弱さを愛すること1

人間はみんな弱い部分を持っている、その弱い部分を責めて強くしようと努力するのか、その弱さをゆるして弱いからこそ協力しようとするのかで弱さとの付き合い方が変わってくる。

今回のブログから、その感情の動きを深めてみることにする。

自分の弱さに対して厳しく自分を責める人は自分の弱さに対して怒りや憎しみの感情を持っているからそれを許すとなるとそれは弱さに負けてしまうと思っていることがある。ここでの弱さに対する感情は、もしかしたら自分ひとりになってしまうという孤独への怖さと不安からの逃避である。

人は自分に頑張りすぎたり無理をしすぎるというのは、自分の弱さを隠してそれを鞭打ちながら何とか強くしようとする行為である。それを繰り返し続けていると、自分が必死に鞭打ちさえすれば必ずなんでもできるようになると錯覚したりしているものだ。

そしてそうやって自分を完璧に強くすればいいのだと自分を責め続ければ、他人の弱さも責めて強くしようとしてお互いに傷つけあっていく。弱さは善くないものだとしてしまえばそれを何とか強くしようとするのはお互いに弱さを受け容れられず否定してしまうということになる。

そういうことをやっていたら大事な場面で助け合うことができず、大事な場面で自他を責め立てるようになってきて、後悔や良心の呵責からよりまた自分に厳しくなるという悪循環に陥るものだ。

自分を厳しくしていると、たった一人の自分をよりたった一人にしていくのだからより不安も孤独も増大するものだ。では逆に自分に甘くすればいいのではなく、そういうできない自分を優しく受け容れてそれも自分であると丸ごと愛することなのである。

自分のすべてを受容し、自分の在るがままの姿で生きていくことを選択すれば自分のことを愛することができようになる。逆に自分を否定し、偽った自分というもので無理をすれば自分を愛することができなくなる。

弱さも強さも持っているのが人間である、そして愛するとは自分の都合で好き嫌いではなく丸ごと愛していることこそが愛するということなのである。

そして強さと弱さを正しく理解するには、この弱さを丸ごと愛することからである。
その弱さを丸ごと愛することで真の自分の強さが活かせるのである。

そういう真の優しく強い人だけがちょうど良いバランスのところを持つことができ、弱さを分け合い、強さも活かし合うという「真の意味で協力しあう」という共生と幸福の関係を創造していくことができるものだ。

人は決して一人では生きてはいけない、誰かと欠点や弱さを補い合って生きていかなければ大きなことや夢は実現することはできない。

それに自分ひとりでやったってそれは責任感からやっただけで人生の歓びを分かち合うパートナーなどもいつまでも現れることもない。

自分が許せない感情を許すことは、自分が憎んでいる弱さこそゆるし愛すること。
ゆるしの心で弱さを愛する人にならなければ、真の強さと優しさは持てることはないのだと私は思う。

今の日本の社会をはじめ、世界は孤独を創り続けている。
子どもたちはこの弱さというものを受け容れられず苦しんでいる。

これを解決するのもカグヤのコンサルティングミッションの一つ。

では、弱さということの本質はまだまだ引き続き深めていくことにします。