願うからです。

現在、伝統固定種の種をブロックチェーンのトレーサビリティで守る取り組みを企画していますがこれもまた伝統を守るための革新なのです。

日本の風土の中で、この風土が育て見守るいのちを補助していけるようにこの世代の役割を果たしていきたいと思います。

時代と人生の記録

私たちは歴史を生きていますが、その時に何よりも重要になるのは記録です。どのような経過で何をしてきたのか、それを遺すことはとても意味があることです。それを読むことによって、私たちはその出来事から真実を学ぶことができるからです。

ちょうどヨーロッパで戦争がはじまり、第二次世界大戦の頃のことを知りたいと思うようになります。あの時の虐殺の歴史や人種差別、あらゆる人間の行いがどうでったのかを考え直すのです。

アンネの日記というものがあります。

ユダヤ人迫害から潜伏していた場所で書き綴った日記です。この日記はアンネの一家が拘束された後、秘密のアパートで見つかりました。今ではその日記が世界中であららゆる言語で出版され多くの人たちに読まれています。

私たちは、その人生の記録や記憶は空間にいつまでも遺っています。しかしそこにアクセスするには、その空間と繋がっているキッカケが必要だったりもします。もちろん、遺跡や建物、そして暮らしという媒体でアクセスすることもできますが日記や詩などもその方法の一つです。

今の時代、あの頃に何が起きたのかを思い出し私たち人類は大切なことを忘れていないかを再確認する必要性を感じています。

アンネの日記から、いくつかの言葉を紹介します。

「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。」

「私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。」

「あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。」

「澄みきった良心は人を強くする。」

「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを私は今でも信じている。」

「私が本や新聞記事を書く才能がなくても、いつでも自分のためには書くことができる。」

「私は、また勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから。」

「私は、死んだ後でも、生き続けたい。」

私もブログや日記を毎日、書き綴っています。アンネには会ったことはありませんが、共感することがたくさんあります。こうやって書き綴っている間は、まるでそこにいるかのように日記を通して語り合うことができます。

時代を超えても語り合えるものにこの記憶や記録があるのです。

時代は変わっていきますが、どのとき、どう生きたかという魂の声や勇気を分け合いながらその時々の人生の記憶を子どもたちのためにも記録していきたいと思います。

茅刈り

昨日は、熊本県阿蘇郡高森にある萱場に茅葺屋根用の茅を刈りにいくご縁がありました。友人や仲間がたくさん駆けつけてくれて、みんなが楽しく茅刈りを行いました。

思い返せば、この茅葺とのご縁は私の故郷のお地蔵様が祀られている建屋の屋根を私が喜捨をして甦生するという話からです。その話は、地元の方々との折り合いがつかずに中断することになりましたがその御蔭で、一緒に徳積財団を設立することになった親族の叔父さんと出会い、その近くにある藁ぶきの古民家を甦生することになり、さらには今回のように英彦山の宿坊の屋根を葺き替えるというご縁になりました。

ご縁は最初からそうっなっているかのように繋がっていて、絶妙なタイミングで一期一会に場にも人にもと時にも出会います。答えが先にあって、それを象っていくかのようです。

有難いのは、その答えが最初からわからないからこそ有難い体験になっていくということです。私自身は慎重で臆病ですが、勇気を出せるのも挑戦できるのも、この「ご縁」を羅針盤にしているからだと思います。

資金面や材料面、知識も経験もすべて不足していてもみんながいるという存在感やご縁を信じるという目は見えない繋がりを味わって生きていくことができるからなんとかなっているようなものです。

今回の茅葺もとても貴重な体験になりました。

もともと私たちが古民家で使ってる材料は、すべて自然素材で自然由来です。ということは、その自然素材はどのような風土や環境で、いかなる特性を持っているのかを学ぶことで先人たちがどのように自然と共生してきたかがわかります。

ちょうど、私たちが茅を刈りに行った場所も本日から野焼きがはじまります。阿蘇の茅は特に良質で、しっかりとまっすぐに伸びていて丈夫でしなかやで品があります。水をはじき、長持ちし、雨や風から家を守ります。

昔の人たちは、身近にある素材を暮らしの中に上手に取り入れました。草草も捨てるのではなく、これはどのような徳が備わっていてその徳にどう報いようかと謙虚に考えたいのではないかと思うのです。

それは偉そうに、何かに活用してやろうといった人間都合の見識ではありません。自然への畏敬や畏怖、そして何よりもいのちを慈しむやさしさに満ちたものです。

私の取り組む甦生は、根本にはこの観点を忘れません。

今の私があるのも、人類が続くのもすべて自然の恩恵、自然の御蔭さまです。自然素材自然由来に感謝してこそ、本当の意味で本物の加工品になるのです。

子どもたちのためにも、プロセスを外さずに大切な文化を伝承していきたいと思います。

平和を持続させるために

私は、20年間、子どもに関わる仕事をしてきました。その子ども観というものは、子どもは生まれながらにしてすべてが備わっている完全な人間そのものであるというものです。

人間そのものというのは何を言っているのかというと、人間とは徳そのものであるということ。もう一つ進めると、もともとのいのちはすべて徳であるというものです。これは人間に限らず、全てが完全ですべてがいのちの一部。それを尊重しようという考え方です。

これは子どもに限らず、私は万物全てに徳が備わっていると思っていますから現在の古民家甦生だけではなくすべて取り組んでいるものはこの初心と観点を働かせて実践しています。

足りないから補うのではなく、本当にそのものの役割を発見して活かしていくという発想です。これは日本人の伝統的な価値観、もったいないなどにも通じるものがあります。

子どもは最初からすべてを備わっているからこそ、余計なことをしない。余計なことというのは、備わっていないと、足りないと、これはダメだや間違っているなどをということを無理やりに教え込まないということです。きっと、何か理由があってそうしているのだろうと尊重し尊敬して見守るということです。

これが私たちが社業で取り組む、見守る保育の考え方から学んだことです。

子どもは丸ごと信じてこそ、本当の意味で私たちが子どもから学び直し、子どもように素直で正直なままに自立して自分の天命を全うしていくことができると私は思います。

そもそも自立というのは、自分の自立ですがこれが人類の自立にもつながります。今のように世界を巻き込む戦争が起きそうなときこそ、教育者たちは真実と向き合い、平和ボケするのではなく「真の自立とは何か」ということを正対する必要があります。

真の自立をするのなら、人類はもっと優しくなり思いやりを忘れずに悍ましい戦争もなくなっていきます。人の心が貧しくなり、荒廃するからこそその結果、環境に現れていくのです。だからこそ、人の心に真の豊かさを甦生させていくことが末永く平和を持続するための知恵でもあります。

私が取り組む、場も暮らしフルネスも起点はすべて子どもを見守ることからはじまっています。こんな時だからこそ、希望を忘れずに自分の天命を全うしていきたいと思います。

心のふるさとのバトン

これから英彦山の守静坊の屋根を茅葺屋根に葺き替えるための本格的な準備は入ります。現在は、トタン屋根になっていますが本来の宿坊の姿を甦生するために元の屋根にする作業です。

この費用が甦生でもっとも決断が必要なものでしたが、日本人の心のふるさとを甦生するためにもこの茅葺屋根は欠かすことはできません。

私の取り組む甦生は、この茅葺だけではなくありとあらゆる日本の伝統文化につながるものを同時に甦生させていきます。それはただ伝統の物を使うのではなく、その伝統の意味も一緒に甦生させていくのです。

例えば、畳一つにしても畳がなぜ存在したのかの歴史的な背景をひも解き、同時にその畳を本物にこだわる職人さんと一緒にその心や伝承を伝道していきます。そして職人さんたちやその土地の人々を結び、本来の日本の結の関係をつなぎ直していくのです。

そのためには大変な手間暇や配慮なども必要になりますが、もともと日本人なら備わっている真心があると確信していますからそれを丁寧に甦生させていきます。

今回の茅葺屋根の甦生も、葺いてしまえば手入れをしていけば30年以上は家を守ってくれます。そしてまた30年経った頃には、また葺き替えをするのでしょう。そのころはもう私も生きていないかもしれませんし、一緒に取り組んだ職人さんたちもいなくなっているかもしれません。

しかしここで今、つなぐことにこそ意味があり、誰もしないから私もやらないではなく、誰もしないからこそ自分がやる必要があるのです。

子どもたちのことを思うと、先人たちの祈りや志、生き方や知恵をつなぎたいと真摯に思います。人生の中で、何がもっとも役に立つのか、そしてどこに心の居場所があるのか、それはもう明白です。

煌びやかで派手なものばかりについ感情的に魅せられますが、それもすぐに消費され飽きてしまいます。しかしこの私が取り組んでいるものは、一生飽きることもなく、そして永遠に知恵として未来の子どもたちの人生を助けます。

今はわからないかもしれませんが、これは本当に100年後、もしくは数百年後に人々が気づききっと感謝しているのがわかります。

それはなぜか。

私自身が、先人たちや先祖たちからいただいている恩徳に心の底から感謝しているからです。よく私のところまで来てくださった、つないでくださった、集まってきてくださったと感謝しているからです。

私の身の回りには、いつもそういう徳の存在のものや人たちが集まってきてくださいます。何よりもその知恵ややさしさ、思いやりや美しさに日々の暮らしが感動に包まれています。

時代の当事者、時代の責任者として普遍的なものを丁寧に紡ぎ、自分がされたように未来の子どもたち、そして後世へと心のふるさとのバトンを渡していきたいと思います。

時代の責任者

ロシアがウクライナに侵攻をして世界は戦争の意味をもう一度、確認することになりました。誰も望まないはずの戦争はいつから発生するのか。それは歴史を省みると少しずつ明らかになってきます。

私たちは最初に戦争をはじめたのはいつか、それは古代の頃、領土を取り合うことではじまります。地域によって得られる富が変わってきますから、当然人はよりよい領土を広げて富を増やしていこうとします。しかしそこには先住民がいたり、あるいは別の人たちがすでに富を確保していたとします。富は、その領土の経済力を決めますから富を守るために強烈な軍隊を持つこともでき、さらに国力を増大してその富を拡大させてさらに富を守ろうとしていきます。

世界は、ずっとその繰り返しで領土を取られたり奪われたりをしてきました。そして現代もまた、冨の拡大のために新たな領土を探し続けて争いはなくなりません。日本でも最初の大きな政府が誕生してきたら富を集中させてそれぞれの領土の人たちのバランスが崩れて戦争にならないようにコントロールしてきました。戦国時代などは自分たちの富を増やし守るために領土を取り合うために発生した時代でもあります。

江戸時代には江戸幕府ができて、戦争が起きないように見張りました。すると領土が拡大できない分、隠れて貿易をしたり年貢を必要以上に取り立てたりと富を守る工夫は続きました。富は、常に人類の戦争の中心にあったのは間違いないことです。

世界には、その理屈を知り、冨をうまく分配し合って助け合う領土もありました。しかし、冨を拡大する領土から狙われる羽目になり失われていきました。自分たちのものにするには、その領土の人たちも自分たちのものにする必要がありましたからそれぞれに言葉や文化、あらゆる価値観を融合していくために宗教なども入っていきました。

今もその構造はほとんど変わっていません。

その当時の人々も、農民や職人たちもそんなに裕福だったわけではありません。裕福だったのは一部の富裕層であり、その富裕層が富を守るために戦争をはじめていくのです。農民一揆なども同じように、貧富の差が拡大することによって人々の不満が高まりさらに押さえつけるために強権を発動していき抑え込める。それが限界に達すると、政権が変わる。そのうちまた同じことが起きて繰り返す。こういうことばかりをずっと数千年も前から繰り返しているのです。

私たち人類は、情報化社会で色々なことを知ってきました。むかしは諦めていた人々も今では、情報を学ぶことによってこれは諦めることではないことを学んでいきました。

この時代、人類が真の幸福や仕合せになるために何をすべきかということを全人類に問われているのです。

冨=幸福という構造を如何に乗り越えるのか、そのためには富は何のためにあるのかから考える必要があります。日本も戦後に物質的には非常に裕福な国になりました。毎日大量のごみを捨てても、まったく影響がないほどに、食べきれない食料をもち、使い切れないほどのお金を持つことができました。これである一面では幸福になったのでしょうが本当にそれだけでいいのでしょうか。

私は、人類がもっとも望んでいるもの、富を超えて本当に幸福を感じるものがどれだけあるのかがそろそろ人類で議論する時期が来ているのではないかと思います。それで暮らしフルネスを実践することを自らがはじめています。

冨ではない別の物差し、真の豊かさということをみんなで考える時期に来ているということです。戦争はもうここまでくると、人間とは切り離せない全体の一部ではありますが自分たち一人一人のみんなが当事者として自分に打ち克っていくことで戦争を小さく未然に防いでいくことができるように思います。

時代の責任者として、こんな時だからこそ暮らしをととのえていきたいと思います。

 

真の知恵

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますが、仲間や同志たちからたくさんのメッセージや連絡が入ります。私が今、ちょうど必死に取り組んでいるのを汲んでくれているのか、温かく強い言葉をたくさんかけてくれます。

みんなそれぞれの場所で、自分の信念と生き方を守るために自己と向き合い周囲に流されずに踏ん張っています。時代の中で、何度も生まれ変わる中でこうやって友達に再会しそれぞれで励まし合っていくのはとても仕合せなことです。

コロナで不要不急といって、色々なものが失われていきました。

その中には、決して不要不急ではなくても普遍的で何よりも大切な伝統や文化、そして伝承なども失われていっています。そして経済を優先するように働きかけ、経済と関係ないものは後回しという具合にもなってきています。

実はいつの時代も、今回のコロナのような感染症が流行した時もあり、今のように戦争が起きて日常生活が一変したことは人類は体験してきたのです。

しかし今でも、文化が失われず、日本人としての生き方がそれぞれの人や場所に遺っているのはそれは先人たちがどんな過酷な環境下であっても守り通してきたからに他なりません。

つまり今の自分の存在こそが、先人の生きた努力の結晶の証なのです。

そこに私たちは真の誇りと心のやすらぎ、そして居場所を得るのです。

最近は、居場所がないと苦しんでいる人が増えています。それは先祖や先人たちとのつながりが希薄になっているからです。私は家系図を辿ったこともあり、そして家系図で出会った先祖をその後にお祀りすることになり、今では歴史のつながりの深い場所や人、そしてご縁を大切に生きています。

御蔭様でいつも心の深いところに居場所があり、いつも身の周りには先人からの知恵とご加護とお守りに包まれて暮らしていくことができています。

私に言わせれば、「コロナで不要不急だからこそ、本当に大切なものを守る。」ことが今を生き、これからを生き延びるための真の知恵だと感じています。文化に携わる友人たちは、みんな今、大変な想いをしながら自己を磨き利他に挑戦しています。

私もみんなの元氣の一つになれるよう、みんなが勇気を出すためのチカラになれるよう、私の持ち場を守っていきたいと思います。

日本の初心

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますがいつものことながら困難続きです。だいぶ、これまでの経験から慣れてはきていますが信じているものの現実の対応には決断ばかりが必要で心身の疲労は蓄積していきます。

振り返ってみると、これまでも古民家甦生は無理難題ばかりの連続でした。当然ながら、費用の問題。大工さんや職人さんたちは一生懸命に取り組んでいますからそのお支払いが必要です。なぜ今までなんとかなってきたのが不思議で、その都度に知恵を出したり周囲の方々からのご寄付があったりして何とかなってきました。

そして次に建物の問題。私がやるところは皆が手入れをやめて荒廃していよいよ最期かというところのものしかご縁がありません。中もぐちゃぐちゃで、木材などもシロアリ被害にあっていて思った通りに工事が進みません。

他にも私の無知からの不手際でご迷惑をおかけしたり、本業の仕事ができなくなりみんなに迷惑をかけたり家族との時間が減り家事を任せきりになっていたりと、いろいろとあります。

何よりももっとも大変なのは、本質を守り続けるためにブレないで最後まで貫遂するための自分自身との正対です。

私が取り組むときに最初に決めるのは、「家が喜ぶか」「本物の和にしたか」そして「子どもに恥じないか」と定めます。今回の宿坊はそれに加えて、お寺ということもあり「布施行」を貫き仲間を増やし、「いのりの場」として子孫に繋ぐためのプロセスを重んじたかと、取り組みの際の自戒を定めてやっています。

何度も費用のことや、楽にやろうとしたり、時間がないなかで時間を敢えてかける方を選択したり、ブレないで自戒を大事に守り取り組んできました。夜中に夢に魘されたり、山の中の寒さで冷え切り体調が著しく崩れたり、心ここにあらずで怪我をしてしまったり、ストレスで頭痛や胃腸を悪くしたりと、思っていた以上に堪えました。

しかし、そんな時こそ足るを知り、いただいている方を観て感謝して同時に信じてくれた自分や周囲の御蔭様に勇気をいただき前進してここまで来ました。周囲からは、順風満帆で明るくやっていますし私自身も弱さを公開せずに徳を積む仕合せをこぼれさせようと顔晴っていますからなかなかこんなことを伝えることがありません。

むかしの諺に「武士は食わねど高楊枝」があります。 これは誇り高い武士はどんなに貧しくても、腹いっぱい食べたかのように楊枝を使って見栄を張っていたというものです。これは見栄をはっていたのでしょうか?

実際には、江戸時代の武士の多くは今でいう政府や役所のお役人でした。彼らの多くは私利私欲に走ることなく世の中のため、民衆のためにと働いた公人でした。現代のように裕福でモノに溢れた時代もある中でも為政者としての武士の倫理規範をもち、無私の奉仕、誠実な生き様を痩せ我慢をしてでも実践した言葉です。

この時代、価値がないと捨てていく大切な伝統や本物の文化が荒廃していくのを見すごせないと私のようななんでもない凡人でも環境がなくても真摯に取り組めば甦生はできるとその姿に何かを感じてほしいと宿坊の甦生に取り組んでいます。

かつての山伏もまた、山で暮らし山を守り、日々に修行に精進して気品高く人々のために盡してこられました。私にとっての山伏は、先ほどの武士は食わねど高楊枝で尊敬する先人であり先達なのです。

その暮らしを甦生するためにも、私自身が同じ境地を少しでも感じたいとこの今も甦生に取り組んでいます。今回の宿坊の甦生、英彦山の甦生は、できる限り多くの方々のお布施や托鉢、そして英彦山を愛し、日本の誇りを甦生するための寄付をなるべく多くの一人ひとりから集めたいと願っています。

それが日本人の心のふるさとを思い出し、日本の初心を甦生させることになると信じているからです。途中経過になりましたが、今の私の心境です。皆様の心に何かが伝わり、一緒に徳を積むことの仕合せや喜びがこの社会をさらに磨き上げて素晴らしくしていくことをいのっております。

宿坊が甦生し、皆さんにお披露目できるのは新緑の頃になると思います。

ぜひ、この「いのりの場」に来ていただくご縁がありましたら心に懐かしい未来の美しい風景が宿りますことを念じております。残りの期間、しっかりと取り組みます。

一期一会