後の雛 菊の節句

聴福庵では重陽の節句の室礼をしていて、菊の花やお雛様たちが絢爛優美に夏の終わりの節目を美しく彩っています。

そもそも重陽の節句というのは、五節句の一つです。五節句という言葉は知らなくても七夕や雛祭りなどは有名で一度は聞いたことがあると思いますがこの行事は明治頃まではほとんどの家々では暮らしの風景として当たり前に存在していたものです。これも明治以降の西洋文明を追いかけたときに忘れられたものの一つです。

この五節句の「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことを指します。暦の中で奇数の重なる日を取り出して奇数(陽)が重なると 陰になるとして、それを避けるための避邪の行事が行われたことから季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まったといいます。難を転じるという意味もあり、ちょうど季節の変わり目の様々な健康に対する災難を福にする仕組みだったように思います。その後、中国の暦法と日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになりこれを「節句」といわれるようになったといいます。

日本でいう五節句は順に並べると、※1月7日の「人日の節句(七草の節句)」。これは七草粥を食し、その年の健康を願います。そして※3月3日の「上巳の節句(桃の節句」)これは雛人形を飾り、ちらし寿しやはまぐりのお吸い物を食ベて、女の子の健やかな成長を願います。※5月5日の「端午の節句(菖蒲の節句)」これは五月人形やこいのぼりを飾り、男の子の健やかな成長と立身出世を願います。※7月7日は「七夕の節句(笹の節句)」短冊に願いを書き笹に吊るし夢成就を願います。最後の※9月9日は「重陽の節句(菊の節句)」これは菊の薬効により健康を願います。

この重陽の節句が菊の節句ともいわれ、「後(のち)の雛」としてお雛様を飾るという理由を説明するとまず菊の花は古来より薬草としても用いられ、延寿の力があると信じられました。菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童(きくじどう)」伝説もあるほどです。他の花に比べて花期も長く、日本の国花としても親しまれています。また仙人たちが住むところに咲くと信じられ、長寿に縁起のよいものとしても愛でられてきたのです。「後の雛」の理由は、年中行事は繰り返し行われますが、一年にはじめの行事と終わりの行事があり後にある行事を「後の」といい、3月3日に雛祭りをしていますからこの9月9日のことを後の雛というのです。

また桃の節句は子どもたちの行事というイメージですが重陽の節句は大人たちの行事というイメージもあるため「大人の雛祭り」とも言われたりしています。菊は花弁が折り重なっているイメージもあります。人生を妙味を重ねていきながらも長く咲く姿に、私たちの先祖たちは生き方を菊に倣ったのかもしれません、そして先人たちは自然の生き物や風景をよく観察し、美意識を磨いて自らの徳を高めていきました。つまり先人たちは「自然の美しさの中に生き方を学んだ」のでしょう。

また心の風情というものは、常に日本の四季折々の暮らしの中にあります。

最近は目まぐるしく経済活動ばかりで忙しくしている人ばかりですが、本来のいのちのリズムや時間、そして行事の風景を味わうことが本来の人間の仕合せではないでしょうか。

コロナで立ち止まる機会を得たからこそ、本来の人間らしい暮らしを見直して地球やいのちと共生して心豊かに生きる時間の大切さを伝承していきたいと思います。

調和力

昨日は、聴福庵の庭のお手入れをしましたが今朝からとても庭が清々しく感じます。特に先週は、出張で不在にしていましたので夏の日照りが強すぎたようで紅葉も葉焼けし、無双庭園の方もカラカラになっていました。

植物や木々たちは、自然環境の中に過ごしていますが庭というのは人工的に私たちが植栽をしていますから手入れとお世話が必要です。

これは野生動物か飼育する動物か、もしくは半野生半飼育かという具合に自然とのかかわり方によって異なるものです。

例えば、社内や自宅内の観葉植物は飼育するのだから人が無視して何もしなくなれば枯れてしまいます。風通しや水やり、光の調整が欠かせず一緒に生活する中で気を配りながら育てます。その分、安らぎや癒し、また感情を整えてくれたりして無機質な場所をいつも優しく包んでくれます。

他にはベランダや中庭などは、半分自然に接していますから半分は常に見守りながら手をかける必要があります。もう半分は自然の調和の中にいますから自然に任せていたら雨が降り、風が吹き、光も星も調和の中で育ちます。しかし、本来、その植栽や生きものたちは中庭やベランダが生息地ではなかったのだからその分、こちらが気配りをして環境を調整していく必要が出てきます。それによって美しい情景や、イキイキとした生命エネルギーを発してくれることでこちらも元氣になったり、また心落ち着けて四季の情景を感じることができたりします。

完全の野生となると、山野や海、川や森のようにこちらから自然のところに移動すれば関わることはできます。野生が強いので、こちらが強くないとなかなかその環境に馴染むのも難しくゆっくりと休むということは難しいように思います。

私は自然農を野生の溢れる場所で行っていますが、庭の畑と違ってそこで発生してくる虫や植物も野性味あふれていて太刀打ちできません。そこで手入れをするには、ほぼ野生の中で野生に近いままで育てるといった双方のエネルギーの衝突と調和があります。

こうやって人工的にかかわるところと、自然にかかわるところ、そして野生的にかかわるところなど場所場所でその接し方も気配り方も手入れの仕方も変わります。私たちは地球に住んでいますが、住む場所を換えるたびにその微妙な匙加減で関わり方もまた換えていくのです。

自然とうまく調和していく力、自然を調整する力、自然と調律する力、私たちはこれらを内に備わって生まれてきます。

本来の人類の力を発揮することで私たちがそのかかわり方から自然の存在を謙虚に学び、これからの人類の行く末を考えていけます。子どもたちがこの先、何百年、何千年と生き続けられるように今必要な智慧を伝承していきたいと思います。

徳循環経済

現在、世界は負の循環ともいえる状態をつくりそれを子どもたちが受け継ぐことになります。例えば、資本主義というものも株主のためには何でもするというように倫理や公器といった企業の本来あるべきこともまた競争原理と一部の権力者の富の集中によって私的に流用されています。

自然全体、地球の事よりもまず先に経済活動だけを只管行い続けるという行為が様々な環境や社会を破滅に向かわせています。

この現代の経済の仕組みは、際限なく富を集め続けるというところに起因します。そのためには環境はどうなってもいいという視野に問題があります。本来は、逆で環境(場)をよくするために富を賢く分配していくことでさらに環境が好循環を生んでみんなが仕合せになっていくのです。

例えば、自然環境がさらに調和するような田んぼや畑づくりを行えば私たち人類だけではなく人類の周囲の生態系も豊かになってさらに環境が豊かになって平和な場が創造されていくような具合です。

私たちが取り組んでいるむかしの田んぼがそうなっており、農薬も肥料も一切使いませんが生きものがたくさん増え、生態系がイキイキと循環を促しそのなかで育ったお米が美味しくなり、それを食べる人たちが仕合せを感じるという具合です。

環境への投資は、自分たちさえよければいいという発想ではできません。どうやったらみんなが善くなるか、どうやったら自分以外の人たちも一緒に仕合せになるか、共に生き、共にいのちを輝かせるように働きかけるのです。

本来、それが経済と道徳の一致であり本質的な経済というものでした。二宮尊徳の時に、飢饉や飢餓で大勢いが苦しんだのもまたその一部の搾取する人たちのつくった経済活動が人々の心を荒廃させて土地や環境も破壊していたからその言葉を放ったのです。

現代、私たちは似たような境遇が世界全体に広がっています。

今こそ、ここで観直しをかけなければ子どもたちに譲るものがとても悲しいものばかりになってしまいます。まずは自分の足元から、様々な実践を通してその豊かさや仕合せを伝道していきたいと思います。

面倒という醍醐味

人は日々に様々なご縁をいただいて暮らしを営みます。その一つひとつのご縁は、そのまま思い出になりますからどのようにご縁を大切にするかで思い出もまた大切になります。

人との出会いを大切にするというのは、言い換えれば人との思い出を大切にすることです。

人との出会いは面倒なことばかりです。しかしそれを面倒くさいと切り捨ててしまったら、ご縁も切り捨て、思い出もまた切り捨てていくことになります。

一枚の絵があるとして、全体で絵は完成しますがその部分部分の細部はあらゆる景色が重ね合わさってできた憧憬でもあります。その憧憬を積み重ねながら人生の一枚の絵を完成させていくなかで、この絵が全体で観たらどのような絵になるのだろうかとワクワクドキドキと好奇心を発揮して取り組んでいくことで人生の醍醐味というか、豊かさや深さを感じることができるように思うのです。

面倒見がいい人という徳が高い人が居ます。

面倒という言葉の語源を調べると、「ほめる」「感心する」などの意味を表している動詞で「めでる」という説。またもう一つは、地方に住む幼児が、人から物を貰った時に額に両手で差し上げて言った「めったい」「めってい」「めんたい」と言う感謝の言葉からの説があります。

そして面倒見がいいというのは、面倒なことを感謝で観ることができる人ということになります。どんなことでも有難いと他人が煩わしいと人が感じるものを敢えて大切にしていく人は徳を積んでいる人です。

徳は別に積もうとしていることが大切なのではなく、徳は大切だと思っている人が徳の人ということです。つまり見返りをそもそも求めていない、そもそもの執着を手放しているから自然に徳が磨かれていくのです。

仏教の話に、仏陀から「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除く」ということばと掃除だけを与えられ、それを繰り返し毎日続けて、ついに大悟して阿羅漢果(あらかんか)を得たという方がいます。ある意味、この故事でいう掃除という面倒なことを敢えて取り組むことで徳を磨き、執着を手放して悟りを得たといいます。

魅力がある人や、徳のある人は、何か当たり前ではないことを大切にし、世の中の当たり前というものにいちいち左右されることはありません。それが如何に価値があることかを誰よりも知り、常に自分軸の中でその当たり前のことを徹底的に大切にされるのです。

その一つがご縁を大切にすることであり、ご縁を活かし続けるという実践でもあります。

日々の学びは、ご縁の連続ですがどのようにそれを活かすかはその人の生き方次第です。子どもたちが未来で、日本人の徳が伝承していけるように日々の面倒なことに喜びを感じ率先垂範して味わい楽しんでいきたいと思います。

ありがとうございました。

欅のなつかしさ

今度の徳積カフェは、欅の古材が全体に配置されています。日本の木造建築の中でも、欅はとても日本の伝統を醸し出しているものでありその気配や色合い、そして模様には懐かしいものを感じます。

この欅(ケヤキ)の語源は”際立つ””美しい”という意味を持つ「けやけし」という説もあり、くっきりした木目が特徴的です。今回のカフェでも様々な欅の木目を楽しめる設計になっています。

木の木目といえばふつうは柾目や板目ですが、そうした分類には収まらない絶妙の模様を、「杢目」(もくめ)と呼んでいるのです。杢目にも様々な種類があり、ざっと書くと「網杢 泡杢 稲妻杢 渦杢 鶉杢 絵巻杢 火炎杢 蟹杢 雉杢 銀杢 孔雀杢 絹糸杢 瘤杢 笹杢 さざ波杢 さば杢 縞杢 如鱗杢 白杢 たくり杢 筍杢 玉杢 縮み杢 鳥眼杢 縮緬杢 虎斑 虎杢 中杢 波杢 縄目杢 バイオリン杢 葡萄杢 放射杢 舞葡萄杢 山杢 りぼん杢 リップルマーク 雲頭の杢 糠杢」などがります。

実は、これ以上にもあらゆる杢目があり木の内面的な表情として味わい深いものがあるのです。

今回のカウンターに使われた神代欅にも模様があり、他の建具や道具たちにも玉杢があります。この玉杢は樹齢の高いケヤキの根元近くで出てくる模様で、独特の丸い模様が現れています。この珍しい模様は、縁起がいいとむかしから重宝されて大切な場所で使われてきたそうです。

例えば、有名な話では相撲部屋の看板はこの玉杢を勝ち星に見立てたりします。欅は重い木材だから看板でつくれば「一度看板を上げたら降ろさない」という意味も縁起担ぎで使われたりしているそうです。

私が古民家甦生を手掛けるなかで、いつもうっとりと美しい表情を見せてくれたのが欅の木でした。蜜蝋などで磨けば、杢目がはっきりと出てきてはその独特の飴色や橙色に輝く木肌は傍にいるだけで空間を優しくします。

ただ欅は扱いにくい木材でもあるそうで、よくねじれたり歪んだり、乾燥に時間もかかり臭いもあるそうです。今回のカフェのカウンターは神代欅なので2000年以上前から土に埋まっていたものなのでとても安定しています。

神社仏閣でなぜこの欅が重宝されて愛されてきたのか、この木は日本の風土に適応した日本人が愛している木であるからだと私は感じています。もちろん日本の風土には様々な木がありますが、もっとも日本人が身近に感じて見守られたと感じる木ではないかと私は経験から直観したのです。

全体が欅で室礼した空間で、懐かしい時間を子どもたちに感じてもらいたいそれを繋いでいきたいと思います。

ご先祖様の生き方

昨日は、盂蘭盆会の送りをするためにお墓参りにいきました。お地蔵様においては、馬と牛に見立てたキュウリと茄子の方向を反転させてまたあの世へ気を付けてお帰りいただけるようにお祈りしました。

自然に心が穏やかになるのは、ご先祖様の存在を身近に感じているからかもしれません。私たちが今があるのは先祖の存在があってこそで、それが途切れることがあれば今の自分は存在しません。

お墓には先祖代々から続いているという証拠がたくさん残っており、その時代時代に生きた人たちが繋いできたいのちがあります。個人主義がここまで偏ってしまった現代において、個人であり過ぎるための不安や悲しみなども深くなってきています。

そんな時は、ご先祖様の存在に感謝すれば自分もつながりの一部であることを実感して有難い気持ちが湧いてきます。人はつながることでお互いの存在が如何に大切であるのかを実感します。コロナウイルスが発生してからは、改めて分断の辛さ、寂しさを感じます。つながりながら分散するというのは、思えば先祖が長い年月をかけてきた集団で生きていくための智慧の仕組みです。

改めて、むかしの人たちの智慧を学び直してこの時代の最先端の仕組みを創造していこうと思います。

最後に、昨日のお墓の中には戦争でなくなった方もおられます。遠く離れた土地で、遺体は戻ってこないままに私たちが行ったこともないような場所で亡くなっています。写真を見るとまだ若く、とても聡明で私の方がその方々がお亡くなりになった年齢よりも歳をとってしまいました。

なぜ戦争をするのか、なぜ戦争は起きるのか、なぜ戦争はなくならないのか。

この問いは、今の私の魂の根幹を動かし子どもたちの志事をする純粋な初心の源泉でもあります。人類を愛するからこそ、人類が末永く地球で安らかに暮らしていけるような世の中を創りたい。

自分が今、取り組んでいることのすべては子どもたちへの願いであり祈りです。今の世代の責任と役割を果たすために、まだまだやれることがあります。戦争を防ぐには、戦争が発生する前に行動するしかありません。

徳積の活動も、いよいよ佳境に入っていきます。

ご先祖様の生き方に恥じないように、私の役割と使命を全うしていきたいと思います。

場道の心得

日本の精神文化として醸成し発展してきたものに、場・間・和があります。これは三位一体であり、三つ巴にそれぞれが混ざり合って調和しているものですからどれも単語が分かれたものではなく一つです。

この三位一体というのは、真理を表現するのに非常に使いやすい言葉です。私たちは単語によって分化させていきますから、実際には分かれていないものも分けて理解していきます。言葉はそうやって分けたものを表現するために使われている道具ですから、こうやってブログを書いていても全体のことや真理のことなどは文章にすればするほど表現が難しく、読み手のことを考えていたら何も書けなくなっていきます。

なので、共感することや、自分で実感したこと、日記のように内面のことをそのままに書いていくことで全体の雰囲気を伝えているだけなのかもしれません。

話を戻せば、先ほどの三位一体ですが例えば心技体というものがあります。これは合わせて一つということで武道や茶道、あらゆる道という修業が伴うものには使われるものです。これらの分かれて存在しているようなものが一つに融合するときに、道は達するということなのでしょう。言い換えれば、このどれも一つでも欠けたら達しないということを意味しています。

そして私に取り組む、場道もまた道ですからこの心技体は欠かせません。では何がこの場によっての心技体であるかということです。これを和でわかりやすく伝えると、私は「もてなし、しつらい、ふるまい」という言い方で三位一体に整える実践をしています。そもそもこれが和の実践の基本であり、そして同様に場と間の実践にもなります。

まず「もてなし」は、心です。「しつらい」は技です、そして「ふるまい」が体です。

これは場道を理解してもらうために、私が自然に準備して感覚で理解してもらいその道を伝道していく方法でもあります。もてなしは、真心を籠めることです。相手のことを思いやり、心の耳を傾けて聴くこと。そしてしつらいは、それを自然の尊敬のままに謙虚におかりし、場を整えていくことです。美しい花の力を借りたり、磨き上げた道具たちに徳に包まれることで万物全体のいのちに礼を盡します。最後のふるまいは、一期一会に接するということです。この人との出会いはここで最初で最後かもしれない、そして深い意味があってこの一瞬を分け合っているという態度で行動することです。もちろん世の中のふるまいのような立ち振る舞いもあります。しかし本来は、見かけだけのものではなくまさに永遠の時をこの今に集中するという態度のことで覚悟のことでもあります。

人生を省みて、その時にどのようにふるまったのか。

つまりその人は、どのような夢や志をもちこの時代の出会いの中での「ふるまい」という上位概念でのふるまいを私はここでの三位一体のふるまいと定義しているのです。これは実は、先ほどの「もてなし、しつらい、ふるまい」の共通する理念を指しているものでもあります。

つまり「生き方」のことです。

場道の真髄と極意は、生き方を日本の文化を通して学び直すことです。先人たちに倣い、本来の日本人の大和魂とは何か、生き方とは何かを、思い出し、それを現在に甦生させていくことで魂を磨き結んでいくのです。

子どもたちが、この先もずっと日本人の先祖たちの徳を譲り受けて輝き続けられるように見守っていきたいと思います。

 

 

日本人の心

以前、私は偶然にもドイツ人建築家のブルーノ・タウトの設計した旧日向邸を見学したことがあります。もう6年くらい前になりますが、仕事の合間に立ち寄ったお蕎麦屋さんで偶然ブルーノ・タウトの遺作の家具をみせていただくご縁がありそのまま興味を持って訪問してきました。

お蕎麦屋さんでは親切に、他にも2階にあるブルーノタウトのものを案内してくれました。今思えば、その時に私はこの西洋と日本の工芸の合わさったものを見せていただいた気がしています。

現在、徳積カフェの設計でどうしても椅子を中心にどうしたものかと悩んでいました。しかし思い返してみれば、私はブルーノタウトが日本の工芸職人に、様々な工芸を依頼してつくらせていたものを観てその魅力と価値を感じていたのかもしれません。

そもそも椅子とは何か、もっといえば西洋文化とは何か、その原点や本質を知っているからこそ日本の伝統工芸に示唆を与えることができたように思うのです。私の身近には、現在、多くの工芸品が集まってきています。

その一つ一つには、実に多くの文化が融合しているものばかりであるのに気づきます。例えば、今、私がパソコンでブログを書いているのに使っている八角テーブルは中国の文化を取り入れた風水で仕上がっています。

思想をそのままカタチに換えてそれがテーブルとなって新しい文化に融合していく。

その役目を果たすデザイナーや設計者、そして職人たちは、「思想や文化」を伝統的な日本人ならどう咀嚼して融和させられるか、もっとシンプルに例えれば、今の風土の素材で挑むのなら何をどうするかと試されているのです。

発明や発見というものは畢竟、そういうものです。

あらゆる素材をあらゆる文化で結合させる、そして新しい調和を産んでいくということ。

私たちは日本人として日本の風土で生まれ育っています。単なる輸入したものを、輸入した素材で似たものをつくってもそれは本物ではありません。その証拠に、何も風土で練り上げられたものが活用されていないからです。

本物とは風土の化身であり、私たちはあくまで海外から来た新しいものを風土で調理して本物に仕上げる必要があるのです。私がこだわっているのは、この一点であり、建築やデザインを手掛けるものの中心には常に「風土」を基本にしています。

現在、建築も設計もデザインもあらゆる職業は分化して専門家されています。私は専門があることはいいことだと思っていますが、専門しかしないというのはどうかなと感じます。

なぜなら自然はすべて専門が集積調和したものでありそれぞれは全体で成り立っています。それを風土といいます。その風土を究めることが、工芸に出たり、大工に出たりして民藝という具合に人々がすべてアーティストに変換されているのです。つまり風土の美を日本人は全員が持っていて本来は全員がデザイナーでありアーティストでありミュージシャンであったからです。

無名の、何の職業と関係ない人が、真善美をあらわすほんの小さな芸術を数々に産み出してきました。そしてそれが日本のふるまい、しつらい、もてなしなどにも融和されて独特な生き方を示していました。

忘れてはならない日本をもっと大切にすることこそが、子孫たちへ日本人の心を譲り遺す鍵となります。私のできることで、その生き方で示していきたいと思います。

いのちの伝統食

日本人の風土が生んだ歴史的な食のことを伝統食といいます。この伝統食というのは、色々な定義があると思いますが私は日本古来の風土食であると定義しています。

例えば、現在は海外からあらゆる食材が入ってきますからふるさとの味とかいいながらそれは海外の風土でできたものだったりします。またおふくろの味とかいいながらも、実際には海外のレシピでできたものだったりします。もちろん、その人にとっての味がふるさとであり、おふくろであればそれはそれで懐かしい味でいいのですが伝統食とは言わないということです。

そもそも伝統とは何かということになるのですが、「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、慣習などの歴史的存在意義」と辞書にもあります。

これをその日本の古来の風土、つまり自然のなかで時間と人々の暮らしと共に醸成されたものが伝統なのです。その中で何を食べ続けてきたか、何をもっとも中心に据えて食を支えてきたか。まさにそれが伝統食になるのです。縄文時代のもっと先から私たちの先祖は、この日本の風土で収穫できるもの、育てられるものを工夫して食べ続けてきました。食べるというのは、健康で生き続けることですから何を食べて健康を維持してきたか、そして何を食べて医薬としてきたか、それが食の歴史には詰まっています。

その伝統食とあわせて地域の郷土料理というものに人々が移動移住と共に発展していきます。私たちが食べている郷土料理は、伝統食が分化してその地域の郷土料理として発展していくのです。

そこにはその地域特有の生活習慣があり、価値観があり、風習やしきたり、ならわしなどもありそれぞれの個性を発揮していきました。それが精神性を含めて受け継がれて、食を通して懐かしい日本人の生き方までを実感できるのです。

私は伝統食に取り組んでいますが、その材料は神棚にお祀りする神饌そのもののように丹誠を籠めて慎んで提供するようにしています。古来から何を神様にお祀りしてきたか、その一つにいのちのままの自然の素材、いのちを壊さないための配慮、いのちを組み合わせた調和する品格、いのちを支えるいのちの器、これらを働かせるいのちの料理をしています。

いのちの料理をすることで、それを食べた人たちはいのちの存在を身近に感じて自分のいのちを味わい美味しい、しあわせと口々に語ります。

こうやって伝統が伝承されていけば、子どもたちにも日本の大和魂を甦生させていけるように私は考えるのです。引き続き、子どもたちのためにもいのちの伝統食を提供していきたいと思います。

余韻を生きる

私は人生の中でよく「余韻」を味わうタイプの方だと思います。振り返りがとても好きで、楽しかった日はそのあとに訪れる余韻の方をもっと楽しみにしています。この余韻は、心の本音との対話の時間でもあり人生の豊かさを彩る記憶の数々です。

幼いころは、楽しすぎることを怖がり余韻を感じるのが苦手な方でした。それが次第に、内省を味わうことを続ける中で仕合せを噛みしめるようになってきて余韻を感じることが人生の醍醐味であると思えるほどです。

人生にはそれぞれの体験があります、喜怒哀楽、まさに感情が味わうセンスを高めて感受性を育てていきます。私たちの感情と心はそのままにつながっていて、感情が心に素直に影響を与え、またその逆も然りです。

心と感情が一致するとき、私たちは一体になった姿になります。まるで赤ちゃんの頃のような神人合一に近づくのです。

私が特にこの歳になって余韻を味わう時に仕合せを感じるのは、ご先祖様の存在を感じるとき、人の心の優しさやぬくもり、思いやりに出会う時、同じ道を歩む仲間に出会い、共に笑い、共に食べ、共に詠う時、当たり前の暮らしの中にある当たらり前ではないことを噛みしめるとき、また自然の美しさやいのちが甦り寿命が大切にされるときなどです。

歳を取ることが幸福に感じるようになったのは、道に学び、徳を磨き、愛を綴り、場を清める面白さで好奇心が止まらない日々を生きているからかもしれません。

もちろん疲れも苦労も心配も重労働もありますが、それもまた心地よく、それができることの有難さを感じます。

生きていることは素晴らしい。

そう感じるとき、私たちは余韻を生きています。人が人と出会い、時と出会い、場と出会い、魂と出会う、まさに余韻を生きる一期一会の生き方は、この世で懐かしい喜びを大切に寿命を全うしようとする太古からの意志を感じます。

子どもたちが憧れるような生き方や働き方を通して、遠大で悠久の夢を子孫たちが健やかに暮らしていけるように伝承していきたいと願います。

仲間との邂逅に感謝します。