天命という考え方

最近、若い人たちの間でコスパやタイパという言葉が流行っていることを聞きました。これはコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスの略だそうです。コスパの方は、損得勘定で如何に得をしたかという考え方、タイパの方は、如何に時間が稼げたかという考え方。これは消費するものを前提に考えたときによく使われる言葉ではないかと私は思います。

そもそもコストパフォーマンスはビジネス用語として使われたそうです。費用対効果がいいということで、価値があるという意味になります。その価値は、費用とはある事をするのに必要な 金銭 。 また、ある事のために金銭を使うことをいいます。お金を使うのだったら如何に価値がある方に使うかという意味になります。

なんでもお金で換算するということができればいいのですが、世の中にはお金に換算できない価値というものもあります。時として費用にできない無駄と呼ばれているものでもそこには真の価値があるものもありますからすぐにコスパで考えるというのは大事なものを見失ってしまうこともあるかもしれません。同様に、タイパというのは時間のことですが時間もまた同様に価値はその人のものです。時間が無駄になったかどうかは、その人の生き方や何を学んでいるかにもよるので結果だけをみてスケジュールのみを考えて価値があったかどうかというのを考えるというのも本来の時間という誰にしろ平等に与えられている唯一無二のものを大切だと思うことを忘れてしまうかもしれません。

一般論として、世の中全体がコスパやタイパというものを基準に判断し行動する社会になってきたともいえます。効率や効果ばかりを優先した合理的な社会を推し進めてきたことによるのかもしれません。機械やロボットなどはまさにこのコスパとタイパを極めたところにいるような存在でもあります。

現代、人間というものの価値や人間であることの意味などを考える機会も増えています。本来は、真の豊かさとは何なのか。真の仕合せとはどのようなものか、そういうものを見つめ直す時代に入っているともいえます。子どもたちは将来にどのような希望をもつのでしょうか。周りの大人はどのような生き方をしているでしょうか。

生き方や考え方はそれぞれですが、むかしから変わらない大切な人生の仕合せや喜びなどは子孫へと伝承していきたいものです。引き続き、世の中の風を感じつつも自分の天命を全うしていきたいと思います。