心を開く3

前回までのブログにあるように心を開いて本心の自分と対面してもさてその生き方を決めるとなるととても難しいものがある。

いくらそれが正論で的を得ていて感じることがあったとしても、本当の意味ですべてを納得できていなければそれを受け容れることは難しいからである。

自分の中ではかなり昔に答えが出ていることでも、どうしても心意の両面がそれを丸ごと認めてなければ納得していることにはならない。大体この本来の自分との付き合いにおいて自分をかつて信じてあげることができなかったことからバランスを崩してしまい定位置が掴めなくなり揺れ動いてしまうのだと思います。

これはあの大きな海と同じく日頃は何かしらの風や多くの環境の影響を受けて波が動いています。しかし穏やかになれば静かになるように、海の様子もある一定の静謐さの中で調和を持つようになっています。

本来、水がそうであるように水の本体とは何かと考えるときその性質を通して私たちは心意の世界に触れることができるのだとも思います。水を科学していくことは、それだけ自分の心意を知ることに繋がるのだと思います。

心を開き決心をするには、長い時間と自分との対話、つまりは向き合いというものが必要になります。この向き合いを通して人は本心と出会い、自分の生き方というものに触れていくのだと思います。

そしてそれを決心するには実力が必要になります。

今までの総力戦というか、ここだけちょっとやればいいではなく文字通り全身全霊でそこに一心同体一心不乱に傾けるという覚悟のようなものがいるのです。

その時、実ははじめて心が開いているといっていいのだと思います。
三種の神器の一つである「正直」でいるということは実はとても深淵なものなのです。

至誠というものも、真心というものも、誠意というものも、それを実行するには実力が必要であり、その実力とは言行一致、自分の心からそう思っていることを想い続けて勇気を出して行動するということができるかどうかになるのです。

迷いがあるのは、そういうことができなくなっているからでもあります。

自分が本当に求めているものを手に入れるには、自分自身との向き合いが必要でその向き合いは自分に嘘をつかないことからはじまります。それはつまり素直であるかどうかということです。

他人にも素直でいるためにも自分にも素直でいることはとても大切なことだと思います。子ども達は今、どのような環境の中で声を出しているのでしょうか、本当に自分の言いたいことを全部いっても大丈夫だと思えるような見守る環境が用意されているのでしょうか。

心を開くことは、まずそれは大人たちが本音をいつも話していけるような環境を用意してはじめて子ども達に及ぼしていくのだと思います。世界のために自分を役立てることができるお手本となるような生き方を示せるよう、日々の心法を高めていこうと思います。