伝統

人は世代を通して強くなっていくものである。

先代が創りあげた中で足りなかったものを次代が刷新し、そしてまたその次代がさらにバージョンアップしていくように参代にかけて学び続けて一つを完成させていくようにも思う。

自分で体験していく中でしか気づけないというのは、繋がりの中で継承していくからであろうと思う。元々、一つのことを為すにはかなりの長い時間がかかり父親譲りのところ、母親譲りのところ、祖父譲り、祖母譲りなどというように譲られている自分が存在している中で執り行われるのである。

その譲られているというのは、強さも弱さも同時に譲られているのでありそれを次代が引継ぎそれを進歩躍進していくことで伝統が保たれているのであろうと思う。

伝統とはありのままの善悪渾然一体となったものをまるごとそのままに譲られたということなのである。

それをどう自分が体験し、正しく理解しそれを形にしていくかというのはその人の一生涯により実験されていくのだと思う、そしてその実験された記憶がまた種に凝縮され次代へと譲り渡していくというのが生命の繫がりであろうとも思います。

自分の代を如何に真摯に全うするかというのは、その次代にそれが受け渡されるという責任を感じるところから生まれるのだとも思います。今、自分を思うと様々なものが譲られていることに気づけるものです、それがトラウマであったり幸せであったり、または苦悩であったり、感動や感情であったり、心も体もそのすべての真実の形が長い時間をかけて形成されていることが現実としてあるのです。

自分が今生きる中で今までの偉大な繫がりの中にいてそしてこの先もずっと続いていくのだろうということを自覚することは、今の自分を丸ごと受け容れることでもあるのです。

今の自分が丸ごと受け容れられれば、自らで体験したことで気づいたことはすぐに学び、すぐに改善していくしかなく、そうやって子々孫々が同じ失敗をしなくてもいいように配慮していくことができるようになるのだと思います。同じ失敗をしてほしいと思う親はいないと思います、その失敗を自分が何とか乗り越えて新しい次代になってほしいと願うのが本心であろうと思います。

歴史を正しく理解し、歴史を学び、今の自分の在る有難さを感じるというのは滾々と流れている生命の伝統を自覚することなのだと思います。日本は、神話の時代から天皇がいてその継承したものを私たちは眼にも見えることができるというのは本当に有難い日本の伝統だと感じます。

しっかりと自分の目と耳と手と体で実体験したものを譲り渡せるよう真摯に自らの役割を果たしていきたいと思います。