徳積の初心

論語の大学には、「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領と「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目があります。これらは、大学のはじめにある「大学の道は明徳を明らかにするにあり、民を新にするに在り。至善に止まるに在り」に続くものです。

この大学はとてもシンプルです。人間が自然の道に入ること、自然であるとはどういうことか、自分になるということ、自分であることの大切さを説いているように私は思います。自分の原点、改良される前、真に澄んだ素直な自分であることがわかれば徳は明らかになります。その徳を使って、今度は世の中も同じようにしていけば天下は永遠に平和になるということでしょう。

しかし実際にやるのは簡単ではありません。歴史というものは、改良や刷り込みの連続ですからもはや最初が何だったのか、原点が何か、根本はどうかなど知ることがほとんどできません。それを真に実現するには、先ほどの三綱領や八条目の実践が有効だと言っているように思います。

二宮尊徳先生は、幼少期から亡くなるまで大学を手放さなかったといいます。まさにそのような生き方をされ、天命を全うされました。

二宮尊徳先生の語録191にこのようなものがあります。

『孔子は、「大学の道は、明徳を明かにするに在り。民を新(あらた)にするに在り。至善に止まるに在り。」と言った。これを田畑にたとえれば、明徳が物欲に覆われているのは、荒地ができたようなものであり、明徳を明らかにするのは、荒地をひらくようなものである。そしてその産米を得たならば、その半ばを食って半ばを譲り、繰り返し開墾して荒地を起させていく。それが「民を新にする」ということである。そして、この開墾と推譲の道は、万世までも変るべきではない。これが「至善に止まる」である。』と。

意訳ですが二宮尊徳先生は、誰もが捨ててしまった荒廃した田畑を開墾してそこでお米を収穫できるようにしました。そのうえで収穫したものを全部を使い切らず、半分で生活をさせ残りの半分を翌年や今後のために譲りました。それを繰り返し行うことで、人々の暮らしが調っていきました。それを遣り続けることこそが最善の永続であり自然の循環であるとしたのです。

もう一つこういう言い方をします。

『私の本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天から授かった善い種である仁・義・礼・智を培養して、善種を収穫し、また蒔きかえし蒔きかえしして、国家に善種を蒔き広めることにある。大学に明徳を明らかにするにあり。民を新たにするにあり。至善に止まるにありと。明徳を明らかにするは心の開拓をいう。』

私が真に取り組んでいることは、荒廃した田んぼのようになった人々の心の荒廃を開拓して、もともとその人が先天的にいただいた徳、つまりは真心や思いやり、やさしさなどを培養し、その心の種をみんなから集め、その心の種を何度も蒔いては蒔いてそれを国全体に蒔いて広げていこうとしたことです。大学の明徳とは、つまり心の開拓をすることです。

自分自身が心を開拓され、その真心や思いやり、やさしさに触れたからこそその心の種をもっとたくさんの人たちに広げていこうと思うものです。見守られた人は見守りたくなり、信じられた人は信じたくなります。それはそうやってその人の心の中に、その種が蒔かれて芽生えたからだともいえます。

私が取り組む実践は、この二宮尊徳先生と同じ志です。

元々の徳を明らかにして、生き方を調え、いのち徳積みの実践を丹誠を籠めて弘めていきたいと思います。世界が平和になるように、私のできることから今、この場から今日も取り組みます。

自然と聴く

私が尊敬している教育者、東井義雄さんに「ほんものはつづく。つづけるとほんものになる」という言葉があります。時間をかけて伝統や老舗を深めていると、理念が本物であるからこそ続いているのがわかります。

この本物というのは、自然に限りなく近いということだと私は思います。自然は人工的なものを篩にかけては落としていきます。自然に近ければ近いほど、自然はそれを自然界に遺します。つまりは本物とは自然のことで、自然は続く、続いているものは自然に近いということでしょう。

この自然というものは、人工的ではないといいましたが別の言い方では私心がないということです。自然と同じ心、自然の循環、いのちの顕現するものに同化し一体化しているということでもあります。

私たちが生きているのは、自然のサイクルがあるからです。水の流れのように風の動きのように、ありとあらゆるものは自然が循環します。自然の心はどうなっているのか、自然は何を大事にしているのか、そういうものから外れないでいるのならそれは「ほんもの」であるということです。だからほんものは続くのです。

歳を経て、東井義雄さんの遺した文章を読めば読むほどにその深淵の妙を感じます。生きているうちにお会いしたかった一人です。

その東井義雄さんが遺した言葉に、こういうものがあります。

「聴くは話すことより消極的なことのように考えられがちですが、これくらい消極的な全身全霊をかけなければできないことはない」

私は、聴くという実践を一円観で取り組む実践者でもあります。この聴くという行為は、全身全霊で行うものです。ただ聞き流しているのではなく、いのちの声を聴くこと。万物全ての自然やいのちからそのものの本体を聴くということ。そういう自然の行為をするのなら、この世の中は福に転じます。

私が日本を立て直すという聴くことの本意はこの自然と聴くというものに由ります。子どもたちに少しでも善い世の中にて推譲していきたいと思います。

日和見実践

体調を崩すと自分の身体の免疫の御蔭で健康でいられることに気づきます。もともと健康が当たり前と思っていると、健康のことなどを気にしません。空気があること太陽、水があることのように当たり前になるとそれがなくなれば死んでしまうように本来はこの身体が健康であるから私たちは生きていられます。

その健康は病気になって気づけますから、人間というものは両極端、陰陽があってはじめて様々なことに気づく力を持っているともいえます。

人間の大腸にも、善玉菌と悪玉菌、そして日和見菌というものがあります。この菌たちの絶妙なバランスで免疫を保っているともいえます。この善悪も善し悪しだけではなく、悪も必要で病気と同じように免疫を助けてくれています。その際、日和見菌というのはどちらでもなくその時々の状況で善玉菌になったり、悪玉菌になったりします。腸の中の善玉菌と悪玉菌の割合は、2:1だといいます。善玉菌は全体の20%で、悪玉菌は10%、日和見菌は全体の70%という構成です。

この日和見とは、江戸時代頃の日本の天気観察から来ている言葉です。事の成り行きや様子を伺いながら、形勢を見て有利な側方に追従するというような意味です。そう考えてみると、中庸的な存在が日和見菌でありバランスを保っているという見方もあります。善玉菌が常に優勢の方が健康とありますが、全部が善玉菌になることはないというのはそこに意味があるように思うのです。そして全部が悪玉菌ということもない。しかし、見方によっては全部が日和見菌であるという見方もできるように思います。

現在分かっていることに腸は第二の脳と呼ばれています。脳も本来は心身を守るために、調和を保つための機能を持ちます。同時に腸もまた心身の様子をみて腸内でバランスを調えようとする。これは脳も腸も自然の天候と同じように、常に日和見であるということです。

人間はもともと自然と共生しているときこそ日和見を重視していました。船を出港するのも、山に入るのも天気や雲、気候をよく観察して判断をしていました。それだけ自然の調和に近づき、その調和に逆らわないという生き方をしてきました。よく天候が荒れたり気圧が変わると頭痛や体調が悪いこともありますがその当時の暮らしの身体の名残かもしれません。

この身体はいわば自然の一部ですから、腸がどのような状態か、そして脳がどのような状態か、そういうものをよく日和見することで自分の状態をよく観察することは大切なことだと思います。

自分を知るということは、簡単ではありませんが日々によく日和見実践をして暮らしを調えていきたいと思います。

帰る場所

人は心が帰着する場所というものがあるように思います。それは安心する場所のことです。ある人にはそれは帰る家があるともいい、またある人は心の故郷と読んだりもします。帰るところがあることは仕合せなことです。人はそれぞれに安心できるところがあるかが重要です。それは仕合せであるかということと通じているからです。

例えば、生まれてきては親という存在があります。自分一人だけでは生きてはいけない存在で誕生し、どうしても親の助けが必要です。自分のいのちを守ってくれる存在に出会うことで私たちは安心を得ます。その安心は、偉大な信頼でもあり幸福でもあります。自分を守ってくれるという絶大的な安心です。これがあることで、私たちは多少不安なことがあっても心配があっても前進していこう、挑戦していこうという気持ちが湧いてきます。守られているということを実感するところが帰る場所ということでしょう。

そういう意味では、私には帰る場所がたくさんあります。気が付くと、私たちは安心の場所を求めては移動して心を守り育てています。私たちは安心の繰り返しで心身が成長していくのであり、見守られたことによって自他自己に対する偉大な信頼が醸成されていきます。一度きりの人生において、守られて生きたということの幸福や感謝はなにものにも代えがたいことです。

人が家族をつくり、仲間をつくり、助け合い、守り合うのはみんなにとっての大きな安心、帰る場所を創造しています。同時に、今まで守られたことを思い出す場所や、今も守ってくださっていると感じるご先祖様や、深い関係性を築いたお守りのような存在も帰る場所です。

帰る場所があることは仕合せです。

人の仕合せを増やすことは、安心基地をその人の心に増やすことです。私が取り組んできた半生はその帰る場所づくりだったのかもしれません。これからも人々の幸福、そして子どもたちの仕合せを創造していき自分がいただいた感謝を多くの方に光を伝承していきたいと思います。

いつもありがとうございます。

鏡餅の徳

先日、鏡開きをしてその御餅を家族や仲間と一緒に食べることができました。お汁粉にしたりあげ餅にしたり、焦がし醤油であぶったりとどれも美味しく元氣をいただきました。

もともとこの鏡開きの由来は、室町時代や江戸時代の武家社会で行われていた「具足開き」にあると言われています。むかしの武家社会では、床の間に飾られた具足(甲冑)にお正月の鏡餅をお供えする「具足餅」と呼ばれる風習がありました。お正月が明けたあとに具足餅を下げ、木槌で割って食べる行事でした。もともとは1月20日に行われていてこの「20日(はつか)」の読みが「刃柄(はつか)」に通じ、「刃柄」を祝うことで武運長久を祈る行事だったといいます。江戸時代に徳川家光が亡くなった日がこの日だったため1月11日になったともいいます。

この御餅を包丁で切ると、切腹を連想させるため縁起が悪いということもあり手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使うといいます。

もともと歳神様を迎え入れ、正月の間、床の間に御鎮座いただきその依り代であったこの鏡餅をいただくことで私たちはその歳神様のお力を分けていただくというものもあります。お米の中にある無限の元氣を取り込んで一年の力にしていくというのが私たちが大切にしてきた伝承です。

私はお米作りもしていますから、種まき苗育て、田植えに草とり、収穫に干して脱穀し炊飯をするまで本当に多くの手間暇と大勢の人たちの見守りでお米が成立していることをいつも実感しています。みんなの力を合わせてはじめてお米が食べられるという当たり前のことを有難いと実感するのもこの鏡餅の行事で場を調えていただいているからかもしれません。

私たち日本人にとっての「和」とは何か、神様として大切にしているものが何か。それはこのお米に関わる協力や助け合いの精神が根源であることがわかります。協力し助け合うことの有難さ、美味しさは格別です。

この世に産まれてきて、どんなものを食べるか、どのように食べるかは、その人たちの生き方が決めるものです。先祖代々、どのように暮らしてきたかを思い出すことで私たちは生き方を磨きます。

子どもたちにも大切な精神や生き方を譲り遺していきたいと思います。

士魂の場

志というものや魂というものは受け継がれていくものです。自分というものだけではない存在、何か自分を超えたものの存在を感じることで私たちは志や魂というものを実感することができるように思います。

例えば、ご先祖様という存在があります。これは、今の私が産まれるまで生きてこられた存在ですがその先祖がどのような志で生きてきたか、どのような魂を持って歩んできたかは目には観えなくても自分たちの心や精神のなかで生き続けて宿っているものです。不思議なことですが、長い時間をかけて先人の生き方を尊重し子孫がその遺言や生き方を受け継ぎ、さらなる子孫へと譲渡していく。その生き方こそが志や魂にまで昇華されてご先祖様と一緒に今も生きているのです。

他にも考えてみると、志を生きた人や魂を磨き切って歩んだ方との出会いは自分の人生を導いてくれているものです。道を教えていただき、道を実践するようになったのもまたその志や魂に触れたからです。そういう先輩や先人、仲間や同志に触れることで志や魂はまた多くの方々に受け継がれていきます。

この志や魂は自分のものですが自分のものではありません。何か偉大なもの、繋がって存在しているものです。そういうものを実感することで自分の中にもあり自分のものではないものと結ばれ一つになります。

離れていても、身が滅んでいても、この世に存在していないようでも意識をすれば目に見えないところで一緒に歩んでくれているのを実感するものです。

徳は孤ならず必ず隣有りというのは、この志や魂のことをいうように思います。自分に与えられた場所、そして境遇で如何に平時から志を立て、魂を磨く実践に取り組むか。

毎日、一期一会に出会い続ける士魂に勇気や愛を感じるものです。

子孫たちにさらに精進したものを譲渡せるように、日々を大切に過ごしていきたいと思います。

天地の学

天地自然の法というものがあります。これは誰かが教えたものではなく、誰かに倣うものでもありません。人間が人間として解釈するのではなく、自然がそのままに存在して運行するものです。

私たちは便利に誰かが観察したものをもってそれを理解して分かった気になれるものです。畢竟、便利さというものはどこか大事なものを欠けさせているものです。結局、便利なものに縋って生きてしまうと便利なものが大事なことになってしまい本来の天地自然の理などは後回しになるものです。

先人たちの中には、安藤昌益や三浦梅園のように誰かの教えたものを観ずに直接天地自然を観察した人たちがいます。本来、人はその師をどこに置くかでその求めているところを直観するものです。

その直観は、人が疑問に思わないところ、当たり前すぎて考えもしないところに置かれるものです。誰も考えないというのは、それくらい当たり前にあって気づかなくなっているものです。

例えば、この呼吸というもの、身体の神経、他にも光や影、空間や場などもです。あって当たり前のもの、なぜそれがあるのかを考えるところに自然を観察するための入り口があります。

なぜというのは、真理の入り口でありそのなぜをどの場所でなぜと思うかで人は学びの場所が変わるということでしょう。

これだけ知識が増えて複雑になった世の中では、知識はさらに便利なもの、特殊なものばかりに偏っていきます。しかし天地というものは、悠久に変わりなくこの先も永遠に普遍です。本来の学びというものは、何を主軸にしているかで自分たちの在り方も変わっていきます。

後世に名を遺すような偉業、つまり子孫たちのために何をすべきかを問う学問は常に天地と正対しているものです。

私も先人たちの生き方に倣い、脚下の観察と実践を味わっていきたいと思います。

今と歩みを振り返る

昨日は、英彦山守静坊の煤払いや室礼をしてご祈祷したのち氏神様の宗像神社へご参拝してきました。朝から100年以上前の杵と木臼、また木製のせいろも大活躍でみんなで和気あいあいとお餅つきをしたものを鏡餅にしました。お米も自然農法でつくれたもので、安心、美味しくできたお米です。

心をととのえていくなかで、一年間の感謝や御礼をあらゆる人や物へと心を運びます。日々の出来事には、複雑な執着やご縁もありご迷惑をおかけしたものや人への思い出、あるいは助けて頂いた思い出、数々のことを教えていただいたことなども脳裏をよぎります。その一つ一つを、福に転じていこうとするところに素直に伸びていこうとする活力が芽生えます。

人はいろいろな人に出会うことで、数々の生き方を省みることができます。あの人はこう生きるのか、この人はこう生きるのかと、それぞれの生き方が参考になります。そして自分はどう生きるのかと向き合えるものです。

人間は誰しも平等に生き方というものを決めていくことができます。運命や宿命に対して、どのような使命を生きるかはそれぞれの自由です。どれだけ過酷な状況下であっても、普遍的な生き方をする人もいます。あるいは、恵まれ過ぎた環境に漬け込まれ流行に流されるような生き方もあります。それに人には生き方の癖というものがあり、その癖があるから体験方法もそれぞれに異なります。

そういう時、有難いと深く感じるのは先祖を実感するときです。御先祖様というものは、私たちが今に生きるまでずっと繋がっている存在です。この今も、心を見つめると一緒に先祖が語り掛けてくるものです。その声に従って生きているとき、私たちはあらゆるものが同時に重なりあって生きていることを実感します。おかしな話ですが、色々な人生を同時に生きている状態になっているのです。

私たちは網の目のようにあらゆる人生が場に重なりあって存在しているものです。それが見事に結び、絡み合い、時には絆になりながら時を進めていきます。眼に見えるものや、頭で理解できるもの以外にそこには一つの答えがあり答えを生きる自分があるのです。

年末に自らが静かに振り返り瞑想をするのは、そういう自分というものが今何処にいて何をしようとしているのかを味わう時間でもあります。この一年の節目に、出会いを整理して歩みを深めていきたいと思います。

場を育てる

「場」をつくるなかで大切なのは、主語はどこになっているかということがあります。人はすぐに自分というものを主語にして語りますが、本質を突き詰めていくと自分というものが邪魔になることがあります。それはなぜかというと、本物を求めているうちにモノや他との境界線が消えていきそのものと一体になるからです。

これを私は自他一体の境地と呼んでいます。相手が自分であり相手も自分になるというものです。それだけ一体に同化している状態になっているというものです。これを私は「場」と呼びます。私のいう「場」は元々は、分かれていないものです。そこには例えば、過去からずっと今も生きている歴史の場であったり、あるいはすべてのものが関わり繋がりあって網の目のような場であったり、またあるいはみんなで心を一つにあわせて一緒に取り組む場であったりします。それくらい分かれていないところにあるのが本来の「場」ということになります。

その場を醸成するためには、あまり他人軸の自分やエゴが強すぎると育たないものです。無私や無我に近い方が、場は良く育ちます。

例えば、場に喜んでもらおうとすることや、みんなの喜びが自分の喜びになっているような実践や取り組みをする方がいいという具合です。

自然界というもの、宇宙に至るまですべては自分というものはありません。生命であれば細胞にいたるまですべてが繋がり結び合って存在します。この世に孤立しているものなどは一つもありません。そういうものを理解していることが重要で、そのうえで自立するということが命題でもあります。この自立というものは、独立自尊の時の自立であり協力し合うという共生の中の自立です。つまり、助け合い、持ちつ持たれつ、御蔭様といわれているすべてと活かしあうときの自立です。

「場」には、その自立や調和、共生などあり方や生き方が問われます。そしてこれはテクニックではなく、まさに自覚と実践によって行うものです。

最近では、場というものが便利に知識的に理解されほとんど表面上の浅いものになっています。場もいのちのある生き物ですから、その場を守るための精進も必要ですし、お手入れが欠かせません。

私が取り組む場の道場では、その辺を実践によって知恵を伝承していくものです。子どもたちに先人からの知恵や真心の道が繋がっていくように丁寧に場を育てていきたいと思います。

日本人の原型

日本人の原型というものがどのようなものであったのか、それは日本人の心の原型を探っていくと直観できるものです。その一つに万葉集というものがあります。万葉集は、むかしのやまとのクニがあったころの人たちがどのように生きて、暮らしたいたのかの余韻を味わえるものです。

この余韻は、心の余韻です。素直にその土地でその場所でその出来事や事実において心情をそのままに詠んだもの、それが万葉集です。詠み人知らずのようなものがたくさんあり、当時の人たちの心がそのまま言葉に乗っています。

それを味わい、思い出すことで心の原風景を省みているとそのどれもが物事を常に楽天的に捉え、全てを受け容れてそれを味わい仕合せを求めた姿があります。あるいは、あまりにも受け入れがたいものはそのままに心を伝えているものもあります。私たちがその万葉集の言葉を詠むとき、その出来事の供養にもなりその人の心を慰めるものでもあります。

人生というものはいろいろな体験を通して一生を終えます。その一生は悲喜こもごもにあらゆる感情も心も揺さぶられ味わうものです。生きていくのは大変ですが、それでも体験したいというのがいのちの本体ですから様々な姿に顕れてはそのすべてを感じて味わっていのちは充実していきます。

先人たちはどのようにいのちを充実させてきたのか、そしてこの世でいのちそのものの味わいを楽しんだのか。それもまた万葉集の中に遺されています。こうやって生き方を継いでいくことは本当は何ものにも代えがたい知恵であり希望です。

子孫たちは先人がいることで安心し、そして先人もその子孫のことを深く思いやります。連綿と続いていく歴史の中で、何が譲り遺していけるのか。いつか土に還る私たちは、土から出てきて地上の楽園を謳歌します。その土の上を歩き、踏み固めていきますが歴史は土の中に埋もれていきます。

いつまでも新しい芽が出てきますが、その新しい芽は希望の芽です。

万葉人のやまと心には、仕合せの原型があります。暮らしフルネスにおいてこの仕合せというのは物事のすべての中心です。引き続き子どもたちのためにも、暮らしの豊かさ、子孫の仕合せを願い、あべこべの時代の価値観のなかでも本質を貫き、1000年後の未来のために今できることにいのちを懸けて集中していきたいと思います。