開発する悦び

人は誰しも何かの問題が起こったとき、どうすればいいかを考える。
しかし単に「考えること」と「考え抜く」こととはまったく異なるものだ。

自分は何かを創り上げることによく夢中になる。
ひょっとすると経営者よりも開発者かもしれない。
でもそれは人がいるから創りたいわけで、自分だけが満足するからやるわけではない。
自分が大好きな人のために、自分以上に創りたくなるのだ。
やってあげたくなるというか、形にしたいというか、とても不思議な感覚がある。

モノを生み出すという行為は何か自分のやりたいことが趣味を完全に超えていったとき使命になる。お客様や現場の声だけではなく、何かどうしてもやむにやまれぬ問題を自分がどうしても発見してしまうのだ。そして、それを解決することが大好きな人たちに喜んでもらえると思うともう心は止まらない。

そうすると、ずっといつまでも思考は途切れずに考えはじめるようになる。
そうなってしまったら何があろうが長く休みをとろうがそのこと忘れようとしても忘れられないし、もし忘れてもすぐに記憶に呼び戻ってくる。それが「考え抜く」という境地に入っていることが最近分かった。

「考えること」は、通常でいうところの日常的な世間でいう所の単に考えているという状態。 「考え抜く」とは、集中して集中から逃げずに脳が疲れ果てて、もうこれ以上駄目だと考え続ている状態だったり、辛く苦しくこれ以上はどうしようもない気持ちになっているのだけれどそれでも最後の力を振り絞って常に考えるほどになった状態。本当の楽しさとは苦しさの中か後にしかやってこないこともこの開発という行為で学んだ気がする。

あの徹底的に考え抜いた後にやってくる時に訪れる静かな直感と湧き上がる情熱。これ以上無理だと寝ても覚めても考え抜いたときに稲妻のようにやってくる突然の答え・・・開発することは人生最高の悦びだ。

そしてそこまで考え抜いたら後はたった一つの決意に繋げていくだけだ。
「誰が何と言おうと・・」という気持ちだ。
迷いもなく悩みもなく、全身の要らない力が抜けて自然体になる。

子どものときの飽くなき好奇心と諦めない我武者羅な夢と童のような透徹した純粋な心。それが今の私を支えている。

もっと、子どもたちには心から夢中になれるものをもっと見つけて欲しいと願う。