一期一会の味わい

聴福庵で秋から冬の風情を楽しんでいると、色々な発見があります。もう5年目になりますが、毎年、味わい方が変化し豊かさが増していきます。暮らしが豊かになっていくというのは、当たり前の日々が味わい深いものになっていくということです。

遠方より朋来るまた楽しからずやという論語の言葉もあります。

コロナで出張もほとんどできず、家で過ごすことが増えましたがその分、たくさんの友人や同志たちが集まってきました。あらゆるジャンルのお仕事をしている人たちが来ては、あらゆるお話をしてくれます。

その中でもお酒を酌み交わし、石風呂を共にし、共に就寝し、共に暮らしを磨き合う関係はとてもかけがえのないものです。

素のままの姿で接していると、その人の本当の人柄が観えてきます。子どもに戻った時のように、みんな素直でいい人ばかりです。人間は、色々な立場や肩書などを背負って社会では頑張っている人が多いのですが素で人間同士で語り合う場があることは豊かな人生にとっても重要なことだと私は感じます。

そしてその豊かさは、豊かさに生きる人たちの傍にこそ存在するものです。

本当は何のために生きるのか、自分の存在とはどういうものかを日々に確かめてゆとりや余裕をもって確認していくことで仕合せを感じて暮らしを紡いでいくのが人間の素晴らしさでもあります。

忙しすぎる日々というのは、如何にもったいないことをしているのだろうかとも感じます。どんな瞬間瞬間であっても、人が人と結ばれ何かを分かち合えるというのは一期一会の味わいです。

子どもたちに真の豊かさをつないでいくためにも一期一会を楽しみながら、出会いと暮らしを結んでいきたいと思います。

 

薬草の原点回帰

日本の神話には、大国主が薬草を用いて病や怪我を治癒するという話が出てきます。縄文時代の遺跡からも薬草が出てきますから、太古のむかしから私たちは植物を用いて治療をしてきた歴史があることがわかります。

歴史の中で特に私が印象に残っているのは鑑真和上です。

この鑑真和上は688年に中国の唐で生まれ763年に日本で亡くなりました。

そもそもこの鑑真和上が日本に来ることになった理由は、その当時の日本では修行もせず戒律も守らない名ばかり僧侶が増え社会秩序が乱れていたといいます。それに困っていた朝廷は、仏教制度を本来のあるべき姿に整備しようと日本人僧侶(栄叡、普照)を唐に派遣して日本の仏教を正しい道へ導いてくれる人材を探しにいかせました。そして授戒制度を伝えることで日本の仏教の発展に大切な役割を果たしたのです。

この授戒制度は、今でいう資格や免許のことです。

話を薬草に戻しますが、この鑑真和上は平安貴族の文化になった香合というお香を調合する技術を伝え、漢方薬を伝えたのも鑑真です。鑑真が日本へ渡航してきた際の積荷リストには複数のお香や漢方薬などの記載があります。

鑑真は薬にとても詳しい医僧で仏教だけでなく日本の医療進歩に大きく貢献したといいます。目は失明していましたがあらゆる薬を嗅ぎ分けて鑑別することができました。聖武天皇の夫人であった光明皇后の病気を治したこともあり、大僧正の位を授けられました。奈良の正倉院には、その当時の薬の一部が、いまも大切に保管されているといいます。

以前、ある方にその唐招提寺を建立する際、どの場所にするかで土を食べて判断していたということを聴いたことがあります。土の状態でいい土地かどうかを判断する。 目が観えなくてもあらゆる五感を活かして情報を得ていることにも感銘を受けました。

有名な鑑真和上像というものがあります。

もう1300年も前のものでも、今でも生きているかのような木造です。仏教の理想の生き方をした人、仏教の生き様の理想像を持っていた立派な人物であったから人々が慕ったのでしょう。単なる資格や免許を発行する人ではなく、本来の在り方、どうあることが仏教の本義であるかをその人の生き方や実践で当時の日本人を導いたのでしょう。

医療もまた、原点回帰するときが近づいているように私は感じます。対処療法だけを進歩させて最新医療だとしそれに頼るのは本末転倒だと感じています。子どもたちのためにも暮らしフルネスの中で、本物の医療をこれから極めていきたいと思います。

楽観性の意味

人は楽観的な方が物事がスムーズに進むことが多いように思います。なんとかなると思って人は、いいアイデアもうまく繋がり思った以上の成果が入ってくるからです。なんとかなるというものではなく、なんとかしなければでは心のゆとりや余裕も異なります。

この楽観性というものの中には、信じるという側面があることに気づきます。つまり信じている状態で行動するのと、不信で行動するのでは視野の広さも変わってくるように思います。

そもそも考えてみると、人間には現実としてどうにかなることとどうにかならないことがあります。小さな自分の能力ではどうにも解決できないことがほとんどで、例えば仕事であってもその大部分は周囲の御蔭様や力を貸してくださった方々によって実現します。

自分がやったように見えていても実際は、多くの人々の力をお借りしてやらせてもらっただけです。それは歌手であろうがスポーツ選手であろうが、有名人であろうがその周囲の裏方や大勢の方々の力が合わさって実現したものです。

そう考えれば、自分だけではできないと諦めてしまえばかえって多くの方々への信頼や尊敬、また感謝も生まれるのです。そこまでのことが観えているのかというところに、人間の楽観性があるように思います。

私も自分の能力を超えたことをさせていただくことが多々あります。つい周囲は私がやったかのように評価しますし、周囲の依頼から私が一人でなんとかしなければならないような環境に引き込まれたりもします。もちろん、真摯に真心を持って取り組みますがそれは決して一人でできることではありません。

現在、世界のことや日本のこと、未来から逆算して子どもたちに譲りたい社会、そして信仰や伝統文化の甦生などに取り組みますがそれは私は尽力しますがあくまで天にお任せして進めているものです。何か偉大な存在、見守ってくださっているすべて、また神さまのような繋がり続けているものの遺志や祈りの力にお任せする。自分自身は、その力が発揮されるような環境をととのえていくだけです。

天にお任せというのは、運任せでもあり何か投げ出しているようにもみえるものです。しかしそうではなく、全体の大きな流れに身をゆだねながらも自分の分は誠心誠意に取り組むという覚悟でもあります。

そういう生き方をしている人は、全託している楽観性があり信じながら取り組んでいるから偉大な力を引き出したりお借りすることができるように私は思います。今の時代の教育は、なんでも一人で背負い、自分の力だけで頑張るようなことばかりをさせられてきます。それに能力を発揮して、役に立てば評価され褒められています。自分のあるがままの存在を受け容れられないでいるとこの楽観性は育たないようにも感じます。

子どもたちが安心して天命や立命を生きられるように、私自身の取り組みのプロセスで勇気になっていきたいと思います。

自分への御褒美

生きていると小さな頑張りというものがたくさんあります。何かをしようとしようがしていまいがこの世に生きているというのはそれだけで頑張っているともいえます。

肉体であれば心臓が活動し、体温をあげ呼吸をし、血液を循環させています。毎日、老化していきますがそれは頑張った歴史ともいえます。皺が増え、色々な機能が減退していきます。それも一つ一つ、知らず知らずに頑張ってきたからでしょう。

この当たり前ではないことを忘れるほどに私たちは日常を酷使していくものです。これでもかと足りない方をみては、何かと比べられ自分らしくいることができなくなったりもします。これは幼い頃から教育の影響が大きいと思っています。人は自分というものを労われないと他の人を労わることができません。

そういう私も、つい忙しくなると労わることを忘れてしまいます。すると身体を壊したり、周囲への思いやりが出て来なかったり、物を粗末にしたりと疲れてしまいます。疲れは労いのメッセージでもあり、お疲れ様というのは頑張っている自分自身へのご褒美でもあります。

この褒美の字を調べてみるとこの「褒める(ほめる・ホウ)」という字は、「衣」という字を上下に分けてその間に「保つ」という字を書きます。この「保つ」という字は、大人と子どもが寄り添う様をあらわします。保育の字も、子どもに寄り添い見守る姿がそのまま感じになったものです。つまりにんべんが大人の姿で、「口」の下に「木」と書く部分は赤子がおむつをする様。それに「衣」で包み込みふくらんでいる様子が褒めるです。抱きしめたり、おんぶしたりする様子が想像できます。

そこからこの褒めるという字が「ゆるやか、広い」となり、「素晴らしいことや、よいことを賞賛しほめる」という意味をもつようになったといいます。そこに美しいがついて「褒美」になります。さらに有難いものとして「ご」が入り、ご褒美になるのです。

私は子どもに関わる仕事をしていますが、今更ながらご褒美にこういう意味があることをあまり関心を持っていませんでした。しかしよく考えてみると、子どもが素直に育つのにこのご褒美はとても大切なことだと感じます。現在、問題になっている自己肯定感が持てない問題もまたこの褒美や労うことがなくなってきたからでしょう。

見返りを求めることはよくないと教え込まれてきましたが、報いることは大切なことだと感じるのです。今の私たちの暮らしも、多くの労苦があって存在しています。それを労い、労わり、お互いに報い合うことは自分の存在そのものへの感謝の時間でもあります。

今は、頑張りすぎている人が多く、周囲の評価やスピードで疲れている人が増えています。疲れることがよくないのではなく、疲れるほどに頑張っている人たちを労わらないことが問題だと感じるのです。

これは日本の社会全体で発生している閉塞感の根本的な原因だとも感じています。報恩や報徳というのは、一方的に自己犠牲をすることではなく自己感謝をすることではないかと感じます。

自分という存在に感謝する、自分を褒めること。つまり自分への御褒美を与えることは、見返りではなく恩送りであり恩返しでもあり徳積みそのものです。

色々と学び直して、同じように頑張りすぎている人が疲れすぎて孤独にならないように労いと褒美と感謝を実践していきたいと思います。

普遍的な若さ

人間には「若さ」というものがあります。この若さは、年齢的な若さもありますが同時に魂の若さ、精神の若さという心の瑞々しさのようなものがあります。人はいつかは年老いて死にますが、肉体以外のところは死ぬことはありません。つまり若さというのは、普遍的なものであるということです。

この普遍的なものをもって生きている人は、肉体の変化にも関わらずいつまでも若いのです。逆に肉体が若々しくても精神が年老いてしぼんでしまう人もいます。大事なのは、いつまでも心や精神を磨いて挑戦を続けて若さを謳歌していることのようにも思います。

改めて、サミュエル・ウルマンの青春(岡田義夫氏訳)を詠んでみるとその普遍的なものを表現しています。

「青春」

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる
事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる」

改めて、こういう心の持ち方、心の生き方をしていきたいと思うものです。一生一度のこの一期一会を味わっていきたいと思います。

神苑

英彦山に関わっていると、今まで知らなかったこと、繋がらなかったご縁と結ばれています。歴史は、結ぶ人たちがいることで顕現して甦生してきます。宿坊の甦生から新たな物語が繋がってくることに仕合せを感じます。

伊勢神宮に多大な貢献をしたある英彦山の山伏がいることを知りました。

名を、太田小三郎といいます。この方は、伊勢のまちの近代化に尽力した人物として有名で弘化3年(1846)、豊前国英彦山の鷹羽寿一郎の三男として誕生しています。この鷹羽家は代々豊前英彦山の執当職を担った家柄でした。お兄さんは明治の維新の志士で活躍した鷹羽浄典です。

明治5年(1872)初めて神宮に参拝し、ご縁あって古市の妓楼「備前屋」を営む太田家の養子になり、そのまま傾いていた太田家を立て直し、竟には今の伊勢神宮を守った人物です。

当時の伊勢神宮は、宮の中に民家が入り込んでいて神宮の尊厳と神聖が保たれている状態ではありませんでした。そこで彼は「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」と方々に呼びかけ同志を募り明治19年(1886)に財団法人「神苑会」を結成しています。

そして多くの寄付やお布施を集め民地を買収し、すべての家屋を撤去して宇治橋から火除橋までを「神苑」として修繕していきました。現在、内宮の宇治橋を渡った先に広がっている聖地の清々しい場が醸成されたのはこの時の徳積みがあってのことです。

「神宮の尊厳を維持し、我が国の象徴である神宮とその町を、国民崇拝の境域にすべき」の理念は、そのまま英彦山宿坊の甦生でもとても参考になる考え方です。今、伊勢神宮があれだけの聖域になりいつまでも国民に深く愛され信仰の聖地となっているのはこの理念と実践があったからであり、今でもその理念が受け継がれているから伊勢は美しい信仰の聖地として燦然と輝いています。

今、英彦山は同じように大変な憂き目にあってもいます。水害にも遭い、山は荒れて参道周辺には廃墟のように空き家が目立ち、これから民家や営利主義の業者が入ってくるかもしれません。そうならないように、本来此処はどのような場であったのか、そして日本人にとってここがどのような場であったか、それを思い出し甦生する必要を感じるのです。

私たちの尊厳とは、先人たちの遺してくださった大切な灯でもあります。それを守るために、私たちがどのように歴史がはじまり暮らしてきたかを守ることは、日本人そのものを甦生していくことでもあります。

こうやって先人の山伏のお手本があることに心強く感じています。

私も伊勢神宮のような未来を描き、これから英彦山の甦生に取り組んでいきます。

心の風景

時間というのは、変化のことです。どんなに変化がない物質であっても、必ず微細には変化しているものです。変化しているからこそ、変化を感じることで時間を捉えることができます。私たちは時間というものを人生の中の時間と認識しますが、本来の時間というものは変化そのもののことをいうように思います。

その変化は、現実に外界が移り変わっていくもの。また内面の世界が移り変わっていくものがあります。その両方が合わさって時となりますから、この時間というのはとても矛盾に満ちていて同時に不安定なものです。

私たちはその時々の組み合わせから一期一会を感じるものです。

この一期一会は、組み合わせともいえます。その組み合わせは変化の組み合わせから産まれる偶然の一瞬のことです。その一瞬は、外側の変化の一瞬に合わせて内面的な心の状態が組み合わせられ自分にしか見えない景色が現れます。

その景色に心は感動し、今この一瞬に目覚めるのです。

今朝も雨の晴れ間に一瞬、美しい虹が出て心の風景を映しました。

美しい景色をみても何も感じない人もいれば、その景色に涙する人もいます。私たちは景色を磨いていく生き物であり、人生とはどのような景色を産み出したかといっても過言ではありません。

心の景色を大切に過ごしていくことは、変化を味わい変化を愛おしむように生きていくことです。二度とない人生だからこそ、悔いのないように大切な初心のために生きていくこと。

人生の純度を高め磨いていくことは、この心の風景をより鮮明に美しくしていくことです。

一期一会を生きていきたいと思います。

徳積の一灯

仏陀に「貧者の一灯」という物語があります。これは簡単に言うと古代インドの阿闍世王が招待した釈迦のために、宮殿から祇園精舎への帰り道を大量の灯火で明るく照らそうと布施を声掛けします。貧乏な老婆も自分も釈迦のためにとお金を工面して一本の灯火を布施する。阿闍世王の灯火は徐々に消えていったが、老婆の灯火は朝まで消えなかったという話です。

それぞれの解釈の仕方がありますが、この物語はその中身がとても重要な話です。食べるものがなくて貧しくても布施をしようとしたこと、釈迦の教えを説いて布施をする人を集めたこと、単に油や火をつけたのではなく永遠に消えない信仰という火をつけたこと。どんな大量の油や火よりも真心を籠めて徳を積んできた火は尊いということ。世の中のために世界のために未来永劫の子孫のためにという偉大な心で取り組んだこと。ないからできないではなく、徳を実践しようと心掛けたことなどがあります。

釈迦は、説法もしますが実践をされた方です。それは姿からもわかります。布切れ一枚しか持たず、道を歩み、最期まで徳を実践されました。この徳は、仏教では布施ともいい、わかるよりも行動で示されました。

有名な布施には、「無財の七施」というものがあります。言い換えれば、徳を積むための「七つの実践」ということです。眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つです。

眼施(がんせ)は、常にやさしいまなざしでいる実践。

和顔施(わがんせ)は、いつも和やかに笑顔で人と接する実践。

言辞施(ごんじせ)は、優しい言葉で人と接する実践。

身施(しんせ)、自分の身体で奉仕する実践。

心施(しんせ)は、他の人に対して心配りをする実践。

床座施(しょうざせ)は、席や地位を譲る実践。

房舎施(ぼうじゃせ)は、自分の家や部屋を提供する実践のことです。

これは、他人を自分だと思って大切にする実践。自他一体の境地を顕すものです。私たちは自分を大切にするように他人を大切にするときに徳は積めます。決してお金をたくさん持っていなくても、財産に恵まれていなくても徳は積めます。言い換えるのなら、ないからこそ徳の実践はさらに豊かになります。

簡単にできないからこそ磨かれるものであり、それがもっとシンプルで根源的であるからこそ私たちは迷いなく生きていくための真理に近づいていくともいえます。

大切なのは真心で「一緒に積んでいこう」「共に磨こう」というあるないにかかわらず、実践するという純度の高い一灯に真の意味があるように私は思うのです。この貧者は果たして本当に貧者なのか、真の豊かな心を持つ「心の長者=仏陀」ではないかと思うのです。

昨日のブログで心の長者のことを書きましたが、この心の長者は心の豊かな者のことです。そしてこの心の豊かな者の正体は、この貧者の一灯の実践をする人ということだと私は確信しました。まさに仏陀は、誰にもできることであり、みんなが勇気を出して踏み出せばそこには仏陀があるのです。

徳の仲間ができることは、仏陀を産み出すことであり仏陀はそれを同じ人として平等なところで語っているのです。

これからいよいよ地球環境の変化の著しい人類の行く末を決める大きな分岐点に、この貧者の一灯はこの世を明るく照ら光明になるでしょう。子どもたちのためにも、徳を積むことの意味を実践して伝承していきたいと思います。

最善観の覚悟

昨日、「最善観」という言葉を改めて知りました。これは教育者、森信三先生が語った言葉です。この意味は、「いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然である共に、またこの私にとっては、最善なはずだ」という根本原理に沿ったものです。

この最善観、私は「禍福一円観」という言葉をよく使いますがほとんど同じような意味に感じています。人は自分に色々なことが毎日発生してきますが、それを自分勝手に左右に分類してはこれはいい、これはよくないと決めていきます。

しかし、そのどれもは本当は現実には自分に最も相応しいことが発生しているのだと実感する人と、これは自分には相応しくないと分別している人がいるだけです。

本当はすべて必然であり、自分の身に発生したことはそれが現実ですからそれを素直に受け取っていくところによりよい人生が開けていくように思います。つまりいいかわるいかではなく、そこに大切な意味があるという生き方でもあります。自分にとって必ず通る道だから天命として絶対安心して歩んでいけということもあります。

これを西洋ではオプティミズムともいい、楽観性と表現します。積極思考ともいうかもしれません。また別の言い方では、「これでいいのだ」という言葉にも似ています。

最初から自分に与えられた自分だけの人生は、他と比べられるものもなく自分自身が体験しながら自分の道を自分の足のみで歩んでいくものです。その道は誰でもなく自分にしかない道、自分にのみ与えられた道だから善悪関係なく「すべて最善」なことだと覚悟して生きるということです。

時折、何で自分がとか、誰かがやるだろうとか、他の人の方がなどと思うこともあるものです。もしくはなぜ自分がや、どうしてこんなことにと悲嘆にくれること、もしくは自分にはもったいないや、自分にこんなにもという恩恵もあるかもしれません。しかしそのどれもをそのままあるがままに受け容れることで最善観を持つことがその人の人生を真に生きることになるように思います。

私はよく考えてみると、まだまだ世間の刷り込みが多く入り込み自分自身というものを正しく認識することができないでいるように思います。というよりも、日々の刷り込みの中で本当の自分、主人公としての自分を日々に顔を洗い目覚めていく鍛錬が不足しているようにも感じます。

自分にしかできないことをやるには、誰とも比べられない自分を生きる必要があります。森信三先生が日々の実践に生きたように、私自身も絶対必然、最善であると自分を鼓舞して素直に謙虚に生きていきたいと思います。

この世のすべての御縁を一期一会と共に歩んでいきます。

ありがとうございます。

螺旋の真理

私は法螺貝を吹いています。この法螺貝はとても不思議で、螺旋の形状をしており音が螺旋状に回転しながら空間に広がります。二つ以上の法螺貝を同時に吹くと、その螺旋が合わさり調和して独特の波動を体感できるほどに振動を味わえます。このような螺旋運動は、宇宙の摂理でもあり私たちの生き方を原点回帰するときにも必要になるように私は思います。

私たちの身体をはじめ、すべてのものはこの螺旋でできています。螺旋は、一つの理解としては遠心力と求心力があります。つまり外に向かって広がっていく力があること、そして内側に向かって深めていく力があることです。

この外と内に向けた力の調和、それが螺旋の本質だと私は直観しています。

宇宙を見てみるとそれはわかります。宇宙は外へといつまでも広がっていく、そして私たちは自分自身という内なるものを磨き上げて深めていこうとする。これが一つの私たちが宇宙でしている体験であって、それを形を変えては宿命的に行い続けているのです。

これは決して物だけでもなく事でも同じです。

時代が循環し世界は広がっていく、同時に私たちは時代を経てさらにさらに奥深い場所へと真理を到達させていく。つまり、この螺旋の外へと螺旋を深くは同じ意味であるということです。

呼吸を吐いて吸うように私たちはこの広げることと深めることといつも繰り返し行っているということです。これは海の波も同じく、そして朝と夜も同じく、男女も、そして生死も同じです。

私が法螺貝を吹くのは、深めたものを広げるためです。

今、世の中はグレートリセットを求める気風が出てきている時代です。日本語だと原点回帰というのでしょう。そのためには、今一度、それを実践で取り組む必要が出てきます。

法螺貝にはその可能性があると私は信じています。

引き続き、子どもたちの未来のためにも自分に与えられた使命を全うしていきたいと思います。