新たな大地へ

人間は、誰しも生きていれば色々な役割を持つようになり次々に何かの柵を背負って生きているように感じることがある。それが、どのようなものなのかは人それぞれに異なっているけれどどんなに自由だといってもその自由は繫がりの中での自由である。

その自由不自由なるものが自分にとって都合の良いものであれ、悪いものであれ、何かしらのその時に選択をしていくもの。その選択をもしも頭でやりくりしようとしたらその柵が邪魔をしてきてさらに袋小路に入っていくもの。

視野が狭くなり近視眼的に欲求を満たしていたら人知れず人を傷つけることになるかもしれない。だからこそいつも日頃から、心を籠めて生きる事であり、そうすることで広い視野と遠くを観て心を定めていくことができる。

それでも節目というのは誰にもやってくる。

節目というものは、竹の節でよくなぞらえるけれどバネがこれから伸びる直前の状態のような感じであろうとも思う。人は大地に根ざせば上へと伸びて生長していくもの。それは自然の摂理だから、根ざせば根ざすほどにその場所での自分が育成されていく。

自然界と人間は、同じように自然の流れにしたがって無条件で様々な出来事をその場所その時に受け容れて「今」というもので共生しているようにも思う。

だからこそあの万物を受容する大自然界と今を同じくするのだから人間は心に澄み切ったものがあればこそ同じく永遠に続いている偉大な広さや深さで物事を包み込むことができるのであろうとも思う。

ひとつひとつの出来事を、心を籠めて動かしていくことこそ大切なことはない。

「至誠神の如し。」

過ぎていく日は戻ってこないし、これから来る日は分からない。
この今だけが至誠である。

この今というものを大切に心を籠め、納得のいくような生き方をしていくことが命を活かすことであり、そこから思いやりに満ちた人生こそが万物すべてを包み見守り育み活かす根源力となる。

それぞれに天命があることを深く信じ、まずは自らの天命に従って生きていこうと思う。

人は大変なことが起きた時こそ、生きざまが全て。

初志貫徹するためにも一歩一歩を踏み固めながら、新たな大地を切り開いていきたい。