失敗は成功の母

人は何かをしようとするとき、必ずそこに失敗というものがついてくる。失敗しなければ成功もなく、当然成功するのなら失敗があったからでもある。そしてその失敗と成功の繰り返しの中で間に存在しているのが成長なのである。

しかし今の時代、どうしても偏りその失敗を責めてしまい失敗をさせまいとするような風潮がある。それに失敗した人に対してとても激しく咎めることで、失敗をすることを恐れてしまうような環境もある。逆に成功者には成功を持て囃して成功しかさせまいとするような風潮もある。成功していなければ価値がないとまで仕立てあげるような環境もある。

そういう私も数々の挑戦の中で、たくさんの失敗をしていきそれをかなり激しく叱責されることで失敗は良くないことだと思い込んだり、失敗をしないようにしなければなどというような思考に陥ってしまうこともある。成功も同じく、ずっと成功のままと見せなければと勘違いしてしまいそうなこともある。

しかし持ち前の好奇心からそれも長くは続かず、どうしてもその先にあるものを観たいと思ったり、何が何でも大義のためにやるのだと念じることでその失敗への恐怖を吹き飛ばしてきたことで今が在る。志を立てたことで成長意欲や向上心が芽生え、あまりそういう成功失敗は気にせずもっと実力をつけてお役に立ちたいという気持ちが前面に出ます。

特に私の場合はそれを発揮するのは、何かのためや誰かのためにと自分の使命感や思いやりが発動するときにもっともその勇気を発揮することができる。

人は自分のこと以上の大切なものに出逢い、自分自身がそれをやることに意義を実感すれば次第に後押しされていくものでもある。目先のことに囚われ、足下のことばかりに注視していたら、本当の意味で人生の幸福感を味わうことはできはしない。

人生の幸福感は、自分の命が何か偉大なものに役立っていると実感しているときこそに感動していくのだとも思います。

そしてそれを豊かにしていくものこそが実はこの失敗でもあるのです。

この失敗は、覚悟ともいい、覚悟がついたとは失敗することも厭わないと決める事、つまりは失敗も担保にいれてまで挑戦して最期まで遣り切りますという決心のことを言うのである。

覚悟力と失敗力は私にとっては同じであり、失敗したっていい、失敗したってそれを必ず遣るのだという熱意や情熱がその決心から滾々と湧き上がってくるのだとも思います。

覚悟力も失敗力もその力の源は決心による勇気なのです。

この自然の持つエネルギーに似た子ども心も同じく、その背中を見守る偉大な後押しを実感しながら突き進めることこそが維新の原動力でもあろうとも思います。

今の時代は、失敗するということの定義がすべてに悪いことになっています。まずはこの失敗の定義から転換し、失敗こそが大きく育つのだと見守りその妙味を味わっていきたいと思います。

失敗は成功の母、そしてその失敗を見守る心こそが親心だと学んでいきたいと思います。