問題と先生

問題というものがあります。問題というのは、問題そのものを直視し見つめるときにはじめてその問題そのものが大切な答えを持っていることに気づきます。問題を解決しようとする前に、その問題そのものをよく見つめることからというのが問題の本質であるように思います。

思い返してみても、問題をそのままに解決するということはできません。問題をよく見つめずに解決策を考えても問題がなくなるわけではありません。そもそも問題というものは、それが悪いものではなくその問題そのものが価値があることがほとんどです。その価値がある問題の意味をよくよく洞察すると、それが自分の本当にやりたかったことや、自分のお役目だったり、あるいはそれが全体最適につながる最適解だったりすることがほとんどです。

ではなぜ問題を直視できないのか。

それはその問題に感情がつき纏うからです。問題の解決には多大な感情のプロセスや時間、あるいはエネルギーを費やすことが観えているからです。そこには例えば自分の内的トラウマが潜んでいたり、乗り越えなければならない壁が立ちふさがっていたり、あるいは膨大な時間やお金が必要だったりと色々と観えてきます。すると、問題が大きくなるばかりで問題そのものを直視することができなくなるのです。そうすると問題の先送りをしたり、問題を挿げ替えたり、問題を避けて通ろうとするものです。一度、その選択をしたら問題を正面から直視することがさらに難しくなるのです。

問題を直視するというのは、この問題の本質は何かということを突き詰めることです。そこには様々な複雑な感情があるかもしれません。それをひっくるめて正面から問題そのものを見つめるとき、問題そのものが自分を導いて大切な気づきを教えてくれるものです。

つまり問題とは、本来は自分の先生ということになります。

先生は答えを教えてくれる人ではなく、問題を教えてくれる人です。問題を教える人は煙たがられ、嫌われることも多々あるものです。しかし、本当の問題を教えてくれるのならそれは自分をより成長させ、真の意味での解決、つまり生き方を学び直すチャンスとなります。

問題とは、その時々で自分の人生において生き方をはじめ最も大切なことを学び直すチャンスです。

問題をがあることで人生は豊かになります。問題をチャンスと捉えた時点で、禍転じて福になるものです。ピンチはチャンスというのも善い言葉です。ピンチの由来は、英語のクライシスでそれはギリシャ語のカイロスといい、これはチャンスというそうです。

やっぱり問題は生き方を換えるチャンスだと思うと、問題ばかりの人生はチャンスをたくさん持っている状態ともいえます。

そして先生とは、いつもチャンスの切っ掛けをいただける存在です。

何でも問題を悪いものとせず、問題こそ人生の醍醐味として子どもたちのお手本になるように豊かに明るく挑戦していきたいと思います。

 

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