世界市民3

昨日のブログで世界市民とはどうあるかと定義する中で、本来の日本人になることだと書いたけれどそれがどういうことか紐解いてみる。

代表的日本人として、内村鑑三が二宮尊徳、上杉鷹山、中江藤樹などを書いている。

そもそも代表的な日本人とは、この日本の風土の中で育った日本的な人物、つまりは日本の風土と同じような自然のままに神代からの理念を基盤に道を極め万物融合し新たな境地を体現する人物のことであると私は定義している。

言い換えれば、神儒仏やキリスト、西洋東洋など誰かが分けたものが分かれていない人物、他に例えれば、日本の風土が生み出した幼児のような存在、そういう大和魂そのもののままに時代の中で日本を体現できている人ということになる。

つまり私は世界市民であるとは、代表的日本人であると定義している。

そのためには、本来の日本の真心を会得し、その理念で生きる人たちが世界で活躍できるような社会を創造していく必要がある。だからこそそういう代表的日本人を見守るような土俵、つまり保育の環境が必要であると私は思う。

元々、この国の人たちは国土と同じくとても若く幼い感性がありまるであの園の子どもたちのように無邪気に様々な出来事や物事を吸収して転じていく力を秘めている。幼児教育に身を置いていると、その幼児の現場で日本の大和魂が育っていることを実感することばかりである。

そこを見守るということがどれだけ大切なのかは理屈では到底語れない。

子ども達のそのままの姿に見出せる大和魂を発揮してもらうには、そのままの子どもを丸ごと認めていく必要がある。その心に、その風土が顕われ新しいものを創造していこうとする力が漲っているからだ。

世界では子ども達を育てるのは文明の存続のために世界市民を育てるためであると私は思う。日本は日本人を育てることが使命であるのは世界では当然で、まるでそれはその土地、その風土、その太古から引き継がれている国土の心がその人に入り込みその根が養分を吸収するかのように育っている人を見守ることである。

自然を観れば、この日本の風土に咲いている花々、木々、虫たち、すべては日本に合うように創造されている。代表的な生き物が外来種によって駆逐されていく中、それに負けないような本物の日本人が顕われることである。

この自然豊かな日本の国土のように、丸ごと受け容れることができること。
そして日本のものとして変換し新しいものを生成していく根源力。
そういう日本的精神を使って自らの命を尽くしていくことが世界市民であるということの自覚なのである。

きっとこれから世界は国境を超えて真に人々が協力していく時代に入る。
なぜなら、世界が一つになってきているからだ。

だからこそこれから世界の中の日本としてどうするか、真のリーダーシップが求められることになる。

子ども達のことを思えば、その時、その瞬間に代表的日本人として活躍していけるように今は脚下の実践を通じて見守る環境を拡げていきたいと思います。