徳のカタチ

吉田松陰を探求するたびに山鹿素行のことは何度も目に入ってくることがあった。しかし、紐解いていくうちに聖賢が目指した国のカタチをしっかりと解明していた姿に感銘を受けることになった。

神州という言い方がとても気になっていたのでその正体が何かということを深めていると、そもそも神代より日本が目指した道徳的な国の姿に対して自分が何ができるかということを言っているのではないかと気づくことがあった。

そもそもこの国は、皇祖天照大御神が三種の神器などを使い神勅という理念を掲げ人民たちとこのような国にしようと決めてそれぞれの人たちが皆で個々に自らを戒め慎み徳高き精神を磨いていこうと取り組んできた歴史がある。

日本語の中にも、そのような思いやりに満ちた言葉がたくさん生まれている。

御互いに愛敬し、人倫を正し、和を尊ぶ姿にはそもそも人が大切にしなければならないことを自らが行おうと志高く歩んできた民族でもあったのだと思う。

戦後に、様々な思想コントロールが行われ国としてのカタチがだいぶ崩れたけれどそれでも歴史は消し去ることはできはしない。この国のあちこちにはいまだに亡くなっても消え去らない大道が続いておりいくらチリや埃が溜まってもまた少し掃除をすれば道が顕われてくるのである。

山鹿素行の著書「中朝事実」にこうある。

「天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、生々無息造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、人民をして是れによらしむるゆゑん也」

私の意訳だけれど、「天地自然の真心は、天地の天地たる姿であるからその途絶える事のない命の創造は広大無辺に行われ続け、これが永遠であるという無彊の道なのである。聖人はこの真理に添って、この国が永代に豊かに栄え続けるようにと皇道の主柱を立て、人々はこの主柱によって安らかに永続して安心して暮らせるようにしてくださったのである」と感じる。

神代から私たちがどう生きるのか、その原点や初心はすでに私たちの心の中にその歴史に脈々と受け継がれてきているのである。

それを奪い去ることは誰にもできず、その心は人々の心の中に確かに存在しているのである。この国の人たちが、今は色々と盲目にされていたとしても必ず目覚める日が来ることを予感するのも私たちが日本人だからである。

真の独立とは、この理念を世界へ広めていくことなのである。

そして吉田松陰は、草莽崛起を掲げ自分の命を正しくその理念のために使い切ろうとしたのである。山鹿素行の思想が、ちゃんと吉田松陰に受け継がれそれが新しい日本の姿を世界へ示したことで私たちは世界から尊敬されたのである。

「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」

私の意訳では「今の政治家はもはや酔っ払っていて救う方法がない。これはもう野にいる志高き人たちへ頼むほかはない。しかし自らを育成してくれたこの本地の御恩とと神代から頂いている御徳は決して忘れることができない。まずは志ある人々によりこの本地を守り、長い目で観て皇国の将来のためにしっかりと自らを尽くしていけばただ我武者羅にやっているだけで大したことを遣っていないように見えても、これは皇国のために命を尽くした功績を称えられる人というべきである」という意味になる。

どんなに小さな蟻ん子のような努力であったによせ、その志が天地自然の道理に中ればそれが世界のために貢献できるのである。

私たちが尊敬してやまない徳のカタチを山鹿素行の遺書からも学ぶ事は出来ています。まだまだ深めていきたいと思います。