人間というもの

人間は長い時間をかけて様々なことを体験してきました。少し前でも時代が今とは異なり、流れている時間も環境も違います。もっと以前、太古の時代にとなるとさらにすべてが異なります。時代時代に、環境や状況、便利さや時間などもすべて変化しますからその時代にしか体験できないことをしているともいえます。

今では、車も飛行機もインターネットもありますがむかしは動物に乗り、自然界の道具で合図を送り合っていました。人間の住んでいる地域も狭く小さく、一生をその環境の周囲で過ごしていたものもあります。大きく変化したのは、人間の移動範囲が広がり、繋がりも拡大したことでしょう。宇宙にも地球から色々なものを飛ばせるようになっていますから活動範囲を広げていくのはこの先も続くのでしょう。

しかし一つだけ変わらないことがあります。それは人の営みです。暮らしの中で様々な体験をして喜怒哀楽を味わう。そして人生という一つの体験を初めて終えていく。肉体を持ち、最後に死が訪れるまでの物語は誰にも等しく訪れますしこれは変わってはいません。

例えば、今のように台風を予測して災害対策をして不安で待っているとします。これが同じように台風を予測し災害対策ができるテクノロジーが古代もあったとしても人間の心境は変わっていません。家族を心配し、自然の畏敬を思い、生きていられることへの感謝を味わう。何百年も何千年も、どの時代も同じように同じ体験を続けてきました。

つまりはここからひも解けるのは、似たような体験を通して私たちは学び、体験を通して知恵を得てはそれを忘れないようにまた同じ体験を続けていくのです。テクノロジーによって乗り越えられたように見えても、実際には人の心は変わっていません。そして当然、幸福も喜びも仕合せも変わっていません。悲しみもまた苦しみも変わらないのです。それが時代という形を換えては、感じ方が変化しているだけともいえます。

だからこそ人間は、時代時代に原点回帰して本来の目的を思い出すことで協力し合って生き延びていく必要があります。どうお金を得ようかや有名になろうかではなく、どう生き残るかということを学び続けることがいるのです。

当たり前に生きられるようになった気がする今の時代だからこそ、どう生き延びるのかということを世界は協力して取り組んでいく必要があります。それは同時に、どういう生き方にしていくのかという目的に取り組んでいくということです。

環境や時代に流されず、人間としての本質をよく見つめ直すことがこの先の時代を生き延びる知恵になります。

子どもたち、子孫のために徳の循環する経済を甦生させ私の役割を全うしたいと思います。