世代交代

すべての生命には世代交代というものがある。それは時代が変わり、新しいものが生まれるのは流れが循環する中で時も一巡して新しく環境が変化していくことを意味している。

場所が同じところであっても、時間が経てば廻り回って戻ってきたときには少し変わっているのだから、時とともに新しいものに対応できるように歪をなくすためにも生死があり、古きものが新しいものになることで調整していくのであろうとも思う。

歴史を観ても同じく、時代の変わり目は節目というものは全てにおいて世代が切り替わっているのであり、昔の世代が終焉を迎え、新しい世代の時代になっていくから国も変わり、倫理観も変わり、ありとあらゆるものが変わってしまうのであろうとも思う。

しかしその時代の節目には、自分を否定されたと思ってしまう前の世代が必死に自分たちの遣り方をいつまでも固守しようとし頑固に頑張り続けるから新しい世代にスムーズに切り替わることができず、いつもトラブルを起こしてしまう。新世代の人たちは、自分たちを信じてもらえなくなることで自由にさせてはもらえず教育や過去の価値観の押し付けや洗脳等によっていつまでも先の世代での遣り方に従い維持していこうとなってしまうのであろうとも思う。

特に先の世代の時代は必要とされて認められていた価値観を新しいものたちから否定されることほど古い世代にとっては辛いものはない。その時の頑張りがあったからこそ今があるというのに、今の世代にそれが間違いだったと言われることは自分の生い立ちを否定されたかのように勘違いしてしまうものだからである。

しかしそれをもう一度よく深く洞察してみると本当は認識違いで新世代は旧世代を決して否定しているのではなく、時代が単に変わったのだと伝えているだけなのに対して、旧世代が自分の役割がまだまだ終わっていないと自分の居場所に固執しているだけという構図になっていることが多い。

特に親子関係でもそうだし、会社でも役員交代でもそうだけれど自分がいつまでもそこに居座っていたら後に来る人たちはどうしても自分たちのやりたいことを自由に取り組もうとはできなくなってしまうものなのです。

本来は、新世代は先代が築き上げてきたものを正しく壊し正しく作り直すという役割をもらっているのだからもっと信頼して挑戦させてあげることを繰り返すことで畢竟、それぞれの世代の役割を正しく果たすことができるのだろうとも思います。

それをやろうとする新世代のことを思えば、新世代が好きなようにしていくことを受け容れることが自分たちがやってきたことをちゃんと認めていくことになるのであろうとも思います。自分が今までやってきたらこそ、ここで新しく壊す必要があるということを受け容れるということなのです。

自分がやってきたことを正しく役割交代することが、世代交代の意味なのです。

それはまるで子どもが成人になるまでに大人が変な教育で自分たちの価値観を一斉に押し付けて刷り込もうとするのではなく、子ども達の世代なのだから子ども達の自由にさせてあげよう、そしてそれを温かく見守ろうとするのに似ているのです。

私の定義では、もう子どもが大人になったら世代交代の時期であると思っています。

いつまでも大人が社会に居座らないで、子ども達が子ども達の社会を子ども時代に創っていくのを見守る役割になったのだと私は思っています。

子どもの自由を奪う権利は大人にはなく、当然その世代を謳歌した人たちはもうすぐに譲り渡す準備をするべきであろうとも思います。子ども時代が奪われたからと子ども時代を取り返そうとするのではなく、そういう思いをしなくていいように子ども時代を与えてあげればいいのです。

時代はこれからも永遠に変化し続けていきます、これは誰にも止められません、止めれば自然の摂理で無理がきて崩壊するだけです。それを考えれば、子ども達、その新世代にこの世界を任せていくことの方がより無理なく自然に役割を果たし自分たちの命の繋がりも譲っていくことになると思います。

いつまでも自分の居場所をばかりを求めるのではなく、次に訪れるものたちのために席を空けておくこと、世代交代は役割交代なのです。

私自身、今の子ども達の新世代のために早々に子どもを見守る側に正しく入っていこうと思います。