サムシンググレート1

先日、致知出版社主催の筑波大学名誉教授の村上和雄先生の講演を拝聴してきた。
村上和雄先生は世界に先駆けてヒト・レニン遺伝子の解読に成功した方で遺伝子学ではかなり有名な方だ。講演内容もどれもとても興味深かったし、村上先生の存在が醸し出す温かさも心情の豊かさも素晴らしいものばかりだった。

特に講演での『サムシンググレート』の存在のお話しは発見だらけだった。

「遺伝子には人間が生まれてから死ぬまでの間のすべての情報が前もって書き込まれている。こんなに大量の情報がどこからそしてどうしてそれが集まってきたのか?そしてどのような仕組みでいったい誰が書き込んだのか?それを考えると眠れないほどになった。」

それが研究を始めるキッカケだったそうです、確かにかなり気になります。

 ニンゲンは未知の存在、それを遺伝子で解明していく・・・・

私の好奇心をそそる内容で、目も耳も心も一瞬たりとも離せませんでした。

「人間が遺伝子のスイッチをいつもオンオフしながら規則正しく指令をだしている。それはいったい誰なのか?意識ではなく深い遺伝子の記憶にある・・・」

「人間にはまだわからない『未知の何者か』がニンゲンの遺伝子をコントロールしているとしか思えない、例えて言えば神や仏と呼ぶ存在かもしれないし、大自然の摂理といったものかも知れませんがこんな不思議なことはない・・・」

そしてこの神秘な存在を『サムシンググレート』と名づけることにしたとのこと。この「サムシンググレート」は科学者が語れるギリギリの範囲の言葉だそうです。一歩間違うと、怪しいだとか宗教だとかになるからだそうです。

しかし神秘に満ちている遺伝子の世界の話だけど、「人間は一体どこからやってきたのか」という深い哲学にも繋がっているように私は感じた。
まるで大宇宙のことを感じるような話しに私も夢中で聞き入っていました。

著書もさることながら講演中のどのお話しをお聞きしていても、好奇心をそそる内容ばかりだった、ぜひまた著書を拝読しご縁をいただきたいものだ。

そしてひとつ、私自身でまた発見があった。

分からないということは、ある意味においては素晴らしいことだということ。
分かってしまうということは、寂しいことかもしれないということ。

分からないことを受け入れ、それを解明するというこで得られる「過ごした意味の存在」こそがもっとも大事なのだろうとも・・・

求めることが正しいと言ってしまうのは簡単だ、でもその過ごした時間の中で手に入れるものはきっとそれぞれだけが持つ深遠なものだしその人だけの神秘的な何かの「気づき」なのだろうとも思った。

これは「見守るほいく」ソフトにも相通じる真理だが、やはり人は分からないものを知ろうとするときに得られるこの『気づき』こそが自他共に受け与えることができる最上の真価なのだろう。それが大事であればあるほど、求める力はより強くなってより答えに近くなっていくのだろう。

人間というものを科学者として科学する深遠な問いを遺伝子で見つめるこの村上和雄先生の洞察は未来の子どもたちにもぜひ伝えたいと思った。

このような方が、子どもたちに人間の存在を科学から語っていただける機会があればもっと神秘な存在も自然に受け容れることができる子どもたちになるのだろうなと。

そしてそうなればと心から願い、この科学するという意味とその道が見得てきた最上の一日となった。