私の目的

私はこの「場の道場(BA)」で、日本の伝統的な文化を継承して温故知新しながら最先端の取り組みと融合させています。なぜこのようなことをするのかといえば、目的は明確で子どものためにということです。

この子どものためといっても、単なる一般的な世の中で使う子どものためではありません。もっと広義で子孫のためといった方がいいのかもしれません。子孫たちが安心して世界の中で自分らしく自分を生きていけるように先祖の思いやりをつなごうとしているのです。

私の暮らすこの場には、古いものと新しいものが共存し共生しています。よく言われるのが、ハイブリット型や善いところ取りなどとも評されます。しかしそれは、ちゃんと日本人の精神や魂、生き方を大切にしながら時代の中で創造されてきたものとの調和した暮らしを実践しているだけのことです。

先祖は、私たち子孫のために色々と深く考えてくれて偉大な思いやりを遺してくれています。その先祖の生き様や人生を無駄にしないのが、私たち子孫たちの責務であり使命であるはずです。

今の時代は、そんなことを思わず刹那的に今の自分の人生や世代だけがよければいいという短絡的な生き方が増えています。どれもこれもすべてその原因は、忙しくなることで暮らしを手放したことに起因しています。

暮らしがなくなれば、先祖の思いやりも届かないところにいってしまいます。私たちの先祖は、決して単なる文字や記録で子孫が守れるとは思っていませんでした。なので色々と工夫して知恵を働かせたのです。

その一つが、日本の家屋であり日本の伝統行事であり、まさに衣食住を含むこれらの「暮らし」にその仕組みをを入れたのです。

そしてそれを甦生し続けて温故知新する人物を、道を通して育成してきたのです。私が場の道場を開いた理由、そしてなぜ今、ここに「場」を誕生させようとするのかはその手段の一つであり目的を実現するためです。

子どもの仕事をしてきたからこそ、何をすることがもっとも「子ども=子孫」のためになるのかと四六時中ずっと思い続けてきました。そうすることで先祖とつながり、子孫へ譲り遺していく初心伝承文化に気づいたのです。

これから目的に人を集めるための動画を撮影していきますが、目的を忘れずに丁寧に取り組んでいきたいと思います。

丁寧な暮らし

生き物は美しい造形物を作り上げていくものです。私は若い時に拾った一つの貝を持っています。そしてもう一つ、石英の勾玉を持っています。身近に置いておくと心が癒され美意識が高まっていくのを感じます。

自然のもつ造形物はまさに完全無欠であり、どのような状態になってもそのものらしく自然体で驚きと感動を与えてくれるものです。

まずこの貝は巻貝ですが、科学的には炭酸カルシウムとタンパク質を融和させながら成長していきます。最初は小さな姿から大人になっていくにつれて次第に貝も大きくなっていきます。

つまりこの手元にある巻貝は、この貝の一生を生きた証ともいえるものです。美しい海の中で仕合せに生きたこの貝の姿を眺めていたり触っていると私はいつも心が癒されその美しい貝の姿から海の中でどのように過ごして何を貝は感じて生きたのかというものが伝わってきます。一つ一つの曲線の美しさ、そして肌触り、手に収まるくらいの大きさ、そのどれもが飽きることもなく何度みてもうっとりするのです。

出会いは宮崎の日南の海で、仕事中に走っていたら海の中に光っているものがみえ、車を止めて石やサンゴがゴツゴツとした中での出会いでしたが発見した時の感動は今でも忘れることはできません。

もう一つの石英の勾玉もまた不思議な出会いでした。ある森の中の美しい水が流れている近くで微睡んでいた時に土の中に光るものを感じて掘り起こしてみたらそこにあったのです。ドロドロで真っ黒でしたが、水洗いしたら見たことのない緑色の美しい姿になり透明な光が出てきました。

これは数億年という単位で、水が薄く流れる鍾乳洞のような場所で少しずつカルシウムと水が融和してできたものです。水晶などは1㎜成長するのに少なくても100年かかります。数万年単位で水に溶けたシリカなどが固まって石になるのです。

つまりこの手元の石には億年単位の石の生涯があり、その美しさがあらゆる模様や姿形に出てくるのです。私はこの石に触れるたびに、その歴史やドラマ、地球内部での暮らしを感じて悠久の時を思い出します。

いつかは死に別れることもありますが、私の身体もまた自然物の一つで造形されたものですから違うものになっていくのでしょうがいのちの本体がなくなることはありません。

私たちが美しいと感じるものは、このいのちの本体に触れているからです。

私は芸術のことや専門のことはわかりませんが、美しいものは何かということは本能で感じます。人はみんな自然物ですから真の美しさがわかるはずです。自然物に触れて、一期一会に出会いつつづけることで美しい人生はさらに彩られていくものです。

日々の出会いを大切に、美しいものを見逃さないように丁寧に暮らしていきたいと思います。

甦生業

藁ぶき古民家の甦生もまもなく最終段階に入ってきていて家の徳が引き出されてきています。ご近所の方や通りすがりの車が止まり声をかけてくださいます。その声は、一様に「だんだんと家が善くなってきていますね、楽しみです」というものです。

それは動画で配信しているサイトのコメントでもたくさんいただき、身内や仲間からも喜びの声をいただきます。その言葉に励まされ、信念を強くして真摯に家に向き合って修繕を続けています。

考えてみると、人はみんな何かが甦っていくことに希望を感じるように思います。

もう御終いだと思っていたものが復活して、それがさらに以前よりも元氣になって美しく生命を輝かせていく姿に偉大な何かの存在を感じるように思うのです。

それは病気からの恢復、あるいは壊れた機械の修理、よくお手入れされた道具、これらのものに触れると人は善かったねと喜んでくれるのです。徳を積むということは、この甦えらせていくことに似ているのです。

今まで荒れ地で捨て去っていたものを甦らせてそこで作物を育て農地を役立てること、経験豊富な高齢者や職人たちが後世の若い人に技術を伝承していくこと、他にも古井戸や古民家を甦生して新しい役目を与えて人々を潤してもらうこと、こういうこともまた徳になるのです。

徳は事業ではなく、お金儲けではありません。なので無理にお金のためにするものではなく、みんなが喜び、自分も喜ぶことを真摯に取り組んでいくことに似ています。自他一体に全体が幸福になるというのは、自然循環の摂理であり自然の徳の仕組みでもあります。

この徳循環を支えるもの、それが「甦生」なのです。

甦生業が私の取り組みですから、甦生したものが役に立てるように場を創造していくこともまた使命です。挑戦すれば喜びも多いですが苦しみもまた同時に発生します。それを味わいながら、今、できることに真摯に挑戦を本気のままに続けていきたいと思います。

 

尊重する世界

世界にはまだ100以上の外界と接触していない民族や部族があるといわれます。アマゾンの奥地であったり、山の高地であったり、あるいは孤島の中であったりします。そこには独自のユニークな文化や生活様式を発展させ、少数ながらもその風土に適した暮らしを実現しています。

グローバリゼーションの中で、世界はあらゆるところに行けるようになりあらゆる文化や生活様式を一変させてしまいました。工業製品などは、安くて便利なものがあらゆるところに行き渡りその土地の生活様式を変えてしまいます。

今までよりも便利なものが外から入ってくればそれが今まで風土に合った手間暇かかるものよりも価値があると欲を優先してしまうのでしょう。そうやって日本も江戸時代から明治にかけて西洋文化や工業製品などが膨大に流入してそれまでの文化を手放していきました。

特に若い人たちは携帯電話をはじめ、目新しい道具を使って力を手に入れることに敏感ですからあっという間に広がっていきます。そうやって世界はどこにいっても、同じような価値観の社会を広げてきたのです。

しかし同時に、外界と関係を断っていた民族は外からやってくる病気やウイルスに対する抵抗力もありません。なので、あっという間に蔓延して絶滅したところもたくさんあります。またその反対に、今まで関係を持たなかった地域の危険な風土病が世界に広がっていくということも発生します。

お互いを尊重してそっとしておくような関係が維持できれば、その場での平和は保たれるのでしょうが現代のグローバリゼーションはそこに資源を取りにいき、経済成長のために浸食していく仕組みですからそっとすることは不可能です。このまま最後は、世界のあらゆるところに隙間がないほどに入り込んでいきます。

そのうち、宇宙人というものを地球外に見つけそこに向かって移動していこうとするでしょう。そして現在の少数民族とのやり取りのように病気を持ち込み資源を奪い、また経済成長のためという大義をもって浸食していくということは簡単に予想ができます。

よく考えてみると多様性というものは、尊重されることで維持されるものです。尊重せずに浸食すれば多様性というものはありません。その尊重は、無理やり折り合いをつけるのではなくお互いの最適な距離感の中で見守りあっていくことであろうとも思います。これは自然界の仕組みそのものでもあります。

世界は、何で一つになるのか。それがいよいよ人類に問われている時代だと私は思います。

後悔しないように子どもたちの憧れるような生き方を譲り遺していきたいと思います。

ご縁を実践すること

昨日、35年前に近所に住んでいた先輩と久しぶりに再会するご縁がありました。小さいころにソフトボールやラジオ体操などを一緒にやったことを覚えています。思い返すと、小さいときは3つ歳が離れていたら大きなお兄さんです。

後輩や子どもたちの面倒見がよかった先輩のことは心のどこかで覚えているものです。35年も経ちなんとなく面影が残っていると、安心するものもあります。歳をとっていくと3つの歳の差などほとんど気にならなくなってきます。

縁あって再会し、同じテーマで話ができたり、それぞれに困難に挑戦している共通点を感じると不思議な時のつながりを感じるものです。

人間には、ご縁というものがあります。

どのようなご縁で結ばれていくかで、日々は変化していきます。ご縁には場所とのご縁もありますが、時機とのご縁があります、そして人とのご縁です。

最初からその場所、その時、その人と出会う運命であったのではないかと振り返ると思うことばかりです。私は、日々に様々な方々とのご縁がありその時々でそのご縁に対処していきます。時として、あれは夢ではなかったかなと思うようなご縁もたくさんあります。

心の余韻にいつまでも残るような仕合せなご縁もたくさんありました。また同時に、傷つけあって一つの絆になったご縁もたくさんありました。あの人たちたちは今、一体どうしているのだろうかと思っても今は連絡も取りようもありません。ただ、未熟者同士で磨き合った思い出が遺っているだけです。

そういうご縁は、その後の人生でさらに深くし輝かせていくことができるものです。それはご縁を大切にするということに尽きるように思います。人のご縁は意味あって存在し、自分が如何にそれに執着しても思い通りにはならないものです。思い切って諦めてみることで、自分に相応しいご縁が訪れていることを自覚するものです。

それもまたご縁を大切にする一つの実践ということでしょう。ご縁を如何に大事に過ごしていくか、それは日々の内省によります。一期一会に生きるというのは、先人の遺してくださった大切な文化であり生き方です。

子どもたちのためにも、日々のご縁を内省により紡いでいきたいと思います。

 

風土の縁

先日、たまたま「風土舎宣言」という言葉を知りました。元信州大学名誉教授で農学者の玉井袈裟男さんという方の遺した言葉です。とてもリズム感もあり、読んでいてしっくりと来るものがあります。ご紹介します。

風土という言葉があります

動くものと動かないもの

風と土

人にも風の性と土の性がある

風は遠くから理想を含んでやってくるもの

土はそこにあって生命を生み出し育むもの

君、風性の人ならば、土を求めて吹く風になれ

君、土性の人ならば風を呼びこむ土になれ

土は風の軽さを嗤い、風は土の重さを蔑む

愚かなことだ

愛し合う男と女のように、風は軽く涼やかに

土は重く暖かく

和して文化を生むものを

魂を耕せばカルチャー、土を耕せばアグリカルチャー

理想を求める風性の人、現実に根をはる土性の人、集まって文化を生もうとする

ここに「風土舎」の創立を宣言する」

身土不二のように風土不二のことを語っているように思います。これを和して文化を生むとも。魂と土を耕すことが農の本質でもあります。意訳ですがその土地で人が集まりそれぞれに根をはり作物になるのならそこが一つの文化創生の風土舎という意味かもしれません。

以前、私が故郷に戻ってまちづくりとは何かと悩んでいたときに逆手塾の和田芳治さんに私がこの場でとことん尖がることを応援・支援していただきました。あのことがあって吹っ切れたことは今ではとても財産になっています。その和田さんのまちづくり理論歌という替え歌もいいリズム感で読んでいて心地よさを感じます。

打てば響く 君がいてさ
話に花咲く この宴

まちは舞台さ 主役は君さ
スポットライトは お天道様

丸い地球の ど真ん中は
君が住んでる このまちさ

ナイモノネダリを やめたら見える
君とまちの オンリーワン

有るもの探して 知恵と技と
汗で咲かそう まちの華

自然にゃいいも 悪いもないさ
活かすも殺すも 君しだい

名所名物は 名人が創る
何はなくても 君がいる

花を華に するのは君さ
君が咲かせる 汗の華

こうやって、それぞれの人たちが逆境を逆手にとって本質を語り面白い発想で風土を醸成する啓蒙をしていきます。その土地には人がいて、そして場があります。その場の徳をどう引き出してその土地での地元を真に創生するか。

それはその覚悟をもって取り組む人たちの生きざまや生き方があります。人はそういう人たちと出会うことでより自分自身の徳も磨かれていきます。

最後に、森信三さんの言葉で締めくくります。

「人間は一生のうちに 逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、ついに縁は生ずるに到らずと知るべし。」

これからのご縁がどう転んでいくのか、楽しみつつ徳を磨いていきたいと思います。

風土甦生とひとづくり

私は故郷に戻ってきて色々と実践が増えてきていますが、よく地方創生をやっているということを言われることがあります。私はこの地方創生という言葉が実は好きではありません。それにまちづくりをしているともいわれますが、またこれも好きではない言葉です。

なぜだろうかと少し考えてみると、色々と思い当たるところが出てきます。例えば、地方という言い方も私は東京に19年住んで2拠点生活をしてきましたから、東京でいうところの東京以外を、特に大都市以外のところをみんな地方と呼んでいました。私は、日本という国でしかもふるさとには両親や家族がいて、東京も一緒に目的を共有している社員たち(私たちはカグヤ一家と呼ぶ)がいてそこを行き来していただけで東京か福岡かということを意識したことはほとんどありませんでした。なので、地方創生という言い方に違和感を覚えたままなのです。せめて、地元創生ならなんとなく理解できますがさらに踏み込めば私がしていることは「風土甦生」の方が近いのです。

もう一つのまちづくりにおいては、さらに違和感があります。そもそも何をもってまちづくりというのか。誰かが箱ものをたくさん建てたり、経済が活性化できるような商売をはじめたり、衰退したものをまた興隆させたりする人たちがまちづくりをした人といわれます。つまり極端な言い方をしたら、田舎を都会にした人たちがまちづくりの第一人者のように呼ばれているのです。動物たちや虫たち、自然がイキイキとして風土が輝いているような場所をわざわざ人工的に整備して都会のようにして、さらに大都会の人と経済がつながり田舎が活性化したことを評価されてまちづくりをしたと呼ばれる喜ばれることが好ましくないのです。せめて、風土を磨いて魅力を引き出したとか、徳を積んで本来の地域の人々を薫育した「ひとづくり」に取り組んでいる方が近いのです。

私は日本の美しい風土をこよなく愛しており、その風土が永遠にこのままであってほしいと願うばかりです。だからこそ、風土を壊さずに美しいままであるために風土の甦生をしながらひとづくりをしていきたいと思っているのです。

本来、その地域にはその地域にしかない風土があります。それはその地域の徳のことです。それはその地域の歴史であったり、文化であったり、暮らしであったりするものです。それを大切にする人たちを醸成しながら、その中でその地域独特の生き方を通して日本全体の風土の一部として力を発揮していくこと。まるでどこにいっても金太郎飴のようになってしまった地方も人もそんなものは日本の未来にほとんど役に立ちません。ながらく保育や教育の世界を観てきても、十把ひとからげに同じようになるように型に嵌められた人を増やしてもそれは本質的にまちづくりの人を育てるはずはないのです。それにどこかで見た風景ばかりで同じ道路と同じチェーン店ばかりが連なっていてどこも同じ配置・配列になっているものが地方創生とかいっていたら田舎に出てきて東京が理想という状態をみんなで目指すだけになるのです。

なんだか長くなってしまいましたが(笑)、ミニ東京に憧れるのをやめ本質的に日本全体のために「風土甦生とひとづくり」をすることに原点回帰していくことが未来の子どもたちのために徳を譲り渡していくことになると思います。

引き続き、我が道をいきながら楽しく豊かに醸成を積み発酵していきたいと思います。

人類の失敗

先日、ある実験がアメリカで行われていることを知り自然の道理についてまた考える機会がありました。その実験は、蚊を遺伝子操作し子孫が生まれなくなるようにするものです。具体的には、遺伝子操作した雄の蚊を何千万匹と野に放ちその蚊が雌と交配することで子孫が生まれなくなり全滅させるというものです。

実験は1週間ごとに45万匹の遺伝子組み換えの蚊が放たれ27か月間行われました。結論としては失敗に終わったようで、雌の蚊が子孫を残せない雄を見分けて交配するようになったのではないかといわれています。当初は減少傾向があったそうですが、18か月後には元の数に戻ったそうです。

人間でもわかりますが、子孫を残せないとなると選択して子孫が残せるようなものを選ぶのはわかります。蚊はそうしないと思ったことがまず不思議ですが、自然の道理としては当然のことです。

問題はここからです。

本来、子孫を残せない蚊を放ったから遺伝子組み換えの蚊は同時にいなくなると仮定していましたが実際には交配するなかで野生の蚊から遺伝子組み換えられた蚊の遺伝子を受け継いだ個体が多数発見されたのです。その遺伝子組み換えられた蚊から同じ組み替えられた蚊が3~4パーセント誕生するようです。つまり人為的に遺伝子を改造された子孫がその後も引き継がれて野生に誕生しているということです。

この遺伝子を組み換えられた蚊のグループは、従来の蚊よりもさらに強い抵抗力や強毒性のようなものを持つことが考えられるそうです。

遺伝子を組み換えて操作するはずが、かえって手が付けられないものを作ってしまうという事実。これはコロナウイルスにも似たようなことが起きているのではないかと私は感じます。

人類は、この遺伝子組み換えという技術の危険性をよく理解せずに使いますが自然のバランスを壊せばどうなることがあるのかを必ず知る日が来るはずです。この遺伝子というものは、何億年も何千万年も前からある私たちの姿を創造するいのちの根源です。それを操作すれば、奇形をはじめあらゆる問題が発生します。

遺伝子を傷つけるようなもの、それを組み換えるようなものをすればこの世に本来存在するはずもなかったような不自然な存在が現れます。人工的に人為的につくられたものは、自然のバランスを崩すだけでなくかえってそれを今度また元に戻すために膨大な量のエネルギーや犠牲を払うことになります。

本来、自然を無視した人工物や人為的なものを取り払って自然に沿ったものにしていこうとなれば自然はバランスがととのいやすくなります。しかしその逆をやればどうなるかといえば、かえって人間にとって不都合なことばかりが発生するのです。

このまま、学び直すことなく人類が突き進めばそのうち「人類の失敗」という歴史が本に掲載される日も来るように思います。その失敗は、すべて以上のように自然界のバランスを崩した出来事や内容で埋め尽くされるはずです。

日本人の先人たちは、それをよく学んでいました。それによって山や川を大切にし、生き物たちや自然を深く崇拝し、自然と共生しながら永続し循環できるバランスの中心を持てる生き方、つまり伝統的な「暮らし」を実現させました。

最近、コロナウイルスは台湾モデルが世界に賞賛されていると聞きます。なぜ、日本がそうならないのか。残念に思います。どちらにしても、人類は失敗から学び改善するところに成長もあります。現実や事実を直視し、暮らしフルネス™が世界を導けるように実践を続けていきたいと思います。

資源のもと

私たちの身体をはじめ、この世のすべてのものは資源でできています。原資になっているものは土ですが、土から化けて形になり最後はまた土に還ります。そしてその土とは、水と火と木と石などあらゆるものが融和している存在です。

私たちは資源を使い、この世で生活をして暮らしを成り立たせています。自然は、それぞれ資源の共有によって共生し合い助け合ってその暮らしをより豊かにしています。

衣食住もまた資源を活用することでつくります。その資源のもとは、自然の他の生き物や存在から得ているものです。当たり前に食べている卵も、またお米もそのどれもが資源でありそれを使うためにはほかの資源の暮らしを保障する必要があるのです。

その仕組みを自覚していた先人たちは、如何に自然が豊かになるか、お互いの豊かさを活かし合っていけばいいかに知恵を絞りました。それが里山循環の仕組みであったり、現在の風土に見合った衣食住の仕組みであったりするのです。

お互いが資源であるからこそ、その資源を大切に活かしきろうとしたのです。私たちの人生も一生も資源を使うことでできています。この身体を使って何をするのか、どう豊かな人生を送るのか。つまりこの貴重な資源の使い道を選択できる自由が一人ひとりにあります。

ある人は、資源を使い私利私欲を満たすためだけに使います。またある人は、それを社会貢献のために使おうとします。本来、貴重な資源を使って私たちは暮らしているのですからその資源がまたほかの資源を豊かにし共生していくことの方が仕合せを感じます。なぜなら、ずっと活かされる存在であり続けることができるからです。

それは言い換えれば永遠のいのちを持っていることを実感できるからでもあります。自分の資源がいただいたもので存在できており、またその資源が子孫や他をずっと活かすためにあると思えるからです。

私たちは資源という見方をすれば、多くの存在の助けによってできた資源です。その資源への恩恵や徳をどのようにお返ししていくか。気づいた人たちはそのために一所懸命にその土地で恩返しをしていきます。それが故郷の資源に還っていくことです。資源を使い消費することばかりを楽しむのではなく、新たな資源を産み出し、その資源でふるさとが豊かになるような取り組みをみんなではじめていくことです。

子どもたちにさらに豊かな資源が譲り遺せるように、真摯に手入れや修繕を通してその意味を伝道していきたいと思います。

 

幸福の原点

昨日は、福岡にある自然農のむかしの田んぼで田植えを行いました。ここは無肥料無農薬で、山水をかけ流しているため沢蟹やエビなどの生き物たちがたくさんいます。

今回は神事も兼ねて田植えをしましたから早乙女の衣装も用意して田植え歌も流しつつ執り行いました。この早乙女というのは、世界大百科事典によればこうあります。

「田植に,苗を本田に植える仕事をする女性をいう。ウエメ(植女),ソウトメ,ショトメなどともいう。本来は,田植に際して田の神を祭る特定の女性を指したものと考えられる。かつては田主(たあるじ)の家族の若い女性を家早乙女,内早乙女などと呼びこれにあてたらしい。相互扶助を目的としたゆい組の女性だけを早乙女と呼ぶ例もある。いずれも敬称として用いられている。田植に女性の労働が重んじられたこともあり,しだいに田植に参加する女性すべてを早乙女と呼ぶようになったと思われる。」

また百科事典ペディアによればこうも書かれます。

「田植に従事する女性。古くは植女(うえめ)ともいい,田植女の総称ではなく,田の神に奉仕する特定の女性をさした。田の神を早男(そうとく)と呼ぶのがそれを暗示する。田植は,豊作を祈る祭の日でもあるので,早乙女の服装は地方によって異なるが,普通,紺の単(ひとえ)に赤だすき,白手ぬぐいをかぶって新しい菅笠(すげがさ)をつける。」

この早乙女は古来から里山の「結(ゆい)」の仕組みとセットで存在し、早乙女たちがそれぞれの田んぼに移動しながらみんなの田植えを手伝いながら神事をし田んぼの神様に喜んでいただきながら豊作を祈り、その場の人たちの仲間を集めながら相互扶助の精神を醸成する役割を果たしたようです。

家々の田んぼをみんなで手伝いながら田植えをするために、早乙女たちが家々の田んぼを巡りながらみんなで明るく楽しい時間を過ごしていたことが目に映ります。豊作を信じて、おめでとうございますという声掛けとともに田植え歌のリズムに乗せて手伝いに来た人たちといっしょに家々の田んぼの稲の苗を植えていく。

きっと、稲もみんなで育てる、田んぼもみんなで守るという意識をもって一緒にその場を磨いていたように思います。田植えをしてからは、草とりから畔の手入れ、そして収穫、はさかけ、籾摺り、脱穀、新嘗祭、しめ縄づくり、藁ぶき屋根の補修などさらに一緒に暮らしていく中での協働作業の機会が増えていきます。

お米という字は、八十八の手間暇がかかるという意味でできた漢字だといえますがその手間暇が協働で一緒に暮らすためのものであるのならこれこそが人類の真の豊かさであることがわかります。

物質的な豊かさや金銭的な豊かさとは別に、暮らしを共にして仲間と助け合い見守りあう豊かさは古今の普遍の幸福の原点です。

今年も稲の巡りとともにしながら暮らしフルネスを楽しんでいきたいと思います。