「鶴は千年、亀は万年」という言葉がります。この言葉は元々は中国の淮南王朝に書かれた思想書である「淮南子」の第十七説林訓に「鶴歳千歳、亀歳三千歳」という言葉が由来だといわれます。
古来の中国では仙人がいて、鶴や亀は蓬莱山に棲み仙人の使いと信じられてきました。長寿の目出度い存在として、縁起のよい生き物としてむかしから重宝されてきました。そこから縁起物や贈り物に鶴や亀がよく使われます。
実際の寿命を調べると、鶴は50年くらい、亀は大きいものだと250年くらい生きるともいわれています。通常の鳥や動物よりも長生きするのは事実ですが千年も万年も生きてはいないようです。
もともと仙人というのは、中国の古来の信仰の一つで道教でいう長年の修行で超自然的な力を持った存在として崇められてきました。神様というのは、先天的に神聖で絶対的な存在なのに対して仙人は後天的に修行や自己修養をし不老不死の存在になったものをいいます。仙人は真人ともいわれ、超自然的な力を縦横無尽に発揮できる存在でもあったといいます。かつての人間ということでしょうか。人間は進化の過程で人間性を失い劣化していきました。原初の人間は、自然の中でどのように振舞ってきたのか。歴史を辿って観てみたいものです。
話を戻せば、鶴や亀のいる蓬莱山は「仙境」と呼ばれる土地です。世間や世俗の煩わしさから解放された清浄な場所とされそこに仙人もいると信じられてきました。
もともと英彦山は、かつて仙人の棲む仙境であったといわれてきた聖山です。宿坊に滞在して場を調えていると、仙境のイメージがたくさん湧いてきます。自然の音だけが聴こえてきて、時が止まっているかのようです。
そして不老不死とは、何か。
これは単に物理的にいつまでも若々しくて死なないという意味ではないことは直観します。現代では、メタバースやクローン、遺伝子組み換えや冷凍保存、マインドアップロードなどあらゆる技術で不老不死に挑んでいる人たちがいます。これは物理的に若々しくて死なないことを修行ではなくテクノロジーで実現しようとするものです。
そもそもこれらのテクノロジーというのは、苦労や修行をしなくても簡単便利に手に入れる方法を指すことが多いように思います。その方がお金になりますし、その方がこの世の真理に逆らっていくことで膨大なエネルギーを消費できるものです。
実際の仙人の不老不死は超自然的なものであることがわかります。それは永遠の循環と一体になっていることです。つまりはこの地球などの存在そのものになっているかのようなものだと感じます。
郷里福岡の禅僧、仙厓和尚が「鶴は千年、亀は万年、我は天年」といいました。天年とは、天命を生きることです。実際には、それぞれに天命がありそのままになること、そのままに生きること、その存在こそが永遠の循環になっているように私は感じます。
仙人になるというのは、どういうことか。不老不死とはどういうことか、これからも豊かに楽しく修行を味わっていきたいと思います。