自然科学

人間の営みの中には、自然に従うものと自然に逆らう作用がある。自然に畏敬の念を払いその偉大な存在に謙虚に自らを修めようとするものと、自然を甘く見てしまい自分の能力を過信し傲慢にしてしまうものがある。

人間は太古の昔より、その2つの側面をよく見つめてきた。

集団で生きる人間は、体と道具などを上手に使い分けて自然と科学を理解しつつ上手に共生する術を得て今のような繁栄と発展を繰り返してきているのだと思う。

そしてそれが大きく分かれて東洋と西洋、自然と科学ではないけれどそれを正しく理解できない人たちによりどちらかに偏ると偏った出来事が発生しまたバランスを取ろうとするのであろうとも思う。

今の時代は、道具や科学が強く偏る時代であろうと思うけれど身の回りにはあまりにも人工物に溢れ人工的に埋め立てられた場所で私たちは人工的に生活をしている社会の中にいる。

しかしこのままあまりにもこちらに偏りすぎれば、行き着くところまでいくことで限界が来る日が必ず来るのは誰にでもわかる。食料危機でもそうだし、人口増加でもそう、今回の放射能汚染をはじめ化学物質による複合汚染などにより新たにバランスを取ろうと元に戻す力が働いてくるものだ。

時代時代に、偏れば揺り戻されるというふうに無為に自然は振り子のように往ったり来たりしてその時代その時代の役割を果たしていく。

これは絶対的な場所で物事を洞察すれば、全てのものは「バランス」というもので保たれていてその中で私たちは生きようとするのはこの世の法則なのであろうとも私は思う。

だからといって今がそうだからだと極端に原始人のような生活に戻れなどとはいってもできはなしない、だからこそ大切なのは自分で塗り固めて埋め立てた人工的な場所を怖し新しく創造しなおしていくことなのである。

つまり温故知新ではないけれど、バランスを維持するためには常に新しいものと古いものを正しく調和し、自立していくことが人間の役割であろうとも思う。

知識や知恵を道具というものを介して培った以上、その使命は私たち人間の手によって新しい道具を上書きしていくしかない。

今回のような出来事を通して、如何に新しいものを生み出していくことが大切なのかを知ることができた。

そして人間が差し出していく手がどのような手であるのか、その手で何を掴みその手で何を行うかということがバランスを取ることになるのか、その自然科学をその手で調和させていくことが大事なのである。

だからこそ、自らが普遍的なバランスを常に優先できるように前後左右に偏りあう時代の中で常に刷新していき自己を探求し創造するよう努めていきたい。

子ども達の活発な刷新を見守りつつ、日々細胞が常に新しくなっていくように、自分を刷新することで次の世代のために貢献していきたい。