真の知恵

ロシアとウクライナの戦争の局面がさらに進展しています。ある程度、予想通りでしたがいよいよロシア側も国民を総動員して戦争に入り込んでいきます。もともと、特別軍事作戦というように簡単にウクライナを占領できる目算だったものが当が外れたところから泥沼の戦争に入っていきました。クリミア半島のようになるだろうとの予想が外れたともいえます。

この予想というのは、過去の経験が予想を決めます。しかしその予想も過去のものであり、過去のどちらを観るかで変わってきます。教訓ということを観るのか、それとも成功体験の方かでも変わってきます。お互いに失敗の経験から学び、その失敗を活かした方が真に学ぶというものです。

人類は、何度も戦争を経験してきています。その都度、戦争の悲惨さ、理不尽さ、醜さを体験してきました。そこから得た教訓は、人間にもともと備わっている戦争の種をどうコントロールしていくかということです。

トルストイは、戦争というものは、最も卑しい罪科の多い連中が権力と名誉を奪い合う状態をいうといいました。そして内村鑑三は、戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありませんともいいます。

戦争は戦争の心が戦争を起こします。それは、自国第一主義で自分たちの利益や権利を守るために行われます。分け合えば余り、奪い合えば足りず、足りなくなれば他人のものまで侵略するというのが戦争の心です。

資源が豊富にあったときは、もっともっとと貪っていてもありあまる物資があるので戦争は起きません。しかしそれが次第になくなってきたらどうなるか、奪い合いがはじまります。かりそめの平和は、結局は欲を増大させただけで幸福や平和とは程遠いものでした。

老子は、平和を尊ぶ人は武器に頼らないといいます。人生の目的のために知恵を持つことをいいます。知恵とは、平和を維持するための知恵です。どのように生きることが、平和を尊ぶのか。それを私は「徳を積む」ことであると実感しています。

徳が循環する社会をつくれば、真に心の平安と平和が循環するものです。そのために私たちは知識を買うことを休め、知恵をもっと使うことを思い出す必要があります。初心を忘れないこともまた知恵の一つです。

こんな時だからこそ、時代の変わり目に大切な知恵を伝承していきたいと思います。