弱さを愛すること2

もともと今の人間を見ていたら、遺伝子は必要な部分を残し必要な部分を捨て去れることで時代時代に環境の変化に順応してきたように思う。

それは、時には今までの強さであったものを勇気を出して思い切って捨てて、今まで弱さであると思い込んでいたものを思い切って取り戻すという風に遺伝子の記憶の中にあるものを抜き差ししているのであろうとも思う。

子どもの中にもそれを見出せるし、それに自分の中にもそうやって矛盾を感じるときは同じように感じるままにという中庸であるような感覚を優先しようと本能から働きかけてくる。

しかし、人間は今までそのつけてきた力で内外で評価され称賛されたりしてきたらそれが自分の個性だということになり、権力や執着などともくっつけばなかなかそれを手放すことができなくなる。

一度、自分はこういうものだと思い込んでしまえばどうしても新しいことや変わろうとすることに億劫になっていきうまく順応することができなくなるのであろうとも思う。

一度其処からすべて離れてみることや、自分ではまったく分からないことをやってみることなど、「案ずるより産むが易し」ではないけれど考える前にまず動いてみれば意外と何とかなっていくものである。

考えても考えても動きたくないのは、自分の中にある先入観に縛られているからでもある。先入観があるのは、今までの強さの部分ではないことをやらなければならないとどこか不安を感じるからでありそれを何となく察知しているからである。

新しいことをやるためには、周囲との関係性も新しくする必要があるし、今まで使わなかった力は周囲と力をあわせ補いあっていく必要がある。

それを自分の強みを活かすという。

弱さというものを他人に押し付けようとすることを甘えという。
それに強さを自分で伸ばそうとせず誰かに依存するのも甘えという。

正しく弱さを受け容れて自分からその弱さをも活かし強みに換えることを弱さを愛するという。

つまりはもっと素晴らしい自分を発揮し弱いところをさらけ出し周囲の素晴らしいところを引き出すというようなもので、これは同じ言い方をすれば自分が持っているもっとも素晴らしいところを存分に自らが発揮することでそれ以外は信頼できる人に力を借りるということである。

強みを活かすためには、自分の弱さというものを丸ごと愛することが必要になる。

遺伝子は、時代時代に今までの弱い遺伝子をどこかの記憶スペースに移動させ、その時代に必要な遺伝子を前面に出してくる。しかしその弱い遺伝子は時として強い遺伝子に換わるものだからこそ、弱さも強さも都合次第なのだから実際は全部丸ごとで必要なのである。

この自分を丸ごと愛するとは、自分はすべてを持っているというその存在そのものを愛することである。存在を愛することが信じる事であり、存在のままいられようにすることを信頼関係を持つという。

まだまだ弱さをよく分かってはいない、これからも深めていきたい。