意味への到達

日常の出来事の中には、確かな意味が存在している。
大事なことは、結果がどうだったかだけではなくその経過がどうだったかだったりする。
そこに確かな意味という名の、価値が必ずどこかに潜んでいるものだからだ。

以前、師匠から教わったことに「どの時点を成功とみなすか」ということを深く考える機会を得た。

私の友人の中でも、ベンチャー企業を立ち上げ社長をしてナスダックに上場を果たした方もいる。もしくは、やむにやまれぬ成長志向で他より抜きん出た速度と株主満足にひた向きに突き進んでいる方もいる。
でもみんな早く早くを掛け声に、無理をして突っ走っている感じがする。

先日、私が購読している「致知」という本で連載をしている陶芸家北川八郎先生を熊本阿蘇の山奥まで尋ねた。その時に、北川八郎先生が仰った言葉が今でも脳裏にやきついてはなれない。

私が子どもの為に実現したいこの夢を早く達成するにはどうしたらいいのかを伺ったときに仰られていた言葉だ。その答えは私の予想と大いに反していた。

「そんなに、早く到達することに何の意味があるのか?私は、早く到達した人たちがその後どのようになっていったかも知っている。自然の中に同じ葉がないように人それぞれ浴びる光も成長速度もみんな違うのだよ。だからね、ただただ自分に還り自分自らを高めていけばいいのだよ・・」

同じように藤森先生からは、「どうしても遠くを見ようとして船酔いをするなら、風景を観るようにすることだ」と教えていただいたことがある。

先日読んだ本多静六氏の著書にも感動する文章を見つけた。

「決して散る花を追うべからず、出づる月をただ心静かに待つべし。」

きっと、極めている方々はこのような心境をお持ちなのだろう。

他にもたくさんの啓示を多くの方々にいただいた感謝は忘れられないことばかり。

今振り返ると本物は一目見たときから醸し出しているオーラが他人とは違うなとつくづく思う。

以前、ヤオハンの和田一夫さんと仕事をしていたときも同じような感じだ。
あの方も、歩いている姿だけで人を圧倒するオーラがあった。
感謝と感動の人生の賜物だと、感動日記を見たときの衝撃は今でも忘れられない。

何か深い意味を帯びている生を歩む人たちはみんなオーラを纏っている。

さて、では私は今起きている出来事の大事な意味をどこにつなげるのか?

私は大事なことは、今ではなくどの時点の夢を追っているかだと決めた。
身の回りには色々な人たちがいて、常に強烈な思想で自分の心胆を試したりする。
でも、それもまたよしだと思う。
そうやって、心も意志も希望も夢もすべてが陶冶されていくからだ。

私は、この保育業界に習って7年ほど。
いわば、まだ保育界で言えば生まれたてか1歳児くらいだろうと思っている。
もっと多くの方々と邂逅を求め、芯から学んでいこうと思う。

これから自我が芽生え、大事な何かの意味を帯びてくるはずだと信じて学びは静からという原点の気持ちのまま明日も一歩ずつ進もうと思う。