改革の時機

大きな流れの中で生きる私たちは節目というものは必ずある。

それは外的環境の変化に応じて、内的環境の変化を伴うように、生きている限り内外の変化というのはバランスを取ろうとするものである。

そして定期的に外部に依存して停滞してきたものが、何かの切っ掛けにより変化せざるを得ないところまでせきを切ったように吹き出せばその瞬間を基準に人々の意識に明確になるのが「改革の時機」というものである。

改革とは、外部はそのままでも変化の波を自力の内部から発し行うことであり、過去からのの流れ流れを継承し維持しつつも新しいことを上書き始めることを言う。

つまりは、「温故知新」をすることである。

同じやり方でずっとやっているとある時に、どうしても今までのような方法では抜けることができない壁がやってくる。その壁を抜けようと色々と試してもそれを抜けることができないときこそ一度立ち止まり、どうあるべきかということを再定義し勇猛果敢に意識を発奮し挑戦する時なのであると私は思う。

人は何となくでも続けていたら、次第に独善的になっていく。つまりは自己満足気味になっていくものでもしもそれが好事がやや続いたりするとすぐに慢心していくものである。そのうちに、新しいことを創造することを避けようとしどうしても昔の成功体験や昔の方法に依存していくようになる。つまり、柔軟性を失い頑固に凝り固まっていくのであり進化も変化にも応じようとはしなくなる。

そこにずっと依存してしまえば、何となくどうしようもないという諦め感に近い停滞感が続く、そして差が大きく開いてそれが限界に達した時に事件は起こり身の振り方を考えなければならないと変化を迫られるもの。

だからこそ人はいつも日々新たに改善し続けていくことで自己満足に陥らないように常に質を向上していくことが大切なのであろうと思う。万物が流動し流転するからこそ、怠らないようにしていくのが人の道であり法則なのである。

毎年同じことを繰り返してもその中で如何に今までのものとこれからのものの間にある今を常に見直し続けるか、そしてこれからのために創造し続けるかという事物に対する心の態度が将来を決定づけているのであると思う。

時として事件が起きて変化しなければならないくらい追いつめられることもあるのだろうけれど本来はそうなってしまってからではもう遅い。それは意思の力ではなければ同じことを繰り返してしまうからだ。

やはり過ちから学び過ちをおこさないためにも常に見通した見立てをし危機感と問題意識を持って如何に今の状況を維持しつつその中から如何に新しい今の状況を創造するのかという、この一瞬の中に煌めく変化の哲学と生き方そのものの姿勢が必要になるのであろうと思う。

機会を活かすというのと、ご縁を活かすというのは同質の意味である。
それは、変化に応じて今を生きるということである。

このままでもいいやや、いつかは変わるだろうからや、誰かがやるだろうなどと怠けた心では自分ひとりも救えはしない。そして、自分の人生の責任は自分で果たす人でなければ人々の充実した生を導くこともできはしない。

大切なのは、この今、此処から変わることである。

人は一人では生きてはいけない、寂しいからと孤独を避けていてもそれでは協力することも避けることになる。

人生一期一会だからこそ、計算ではなく今一緒にいることに感謝し、ともに歩む人たちとの永遠の邂逅を楽しむ心で改革を推し進めていきたい。

人は出逢い別れるからこそ、そこに今への感謝がある。

勇気を出して変わっていくことを豊かにし子ども心で楽しみたい。