暮らしの甦生

人は真理というものを外に求めていく人と内なるものに求めていく人がいます。それぞれに外にも内にも見出せるのかもしれませんが、そのアプローチが人によって異なるものです。実際には外側にあるものを信じさせるようなことが多いと、偶像崇拝のようになって形式的なものになっていきます。本来は、形にこだわるよりも中身だということがわかっていても中身がわからないからより外側にまた推し進めていくように思います。

形にこだわりすぎると中身が薄くなっていき、中身にこだわりすぎると形がなくなっていくということは往々にして行われていくことのように思います。それではどうしたらその両輪、総合的にバランスよく行われるかといえばその中庸というか中心の実践によるものだと私は思います。

例えば、自然というものがわかりやすいものです。自然というものは形もありますが中身もあり真理もあります。私たちが自然に沿って自然と一体になって暮らしていると、何が自然で何が不自然かということがわかってきます。旬なものは旬なものしかないし、変化し続けて変わらないものはありません。人工的な生活をしていたら、不便なことばかりですがそれは中身と形が不自然になっていた証拠に気づかせてくれます。

空調がなければ、自分の体の方をコントロールするしかありません。その時、呼吸をはじめ心身を調えることに意識を向ければ真理というものが自己の内面に具わっていることに気づきます。ヨガなどをするとそれを感じられるのも同様のことのように思います。また自然農で畑をすると、自然の植物や生き物たちがどのように生育して活動するのかで外側との共生や調和に真理が顕現します。自分もその生命圏の一部として営みを共にしていくなかで真理と一体化していきます。

この真理という言葉は、宇宙や自然の道理とも言えます。別に教科書や文字で真理を理解しなくても、山にいき一日、山で暮らしてみれば自然にその道理や調和を学べるものです。

私たちは知識によって真理を得る方ばかりを優先してきましたが、そのせいで当たり前の徳の存在や、自分に与えられている様々な知恵を忘れてしまっています。そういうものを思い出すことは、これからの時代を生きていく子孫への偉大な伝承になっていくように思います。

時代が変わっても、普遍的な真理をどうそのままに継承するのか。そこに私は、暮らしフルネスの役割があるように感じています。本来の先人から伝承されてきた本物の暮らしは、実践するほどに自然に内外と結ばれ真理と調和していくからです。

暮らしを甦生して、本物を伝承していきたいと思います。