道理と大義

今の社会の道理と大義についてとても憂いている。

例えば、食べ物であれば買うものであるし病気になれば病院に行くことになっている、それに勉強は学校でするものになり、仕事とは業務のことだとなっている。

元々は、食べ物はいただくものであるし、病気は健康でいるようにすることであるし、勉強は日々に気づくものであるし、仕事とは人のお役に立つことである。

今の社会は、完全に自然界の循環の理から離れおかしなことになっていてこういう社会は長くは続くことはない。今までとこれからがあるならば、今一度、すべてを新生するような機会に恵まれなければならない。

当然人は、今の生活を失うことがないように自分都合に物事を解釈していきたいものである。知らずしらずに慣れ親しんだ生活を守ろうと働きかけていくものであるし、それはもともと過酷な環境で生き抜いてきた私たちの元々の姿でもある。

しかし、これだけ物が溢れ裕福になり当たり前であったこともわからなくなったのであれば何かの事件があってもそれがなぜ起きたのかまで理解できている人は少ないのではないかと思う。

もっと大局的に物事を洞察すれば、目の前のことよりもこの社会の在り方、他人としてのルールを破るからこういうことになるのであろうとも思う。

先祖代々から守られてきた大切なルールをどうしたのか?
情け深く思いやりを守ってきた大切なルールはどうしたのか?

そういうものをすべて忘れてしまうほどの社会にいて、何時の日かはこのようなことが起きるであろうことは予測できるものなのであると思う。

天地の間に人がいることで生きると書く。

その天知人の間に一本通ったルールというものがあるものだ。

人がそれを忘れれば必ず天地はその主としたルールを指し示すもの。このことで私たちが気づけるかどうかが何よりも大事なことなのである。

ここを何事もなかったように通過したならば、世界はこのあと大変なことになるであろうことは簡単に想像することができるもの。

私たちは今、過去に感謝し未来に譲るという大切な使命を帯びている。

天地自然への畏敬を忘れず、ルールを守る事である。

今日は私にとっても大切な決断をしている日。

これからのためにも世界のためにも道理と大義を貫いていきたい。