お堂の甦生~徳積堂~

徳積カフェの建築が進む中で、この場の名前を復古起新しています。現在、深めているものは「お堂」です。この堂という字は、会意兼形声文字です(尚(尙)+土)。「神の気配の象形と屋内で祈る象形」でできた字です。意味は「こい願う」と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」を現します。

そこから、「高い建物・神社・寺院」を意味する「堂」という漢字ができたといいます。この堂は、 古く接客や礼式などに用いた建物。表御殿。表座敷。そして神仏を祭る建物。さらには多くの人が集まる建物で呼ばれました。

この堂というと、イメージするのが三十三間堂や、平等院鳳凰堂、他にも大聖堂など神仏をお祀りするところを思い浮かべます。ひょっとすると現代では、お菓子屋さんの名前や広告代理店の名前、本屋さんとかいう人もいるかもしれません。

しかしかつては、辻堂やお堂といって村々や町の中でみんなが集まり親睦やコミュニティを育むオープンな交流拠点であったのです。他にも、山伏たちが休む室堂であったり、茶堂といって茅葺でできた旅往く人たちをもてなしたものもあります。日本には古来から人々をもてなす風土信仰があり、その風土信仰を支えた場の一つがお堂だったのです。

つまりはこの「堂」の持つ意味を考えてみると、読んで字の如くその「土地の風土と信仰と交流を見守る大切な場所」ということでしょう。なんとなくお堂が温かく懐かしい感じがするのは、お堂が地域を支えてきたことを心が憶えているからでしょう。

今では、西洋的なカフェがその役目を果たすようになってきていますが本来は「お堂」であったことは歴史に学べば自明します。私は、徳を伝承していくことに精進していますからこのお堂の甦生は大切な使命の一つです。

今回、徳積カフェが完成し、徳積堂として甦生することがとても楽しみです。

最後に、堂で有名な言葉に「堂に入る」があります。

これは論語の中で、孔子のいう「堂に升りて(のぼりて)室に入らず」が語源ですが堂に入るは「堂に升りて室に入る」を略した言い方で、客間にのぼり奥の間にまで入っていることから、奥義まできわめていることを表します。

徳積みの修業はまだまだはじまったばかりで終わりは永遠にありません。なぜならこれは人類の欠かせない修業であり、未来永劫子孫たちが担っていく大切な徳目だからです。

人々が子孫のためにみんなで堂に入るために磨いていく場。

まさに徳積堂は、子どもたちの未来のためにも欠かせない大切な徳の場になっていくと確信し、懐かしい未来が到来することを心から祈念しています。

聖域の甦生

日本には古来から山岳信仰というものがあります。これは山は神の宿る聖域であり、子孫を見守る祖霊が鎮まるところと考えられていました。まさに山が信仰の源泉であるというのは先祖代々から根幹の意識があります。日本創生の神話の時代から私たちは山に深く見守られ、山から慈愛をいただき、山によっていのちを育まれてきたという思想です。

日本には富士山をはじめ霊山と呼ばれる山々が存在します。そして故郷にも故郷を代表するような山があり、私たちは暮らしを山と共に発展させ、山と共に築き上げてきた民族でもあるのです。

その山には、修験道というものがあります。これは山につくる道場のことで、山に入ることでいのちの原点を学び本来のいのちに還るような修行の場です。私は、日本では鞍馬山を大切深く尊敬しており山に行くことであらゆるいのちのインスピレーションを感じて自己内省をする修行をしてきました。そのことで人格を磨く機会を得て、実生活の暮らしを換える機会を学びました。

この「修験」道場という言葉の語源は、「修行して迷いを除き、験徳をあらわす」という意味だといいます。つまり「場」で実践し体験するなかで徳が磨かれ悟りを開く道のことです。

そして山岳信仰で有名な山伏は、山に伏して修行する者という意味で「山伏」と呼ばれるようになったといいます。山伏らは山を祀り、登拝して祈願し、舞や踊りを奉納し山を祈願の対象としてきた人々です。山での暮らしを通して日々を見つめ直し、新たな生き方を導いて人々の心の穢れを祓う役割を果たしてきたのかもしれません。

明治以降、明治政府の神道での国家統一による神仏分離令、その後の修験道廃止令の煽りを受けてそれまでの山岳信仰の伝統廃れ、戦後は宗教として生き残りはしましたが娯楽的な登山やハイキングなどが入ってきていよいよ山は単なる趣味やアミューズメントなどの一環になってきました。キャンプ場をつくり、グランピングなどができ、信仰の山という日本古来からの伝統のイメージが薄れてきているとも言えます。

本来のものが歴史の中で挿げ替えられていけばそれまでの系統が分からなくなってきます。そうやって人類は歴史をそれぞれの時代の価値観で歪めてきたとも言えます。しかし山は変わらずにそこに存在しています。

自然崇拝とは何ぞやといえば、その土地の風土や自然から本来の徳が顕現したものを悟り自ら自然に近づき謙虚に共生を学び直すことのように私は思います。私たちを産み育ててくださっている存在に気づき、その恩恵に感謝し徳に報いる生き方を実践することです。

何度も里に降りては人間は余計な争いや自然から遠ざかり心を痛めてきました。そんな人々が心を蘇らせ、徳を甦生させてきた場こそ、この修験場としての聖域であったのでしょう。

これから私は日本古来の思想とブロックチェーンを使った聖域をこの地に発祥させていくつもりです。自然を味方に、子どもたちに遺し譲りたい未来を創造していきたいと思います。

許容範囲

私たち、すべての生き物は自然の中の許容範囲をそれぞれが持って生活しています。いわゆる、範囲ようなものですが生きていくために必要な許容量の範疇を与えられているということでもあります。

これは虫から動物まで範囲があります。その範囲内で一定数を保っているのですが、それが大幅に超えるとどうなるか。自分たちで数を減らすか、移動して広げていくしかありません。最近、ニュースで見かけるサビトバッタなどは増えすぎて生きていけないために移動しながら作物を食い荒らして最後のところまでたどり着いてほぼ死に絶えます。他にもセイタカアワダチソウのような雑草も広がるだけ広がり、その後数を減少します。

本来、多様な種類の生命はお互いに範囲を分け合いながら許容量を超えないように自律して共存しています。それがもっとも長くそこに居ることができるという自然の持続可能な仕組みであることを知っているからです。

人類もかつては、それぞれの範囲で少人数で暮らしを営めば自然の許容範囲内で周囲と分け合って共存していた時期もあります。しかし現在は、先ほどのサビトバッタやセイタカアワダチソウのように人口を増加させ世界中に食料を求めては移動しています。

さらに人類の難しいのは、それを科学の力で乗り越えようとしあらゆる人工物をつくっては許容範囲を超え続けて地球の自浄作用を抑えこむかのように自然破壊を続けます。地球はそれでも偉大な自浄作用によって許容していきますが、問題は人口が増えすぎた最後は一気に減るのではないかという自然の摂理を免れないという事実です。

増えすぎた人口はどのように減っていくのでしょうか。

現在のコロナウイルスもまたその一つかもしれませんが、歴史を観ると人間同士の争いがもっとも減る理由になっていくように思います。現在、ソーシャルディスタンスとかいっていますがこれよりも大切なのは人が住み分ける範囲をお互いに保つことではないかと思います。

人が一人で住むために必要な許容量の設定を、地球の土地のサイズから割り当ててみる。その上で、どれくらいの数が適正なのか、そしてみんなで分け合って生きるためにはどのくらいの生産と消費、そして周囲の生命を活かし発展させていけばいいのかを人類で割り当ててみんなで努力していくのです。

自然の風土によっては、人口が増えれない場所もあるかもしれません。その場所場所でみんなで適量を守っていき、助け合っていけば自然の許容量の恩恵を永遠にいただくことができます。

地球の資源を貪りつくしてすべて取りつくして一番困るのは誰か、それは人間のはずです。

分かっていてもやめられないのは、考えられるのは人類は人類によって洗脳されているからです。自分たちで自分たちの洗脳や刷り込みを乗り越え、脳を整えて、本来のあるべきように回帰するには脳をなんとかするしかありません。知性をどう活用するのか、智慧を如何に尊重するのか。

使えるけれど敢えて使わず、便利だけど敢えて不便でいるというような人格を磨く必要があります。どうやってこれから先、数千年を子孫たちに遺していくか。もしくは数万年人類が生き残るために今、何をやるべきで譲るべきか、子どもを愛するように、人類を愛する素直さと勇気が求められています。

いつでも決めた時が間に合う時です。

引き続き子どもたちのためにも、最善を盡していきたいと思います。

場が開く

現在、引っ越しの片づけをしながら色々なものを整理しています。思い返せば、東京に来てから19年間、あっという間の月日が経ちました。

東京の家も、むかし買ったであろうものが棚の奥深くにそのままあったり、色々な人たちとご縁からいただいた贈り物、お手紙や写真、そしてその時々で大きな影響を与えた言葉のメモや本などが出てきました。

そして長年大切に使ってきた食器類、ベランダで育ててきた樹木たち、お気に入りの工芸品や美術品、そして暮らしを彩るものたちがあります。

一つの時代がすべてここに入っているのです。

一つの時代が過ぎていく中で、そこまででお別れするもの、そしてこれから新しく出会うものがあります。特に家は私が中心に暮らしていましたから、私がいなくなればそれまでの場の関係性も変わってしまいます。

例えば、ベランダであれば庭のオリーブの実や、稲穂を食べに数種類の鳥たちがきていました。特に冬は、毎朝のように来ては果物などを啄んでいました。それが私がいなくなればベランダも変わりますから関係性が変わります。

ひょっとすると次の方が、同じようにベランダを植物で彩れば鳥たちは次の方との関係性になっていきます。それは以前は同じではなく、また別のものになっているという事実は事実です。そして私はまた別の場で新しい関係性を築くのです。

一つの時代とは、一つの場とのご縁でもあります。

その一つの場を中心に関係したご縁のつながりが移動するというのは、一つの時代の節目であるということでもあります。場所とご縁が変わり、そして意識の階層が変わればそれまでとはまったく別の次元の物語になるということです。それは場が開いたということでしょう。

一つの時代が終わり、一つの時代が新たに始まる。

そして一つの場が開くということ。

変化のときには、自らが変化そのものと一体になることが変化を知る本質です。次の時代の舞台が整ってくる前に、自分自身を先に整えていき、その新たな門出でもいのちが存分に活躍する場ができるように柔軟に対応し、臨機応変、一期一会に変化そのものに寄り添い楽しみ味わいたいと思います。

伝達とは

人間は伝達させる技術を発達させてきました。これはコミュニケーション能力といって、人間社會では何よりも重要な能力の一つになっています。

如何に人間社會の中で、お互いに良好な関係を築きながら暮らしを営むか。色々な個性がある中で、どのように社会の中に居場所をつくるかは人間の命題でした。

また人間は、一人も同じ顔の人がいないように指紋が異なるように個性というものを浮き出して社會で自分の役割を得ようとしていきました。現代の教育が敢えて同じにしようばかりするのを見ると可笑しなことだと国家の意図を感じますが、本来人間は異なり違いが出るようにと発展し進化を已まないのです。

また異なる存在というのは、それぞれにメリットとデメリットがあります。完璧な存在などなく、必ずそこにはそれ相応の強みと弱みがあります。

それをどう活かすかで、新たな居場所もまた創造します。

本来、社會が性善説であり好意的な世の中であれば信頼関係があるのなら伝達技術もそんなに分化していくこともなかったように思います。いわゆる「阿吽の呼吸」のように、お互いに強みと弱みを知り尽くしていますからそれぞれの出番の中で共に社會を見守り合うのです。

しかしそうではない性悪説でシビアな世の中であれば信用を得るために伝達能力を駆使していく必要があります。映像や画像、数々の言葉、またあらゆる態度や姿勢や外見にいたるまで分化していきます。そして一部の価値観が同一のコミュニティを存在させ、そのコミュニティ同士での対話や社会で伝達の確認をしていくようにも思うのです。

そういえば、「むかし人類皆兄弟」という言葉を知り、世界のどの部族の人たちも「笑顔で通じ合い仲よくする」という話を聴いてしっくりきたのを覚えています。

もしも争いもなく、平和でお互いの異なりを大切にする世の中であれば現代のようにここまで複雑な伝達技術は生まれなかったはずです。そう考えると、果たして今のIT化や伝達技術の発展は本当に進化なのか。個人情報だの、セキュリティなど煩い世のなかになればなるほど、私たちは大きく退化しているのではないかなどとも考えるのです。

私はもともと直観タイプで全体最適や調和、一期一会のご縁や今のタイミングで総合的に把握し、丸ごとを捉えてコミュニケーションするという野性的な感覚優先のタイプですが、いちいち説明しないといけない世の中だから面倒でも理屈を学び、理論をつくり、伝達するための手法が技法を徹底して習得していきました。しかしそれも、最近では、新しい言葉や横文字を定義するのに疲れ気味で、世界の人たちとの交流も増える中で自然に「場」ですべて感じ取ってもらおうという具合に最近は面倒なことを避けています。

「場」は、私なりの伝達技術の原点であり、この場によってさまざまなことを理解し合い分かり合えるようにしています。

子どもたちにも、本来の人間らしい伝達ができる社會を創造していきたいと思います。

兆しを読む

台風10号が通り過ぎていきましたが、準備の御蔭でこちらは無事で済みました。直前に来た台風9号が猛烈で色々と吹き飛ばされて荒れたので、このままではまずいと準備したことが善かったように感じています。

これは自然の法則や摂理が働いているように感じます。

最初の被害の時に、どれだけ次への準備を怠らないか。自然は常に最初に警告を与え、そのあとそこで篩にかけます。篩にかけて用心するものは生き残り、何も改善しないものは死に絶えていきます。

自然災害を思う時、この後、訪れるであろうさらに大きな自然災害に対してどれだけ謙虚に畏怖畏敬の念で自らを改善したか。それが試される時が来ていると実感するのです。

突然に巨大なものが来るのではなく、その予兆といった兆しがあります。

虫や動物たちは、自然と共に暮らしていますが野性を失わず常に周囲に気を配り、あらゆるものへのいのちへの用心があります。そのことから兆しを感覚的に捉えることも早く、準備を怠りません。

油断するとそれはすぐに死につながる世界に生きるというのは、常に感覚を鋭敏にしながらその予兆を嗅ぎ取る力を磨いているともいえます。食べ食べられる関係において、何を食べ何を食べないかを嗅ぎ分けるとき、それは同時に予兆を感じ取って判断しているともいえるように私は思います。

常に危機に備えるというのは、油断こそ本当の敵であるという意味であり常に予兆を嗅ぎ分けて準備を怠るなということでしょう。

そこまでしなくてもと色々な人に言われることがありますが、本来、リーダーとは人々を危険から守る役割の人です。みんなが安心して暮らしていくためにも、誰かが危機感をもって鋭敏に感覚を研ぎ澄ませて予兆を嗅ぎ取ることで未然に危機を脱することができるのです。

本当の怖さは、マスコミや一般論、集団心理ではたらく危機風のことに踊らされ本来の予兆を勘違いしてしまうことです。そのうち麻痺すれば、本当の危機にも対処することができなくなります。

敢えてそこまでしてでもというのが、今の時代の感覚を鈍らせない方法でありこの先の自然災害の篩にかけられて生き残る智慧でしょう。

今回の体験もまた、教訓にして子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

予知の仕組み

今は台風や大雨などは科学が発展し衛星画像などを送って確認することができますがむかしはそんなものはありませんから予知によって判断されていきました。

目に見える予想に対して、目に見えない予知。科学はみんなこの目に見えるようにしていく作業ですから、目に見えないものは消えていくのでしょう。しかし、時として目に見えないものにも長期予測や予知などがありそれを簡単に非科学的だから切り捨てるのはどうかとも思います。

以前、カマキリを研究して積雪予測をしていた酒井与喜夫先生とお会いしたことがあります。これはカマキリの産卵の場所を定点観察することにより積雪の位置を予知したというものです。驚くほどの的中率で、昆虫たちが生き残るために自然を予測しておられました。他にも木々の水分量を測ったりしながら、謙虚に自然から学び感覚を通して真心で接して自然に教えてもらおうとする姿勢に深く感動したことを覚えています。

現在は台風が通り過ぎている真っ最中ですが、台風などはアシナガバチで予知したといわれます。軒下や高いところに巣をつくるときは台風が多い年になるといいます。といっても、むかしは台風という言葉の定義もなく、「野分」や嵐、大風などと呼ばれていました。自然はいつ猛威を振るってくるか、むかしの人たちは予知をするためにあらゆる身近なものを認識しました。

例えば先ほどのカマキリは秋に高い場所に産卵すると、その年は大雪になる。ミミズが地上に這いだしたら雨が降る。クモの巣に朝露がかかっていると晴れる。カエルが鳴くと雨が降る。ナマズが暴れると地震がくる。などです。

特にナマズにはこのような記録が江戸時代の安政見聞誌に残っています。

「本所永倉町に篠崎某という人がいる。魚を取ることが好きで、毎晩川へ出かけていた。二日(地震当日)の夜も数珠子という仕掛けでウナギを取ろうとしたが、鯰がひどく騒いでいるためにウナギは逃げてしまって一つも取れぬ。しばらくして鯰を三匹釣り上げた。さて、今夜はなぜこんなに鯰があばれるかしら、鯰の騒ぐ時は地震があると聞いている。万一大地震があったら大変だと、急いで帰宅して家財を庭に持ち出したので、これを見た妻は変な事をなさると言って笑ったが、果たして大地震があって、家は損じたが家財は無事だった。隣家の人も漁が好きで、その晩も川に出掛けて鯰のあばれるのを見たが、気にもとめず釣りを続けている間に大地震が起こり、驚いて家に帰って見ると、家も土蔵もつぶれ、家財も全部砕けていたという。」

現代では、電気信号を予測したからだとか、磁場を読んだからなどがあります。本来、私たちは自然の一部ですから感覚的に自然災害を予測しました。しかし現代は、その感覚を手放して科学的に頭で見えるものに頼って感覚を捨てていきました。

本来、目に見えないものとは感覚の世界であり、私たち人間はもともと自然と同様に感覚が備わった存在だったのです。それと環境や教育によって減退させていき、その力をつかうよりも科学的なものだけを使うようになりました。

しかしです。

それに頼りすぎることにより、これから訪れるであろう自然災害への畏怖や畏敬もまた失われていくのは本末転倒です。どんなにすごいコンピューターが出ても、予測できるものとできないものがあります。それは感覚でしか予知できません。本来、天気予測などは数日から数週間くらいの読みですが、本来のむかしの農家などは半年から数年先、もしくは数十年先までも予測していたといいます。

それは予知に限りなく近いものであり、全感覚と頭脳を発揮しありとあらゆる自然を観察して判断材料にしたのです。科学か自然かである前に、人間はもっと謙虚であるべきであろうと私は思います。それは本当の意味で、災害を未然に防ぐための本質的な予知になると感じます。

先人を倣い、本来の生き方、私たちが生き残るための智慧を伝承していきたいと思います。

整うこと

日々の暮らしの中では、「整える機会」が多いかどうかがとても重要になってくるように思います。心や感情をはじめ体、感覚、関係、あらゆるものを整えることで、平常心を養うことができます。

この整うとは、私の定義では調和や調律のことをいいます。

例えば、調律でいえば楽器の音高を、演奏に先立って適切な状態に調整することをいいます。他にも調理もまた、最高の状態で素材が活かしあって美味しくなることいいます。さらに調和といえば、自然の調和のように過不足が一切ない完全な状態になることを言います。

そしてこの整うがわかるというのは、自分の本来の最高の状態、自然の摂理がわかるということでもあるのです。

現在の世界は、この自然の摂理を蔑ろにしてきたことで自然の摂理がわからなくなりました。同時に調和や調律といった整えることもわからなくなりました。そのことで、バランスを崩し、病む人や暴走して疲労する人、自分が分からなくなる人などが増えていきました。

世界が乱れていくとき、それは自然の摂理を忘れていくときです。

それをどう取り戻していくのか、自然であれば災害を通して教えてきます。他にも環境の変化などでも理解できるようになります。人間は、天敵である存在によってそれが伝えられます。

私はこの大切な局面で人類にとって重要だと思うことは大切だと思うのが整える機会を持つことからはじめることです。人類がみんなで整え直そうと話し合い実践すれば、何が自然の摂理で、何が本来の調和であったのかを気づき直します。

そうすればかつてのような暮らしフルネスな世の中を思い出し、みんなで調律し合うように自律した暮らしを営もうという人類の叡智に回帰するように思うからです。

長い目で観た時に、過不足がない完全な状態の暮らしが何か、そして人類は何が最高の状態だったのかを忘れないようにしていくことです。かつて人類がもっとも平和だった頃がどうだったか、整うことで思い出すのです。

私の「場の奥義」はこの整うこととセットです。引き続き、未来の子どもたちのために自然の摂理を伝承していきたいと思います。

道の奥義

宮本武蔵に『五輪書』(ごりんのしょ)という兵法書があります。これは宮本武蔵の代表的な著作であり、剣術の奥義をまとめたといわれています。

寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞で執筆されたといいます。この書には、生き方の真髄とむかしの稽古の本質が記されているように思います。単なる剣術の奥義ではなく、まさに日本人的な生き方の伝統を純粋に生ききったことで得た境地を書いたもののように思えます。

「兵法の利にまかせて、諸芸、諸能の道となせば、万事に於て、我に師匠なし。今この書を作るといへども、仏法、儒道の古語をもからず、軍記、軍法の古きことも用ゐず、この一流の見立、実の心をあらはすこと、天道と観世音とを鏡として、十月十日の夜、寅の一点に、筆を把りて書き初めるものなり。」

はじめに自らの経験のみを師とするというのは、古今世界共通の真理です。そして最後にはこう締めくくります。

「我が流において、太刀に奥口なし、構えにきわまりなし、`ただ心を以てその徳を弁えること、これ兵法の肝心である」

自らの心こそ矩とする、そして実の心、経験から得た内省こそを師にしてその道に向かい歩んでいくこと。素直な道ともいうその生き方は、今でも変わらず私たちの心に深く響いていきます。

先達の人たちの生き様を見倣いそれを今の自分の生き方の鏡にする。まさに稽古照今は、道の奥義です。

乱稽古の高揚感や楽しさはハレの日の面白さですが、平常のケに帰し、いつものように淡滔滔と暮らしフルネスの実践を磨いていこうと思います。

ありがとうございました。

心の準備

何事も、ご縁を迎えるためには準備というものが必要です。一つ一つのご縁が結ばれていくなかで、それを点で捉える人、線で捉える人、面で捉える人、そして丸で捉える人が居います。

それは全体を俯瞰する力であったり、物事の意味を深め続ける力であったり、さらには他力を感じる力であったりと、その人の生き方、人生への正対の仕方によって異なるものです。

人は、自分のことしかわかりませんから自分が何かをしていたらみんな同じではないかとも錯覚するものです。たとえば、「ご縁を大切にする」ということば一つであっても、一人一人その質量は異なりますし、定義も異なります。

すべてが深く関わっている存在の中で、ある人はご先祖様からのご縁を感じて懐かしい存在として関わる人、またある人は未来の先に訪れるであろう子孫たちの邂逅を感じて親切をする人、またある人は、今、此処に一期一会を感じていのちのすべてを傾ける人、それによってご縁は無限に変化していきます。

ただ、すべてにおいて大切なのは「心の準備」をするということです。言い換えればそれは「覚悟する」ということでしょう。この覚悟という言葉は「心の準備」をする人が持つ境地であるのは明らかです。

人間は、ご縁が導いているとわかってはいても心に迷いがあればご縁を感じる力衰えていくものです。つまり、心の迷いは心の準備の過不足によって発生しているとも言えます。

その心の準備には、日ごろの準備もいりますが、準備するためにどれだけの徳を積み重ねてきたかというそれまでの生き様も関与していきます。心を整えていくためにも、その準備に丁寧に、そして本気に誠実に取り組む必要があります。その場しのぎの連続では心の迷いは増えていくだけで、心が安着することがありません。

日本古来からのおもてなしの心というのは、この心の準備を実践するということでしょう。

日々にたくさんの方々と新しいご縁が結ばれていきますが、心の準備を味わい充実した日々を前進しています。このご縁をどう転じていくのかは、覚悟次第です。引き続き、子どもたちの未来のためにも今できることから丹誠を籠めて真摯に取り組んでいきたいと思います。