学問の要

吉田松陰は至誠と実行の人物であったことはよく知られています。その生涯において、勇気を出して普通の人がやらないような非常識なことにも果敢に挑み周囲を感化していきました。

その実行に至るプロセスは突然の思いつきで衝動的に行動するのではなく、その裏付けに日々の小さな実行の集積があったことがその言動からわかります。自らを狂人であるとし、常識に囚われずに志を全うする意志の強さには感動します。その遺した言葉には、徹底して実行を重んじた生き方がありました。

「一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば、一年の効果がある。」

「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。」

「学問の上で大いに忌むべきは、したり止めたりである。したり止めたりであれば、ついに成就することはない。」

その実行の背景には常に至誠がありました。

「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。」

「小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。」

どの言葉も、生きた学問を実践していく上で参考になるものばかりです。自分で決めたことは自分自身と約束したことです。その決めたことに正直であるからこそ、継続を怠らず真心を盡していくことができます。

自分自身に嘘をついて誤魔化していけば、自分自身との付き合いに信頼ができなくなります。自分との信頼を結ぶことが世界への信頼にもなっていきますから如何に自分が信じたことを積み重ねていけるかが人生においてとても重要であることがわかります。自分への信頼関係は、この至誠と実行によってのみ積み上げられるからです。

そして信じたことを信じたままに実践を続けて内省によって自己との対話をしながら改善を続けていくことで本当の自己を確立していくことができます。自己を磨き、魂を磨くことはこの世に生まれてきたものすべての道であり使命です。

引き続き、子どもたちに人生を遺せるように今を大切に歩んでいきたいと思います。

 

 

共に学ぶ~道中の安心基地~

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝し、松下村塾を深めにいくことができました。もうかれこれ24年間、毎年通っていますが毎回新しい発見があり、吉田松陰の創造した学問や学校のカタチが如何に普遍的であったかを感じ入るばかりです。

あの当時、共に学んだ志士たちの生き方はわずか松下村塾での学びが1年であったにもかかわらず心に響きその後の若い人たちや子孫へと影響を残しています。

私の憧れた学校、憧れた学問、憧れた組織を先に実現していたこの松下村塾と吉田松陰は一つのロールモデルとして私が初心伝承の経営をする上でもっとも参考にしています。

自分が実践してみて一年たち、またここに来る。それを繰り返しながら、近づいていく努力をさせていただけるのは本当に有難いと思っています。その吉田松陰の生き方だけではなく、ここで創造した場を如何に甦生するかは私の人生の課題の一つだと信じています。

昨日は何度も見学した施設があったのですが、改めて目に入ったものがありました。それは松下村塾の教育方針と書かれたものです。これは今、私が仕事で「共に学ぶ」というある学校のコンサルティングを受けていますがとても参考になります。そこにはこう書かれます。

『松下村塾には「三尺離れて師の影を踏まず」というような儒教的風潮は全くなかった」師弟ともに同行し、共に学ぶというのがその基本的方針であった。松陰はその考えを、安政五年「諸生に示す」に書いている。「村塾が礼儀作法を簡略にして規則もやかましくいわないのは、そのような形式的なものより、もっと誠朴忠実な人間関係をつくり出したかったからである。新塾がはじめて設けられて以来、諸君はこの方針に従って相交り、病気のものがいれば互いに助け合い、力仕事の必要の場合はみんなが力をあわせた。塾の増改築の時に大工も頼まず完成させたのも、そのあらわれである」とした。』

現代においてもっとも先端をいく学校が学問のカタチは「共に学ぶ」ことだと知られていますが、単に知識だけを教え合ったのではなく一緒に真剣に生きて学び合った形跡が松下村塾には残っています。

生き方を通して学び合う関係というのは尊いもので、深く相手のことを尊重しているからこそはじめて共に学び合うことができるように思います。それはご縁を大切にや、一期一会などの言葉もありますがもっと偉大な生きていく姿勢そのものが純粋であったからこそここまで共に学ぶ形が顕れたようにも思います。

そしてその思いが純粋であったjからこそ常識に囚われず師弟共に学び合い、自分自身を確立させていきました。なぜそこまでこの村塾に魅力があったのか、吉田松陰のこの言葉からもうかがえます。

『教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。』

お互いの持ち味を活かし、不得手もまた愛し、得てもまた愛し、それぞれがそこで活かし合えるように互いに見守り仲間として受け容れてくれていたように思います。この村塾は、塾生たちにとっては魂のふるさとであり、自分が天命を生きることを見出すための道中の安心基地だったのでしょう。

「世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。」

魂が大事だというのは、人生の意味そのものだからです。

最後に、こう塾生たちに言い遺します。

「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。」

誰がどういおうが、常識から外れていると罵られようが、道理上やらねばならぬというものは必ず行えというのが生き方です。

引き続き、今年も心魂を定めて社業に専念していきたいと思います。

 

 

自然の篩

私たちは無意識に様々な出来事の中から選択してきたことで今につながっています。それは諺にもある「篩にかける」ということを行っているように思います。この篩というものは粉・砂などの細かいものを網目を通して落とし、より分ける道具のことです。

この篩(ふるい)というものは、古いと同じ韻ですが「ふる」は「経る」からきているものです。経年していくなかで、朽ちず残るものが篩にかけられたものともいえます。そしてこの篩は民具の中でもとくに重宝され、長く人間に用いられてきたことが分かります。

篩にかけるというとき、本当に遺るものだけを選別するという意味になりますが篩にかけられるとなると、本当に遺るもの以外は選別されるということになります。

自然や時間というものは、自然に適っていないもの、真理や道理、法理に合わないものは自然淘汰していくものです。この自然淘汰とは、篩にかけられることであり理に適っていないものは消えていくということになります。

その篩は、人生においては死して名を残すものであったり、徳であったり義であったりと、それまでの体躯はたとえ寿命で失われても篩にかけられて遺ったものがカタチとなって顕れるのです。

長い目で物事を観るとき、現代まで古から遺ったものは自然淘汰の篩にかけられても消えなかったものです。それは人間も同様に絶滅していないのだから篩にかけられて遺った存在だともいえます。

しかし短期的に物事を観るのなら現代にあるものは自然淘汰されるものばかりであり、遺らないとわかっていてもそこにしがみ付いてしまうのはこの篩にかけることをしなくなっていくからではないかと私は思います。

身のまわりをよく見つめ、何百年も続くものは何があるのか、そしてすぐに消えてなくなっていくものは何なのかと、自然淘汰の理をみつめていけば自ずから自分が篩にかけられないように自らの篩を身に着けていく必要があると私は思います。

私が取り組んでいる自然農の古民家甦生も初心伝承も、私にとっては自然の篩です。

引き続き、信念をもって時代のなかで篩に残るようなものを子どもたちに譲り遺していきたいと思います。

 

常識が変わる

人はその人の生き方が変わることで当たり前の定義が変わっていくものです。当たり前が変わるというのは、その人にとっての常識が変わるということでもあります。本人にとっては当たり前だと思っていることも、他の人にとってはこだわりだといわれることもあります。その時こそ、お互いの間にある常識が異なることに気づきます。

この当たり前というのは、その人の生き方が物語っています。

この当たり前がどれだけ徹底されているか、当たり前になるほどにそれが身に着いているかは実践の質量に由ります。そして生き方もまたこの実践の徹底によって質が異なってくるのです。

例えばわかりやすいものであれば、「手間暇」や「丁寧」「丹精」などがあります。雑な生き方をしていて思いやりや真心が籠められず頭で計算ばかりしてきた人が、これではいけないと一念発起して敢えて手間暇や丁寧や丹誠を籠められるような準備やきめ細かく時間をかけてじっくりと取り組んでいく実践を日々に積みかねていくとします。

それがある一定の量を超え、質に転換されていくときその人は生き方ががらりと変わります。どう変わるかといえば、手間暇や丁寧や丹誠を籠めることが当たり前になってしまいもとのように雑にいいかげんな対応ができなくなってしまいます。どんなに忙しくても、思いやりや真心を籠めた行動ができるようになる。その時、その人にとっての当たり前は手間暇や丁寧や丹誠を籠めることが当たり前になるのです。

生き方というのは、頭で理解したからできるものではなく実践して自分自身をつくり変えていくことでできるようになります。

ここで大切なのは、自分自身をつくる担い手は自分であるということです。自分が自分をつくっていくのだから、当たり前になるまでは苦労も努力もありますが変わるためにと決めた実践を継続することで自分自身が成長して変化する。

そうやって自分を変えていくことで、私たちは観ている世界、観えている世界を別のものに置き換えていくことができるのです。

今までできない無理だと思っていたのはそれまでの常識が変わっていなかったからです。それまでの常識を実践によって変化させ、自分の常識が変わるのなら今までできない無理だと思っていた世界ががらりと変わってしまうのです。

そうなれば、周りからは無理だといわれ続けていたことが本人にとっては当たり前になりますから難しいことではなくなっていきます。そうやって、人は初心を定めたものに向かって挑戦し続けて内省し改善を継続できればどんな常識も毀すことができ、新しい自分に出会い続けることができるのでしょう。

実践は地味ですが、大事なのは場数をこなすこととたゆまず怠けず継続することにかかっています。

引き続き、今の時代に相応しい新しい生き方を提案するため暮らしを変えて働き方の常識も温故知新していきたいと思います。

努力の楽しさ~道楽の仕合せ~

聴福庵の離れのお風呂がほぼ完成し、一緒に井戸を掘った仲間たちにも体験してもらいました。苦労が報われる瞬間というか、努力してきたことが実る仕合せを感じながら皆と味わい深い時間を過ごすことができました。

振り返ってみると、長い時間をかけて手間暇をかけて一つ一つを丁寧に丹誠を籠めて取り組んできたことは努力だったように思います。その努力は、決して報われようとして取り組んでいた打算的な努力ではなく、本心から家が喜び、子どもたちが日本の伝統文化に触れる仕合せのためになるようにと祈りながら取り組んできた努力です。

寝ても覚めても、ああしたらいいのではないか、こうしたらいいのではないかと工夫して失敗しても上手くいってもいかなくてもそうか、次はこうしたらいいのかと葛藤しながらも楽しかったように思います。

この時の楽しいは、決して感情が楽しいというものではありませんでした。どちらかというと没頭していくというか、そのことだけに集中して苦労を厭わないというかんじでしょうか。

つまりは苦労の中にある楽しみとは、単なる嬉しい楽しいなどいう日ごろに感じているものとは異なり奥深いものです。つまりは苦しみそのものの中にいる仕合せというか、試行錯誤しながら寝ても覚めても取り組んでいる努力のことをいうのではないかと感じるのです。

努力といえば、王貞治さんのことを思い浮かべます。一本足打法の猛練習の努力のことは有名ですがこういう言葉を残しています。

「努力しても報われないことがあるだろうか。たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか」

というものがあります。後半の「それはまだ、努力とはいえないのではないか」という言葉は、努力の本質を語っていることが分かります。

努力とは血がにじむようなものであり、また自分自身を削り取るようなものであることがわかります。しかしそれを頭で理解すると、ただ苦しく辛いだけのように感じますが実際はその苦しみの中にこそ真の楽があり、それが「努力の楽しさ」というものです。

つまり努力が楽しいと思えてこそ、本当の努力になっているということ。

努力そのものや努力することが楽しいとなっているのなら、先ほどのように寝ても覚めてもになるのです。この寝ても覚めてもこそが、楽しいのであり感情的には葛藤や苦しみがあったとしてもまた寝ては朝起きたらあの手があるやこの手があるなど、考えるのを已めずにまた挑戦しているということです。

人生は、この努力の価値を知る者だけが本当の成功を知るのかもしれません。成功者になりたいのではなく、努力することの仕合せを知ることが努力の跡に顕れる奇跡に出会う方法かもしれません。

苦労が報われるのは、それによって努力できた価値を再確認するからです。努力を振り返ることは仕合せを感じ直すこと。真苦楽こそが道楽のことです。引き続き、子どもたちのその努力の価値を伝道していきたいと思います。

壁の定義

人は挑戦すれば何度でも壁にぶちあたります。壁があるから生き方が決めり、壁によって自分を磨き鍛えてもらうことができます。しかしその壁といっても壁にはその人の生き方が関係しますから壁という同じ言葉を使っても壁の定義が異なるのです。

例えば最初から諦めて何もしようとせずにいればそれが自分の限界として壁ができます。その壁はやろうともしないことで、どんなに小さなものでもできなくなってきます。またできることだけをやっていて新しいことに挑戦しなければその壁はいつまでも乗り越えられない壁として自分に立ちはだかってきます。失敗を恐れ、評価を気にしては、最初から挑戦すること自体を諦めればその壁は停滞の壁になります。

しかし挑戦する壁は、先ほどの停滞の壁とは異なります。メジャーリーグで現役で挑戦を続けるイチロー選手はこのような言葉を語っています。

「壁というのは、できる人にしかやってこない。越えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁があるときはチャンスだと思っている」

ここでは壁という認識が諦めからきている壁ではなく、壁は乗り越えられるからあると挑戦を諦めないことから実感しているチャンスという表現を使います。つまりは、前提として挑戦しようとして感じている壁は必ず乗り越えられる壁であるという自覚があるということです。

事物に受け身になっている人は、先ほどの停滞の壁に苦しみます。しかし主体的に事物に挑戦する人は挑戦の壁に苦労します。どちらがいいとは言いませんが、明らかに壁を善いものとして捉えているか、壁を消極的に捉えているか、そこに生き方の差が出るのです。

この生き方の差というものが、どのような壁をつくっているか。一度、立ち止まって見て壁という言葉の定義が自分がどのように捉えているかで自覚を持つことが大切なことのように思います。できることしかしないという言葉も、前提に挑戦しようと取り組めば壁はその人を磨いてくれる重要な砥石になります。

壁を乗り越えるために、できることをやるのは挑戦を続けるということです。引き続き、壁を味わい壁を楽しみながら、その壁の向こうがどうなっているのか好奇心にワクワクドキドキしながら子ども心でピンチをチャンスに換えていきたいと思います。

徳の甦生

今年の一年もまた、温故知新や復古創新に取り組んだ一年になりました。一般的に古くなったものを新しくしていくのは当たり前のことですが新しいものをわざわざ古くしていくというのは当たり前ではありません。

時代的には、技術は進歩していきますからどんどん新しい素材や仕組みが席巻していきます。そうなると古い素材や仕組みが対応できませんから、新しいものに換えざるを得ません。

例えば、昔使っていたポケベルやPHSに戻そうなどといってももう環境がなくなっているのだから使うことができません。それに今更昔の技術に回帰してもメリットもなくなっています。

特にIT技術の革新は早く、ほんのちょっと前まで主流だった技術があっという間に古くなっていきますからこちらの柔軟性や順応力が重要になります。人工知能になればさらに発展の速度は加速するはずです。

これらは古いものを壊して新しくすることです。

しかし先ほどの新しいものを壊してわざわざ古くするとはどういうことか、それは見直しや見立て直しをすることで本来の智慧を甦生することです。そしてそこには職人の技術が必要になります。

つまりは先ほどのIT技術とは異なり、新しいものを改善し見直すにはそれ相応の智慧を持つ人たちの技術が求められるのです。

これは仕事でも同じく、新しいプロジェクトを創るのは簡単ですが過去のプロジェクトを新しくするためには経験や智慧や改善できる技術が必要になります。それは敢えて新しくしない技術といってもいいかもしれません。

昔の智慧を現代に復活し甦生させていくにはどう見直すか、どう見立てるかといった改善の目利きが必要です。そこには思想や哲学、さらには自然観や歴史観、死生観など様々な生き方や生き様、もっと言えば文化に精通していなければできないからです。古民家甦生でいえば、数々の伝統の職人さんたちと意見を合わせながら最適な技術をそこに施していくことで新しいものが古くなっていくのです。そこには職人技術いった伝統の智慧が凝縮されます。

技術といっても、この職人の技術は英語でひとくくりに語られるただのテクノロジーではなく心技体の合一した人格が備わっている叡智の伝統技術です。つまり新しいものを古くするには、人格に伴った伝統技術が必要になるからです。

そしてその伝統技術もっと別の言い方にすればそれを「徳」ともいうのかもしれません。

「徳」が備わってこそ本物の技術を持ち新しいものを古くすることができると私は思います。それは様々なものをモッタイナイと感じる心、ご縁を繋ぎムスブ心、子孫のことをミマモル心、清らかに澄まされたマゴコロ、など、日本の文化を体現する徳が智慧として技術に還元されるということです。

今回の聴福庵の離れの復古創新は、新しいものを古くした一つのロールモデルです。引き続き、子どもたちのためになるような徳の甦生を実践していきたいと思います。

いのちの物語

古民家甦生を通して古いものに触れる機会が増えています。この古いものというのは、いろいろな定義があります。時間的に経過したものや、経年で変化したもの、単に新品に対して中古という言い方もします。

しかしこの古いものは、ただ古いと見えるのは見た目のところを見ているだけでその古さは使い込まれてきた古さというものがあります。これは暮らしの古さであり、共に暮らした思い出を持っているという懐かしさのことです。

この懐かしさとは何か、私が古いものに触れて直観するのはその古いものが生きてきたいのちの体験を感じることです。どのような体験をしてきたか、そのものに触れてじっと五感を研ぎ澄ませていると語り掛けてきます。

語り掛ける声に従って、そのものを使ってみると懐かしい思い出を私に見せてくれます。どのような主人がいて、どのような道具であったか、また今までどのようなことがあって何を感じてきたか、語り掛けてくるのです。

私たちのいのちは、有機物無機物に関係なくすべてものには記憶があります。その記憶は思い出として、魂を分け与えてこの世に残り続けています。時として、それが目には見えない抜け殻のようになった存在であっても、あるいは空間や場で何も見えない空気のような存在になっていたとしてもそれが遺り続けます。

それを私は「いのちの物語」であると感じます。

私たちが触れる古く懐かしいものは、このいのちの物語のことです。

どんないのちの物語を持っていて、そしてこれからどんな新たないのちの物語を一緒に築き上げていくか。共にいのちを分かち合い生きるものとして、私たちはお互いの絆を結び、一緒に苦楽を味わい思い出を創造していくのです。

善い物語を創りたい、善いいいのちを咲かせたい、すべてのいのちを活かし合って一緒に暮らしていきたいというのがいのちの記憶の本命です。

引き続き、物語を紡ぎながら一期一会のいのちの旅を仲間たちと一緒に歩んでいきたいと思います。

経営視線~一緒に働くということ~

人にはそれぞれに自分の見ている視野というものがあります。その視野の広さによって、どこまで物事が観えているかがはっきりしてきます。そういう人たちが集まって集団や組織をつくるのだから、その視野がどのように共通理解されているかで協力の仕方もまた変わってくるものです。

例えば、会社組織でいえばよくバラバラになっている感じがする組織は個々が自分勝手の視野や視点で自分の仕事のところだけをみて働こうとします。目の前の作業ばかりに追われ視野が狭くなってくると余計に会社全体の目的や目標を見失い、自分だけの仕事に没頭しているうちに他を邪魔し自分だけの仕事で良し悪しを判断して非協力的な雰囲気を出していきます。

本人はちゃんと仕事をしていると思っていても、それは自分の小さな狭い視野でのことですから笑えない話ですがひょっとすると仕事はできても会社が潰れたということにもなるかもしれません。

人は自分だけの視野に閉じこもったり、何のためにということを思わずに部分最適ばかりに目を奪われると視野が狭くなっていくばかりです。

そうならないためには日ごろから視野が狭くならないような仕事の仕方、働き方が必要です。言い換えれば視野を広く働く仕組みや訓練が必要だと思います。例えば、全体最適を目指し、なぜ会社にこの仕事が必要なのか、全体的に何を目指しているのか、常に今の自分が取り組んでいることを、長い目で考えたり、さらには広い視点で本質と対峙したりしながらみんなと協力し合って全体最適になっているかと常に視野を広げるフィードバックを求め続ける必要があります。

バラバラではないというのは、個々の勝手な視野で部分最適に行うのではなくみんなで一緒に広い視野を持ち合って一緒に取り組んでいくということです。別にみんなで同じことを一斉にやることが一緒にやることではなく、みんなが同じ目的を共有し同じ視野で一緒に取り組んでいくということがバラバラではないということです。

視野が狭くなるのは、自分自身に囚われたり評価を気にしたり、保身やプライドや我が邪魔していることが大いに影響があると思います。自分の心配をして全体を意識しなくなればそれは視野が狭くなります。協力しやすい風土や、助け合いの風土が自分の視野の狭さによって作業に没頭し閉じこもったことでぶち壊されていることを自覚する必要があります。先ほどの自分の仕事はできたけど会社が潰れたは、言い換えれば自分の作業はできたけどみんなの働きには貢献しなかったということになりかねません。会社やトップが求めているのは部分最適ではないことは明白です。そうならないように「一緒に働くときの働き方」を新たに身に着けなければなりません。

ここで最も大事なことは「常に視野を広げるような働き方をすること」でありそれは自分の心配よりもみんなの心配をすることや、会社が目指している大きな目的や理念の方をみて、本当は何をすることが本来の仕事なのかと常に周囲と一緒に思いやりをもって取り組むこと。つまり常に視野が狭くならないような働き方をすることではないかと私は思います。

目的も本質も知らずに作業をするのは、効率優先結果優先、評価優先で刷り込まれてきた歪んだ個人主義の影響を受けたのでしょうがその刷り込みを打破するためには視野を広げ、視点を合わせみんなで一緒に取り組む新たな習慣を身に着けてみんなが経営者のようになって働いていくことだと私は思います。それをみんなが経営視線になるともいうのでしょう。

引き続き、課題も明確になっていますからどうあるべきか深めていこうと思います。

信じる力

人生には苦しい時というものが何回もあります。その時、私たちは信じる力が減退し弱ってくるものです。その時、自分以外の何かの「信」に頼って自分を信じる力を甦生させていきます。

人は一人ではないと思うとき、このままでいいと思えるとき、信じる力によって救われていくものです。

この信じる力というものは、希望でもあり生きていくうえで自立していくためにとても大切ないのちの原動力でもあります。人間は信じあうことで不可能を可能にし、信じることができてはじめて感謝の意味を実感することができるように思います。

信頼というものは、その信じる力を伸ばすとき、また信じる力を回復するときに欠かせないものです。信頼関係が持てる人との心の安心基地がある人は、どんなに困難が降りかかって信じる力が失われてもその安心基地に頼ることで自分を信じる力を増幅させます。

この安心基地は、一緒に信じてくれる仲間の存在であったり同志やパートナーの存在であったり、どんな時も片時も離れずに自分を信じてくれる内在する自分の魂であったりします。

人はこの安心基地を築き上げるために、それぞれに信じるものへ向かって一緒に力を合わせて取り組んでいきます。人が協力するのは、この信じる力を合わせるためでもあり、安心基地を共に築いていくためでもあります。

誰かと一緒に関わり何かを行う理由は、この信じる力を身に着けてその「信」によって互いの人生を共存共栄していくためでもあります。人は「信」で繋がるからこそ人生の歓びや楽しみ、仕合せを感じられるのです。

その信で繋がることができるのなら、お互いの信を分け合って助け合い自分の使命を全うしていくことができます。人間は時として、自分を信じられなくなる時が必ずあります。夢を諦めそうなとき、孤独を感じるとき、それは自分を強く逞しくしてくださっているのですが信じあえる存在がいることで夢に救われ、孤独よりも愛の大きさを知るのです。

私のメンターが見守るとき『本当の自立とは自分でできるようになることではなく、人に頼ることができるようになること』といつも仰っていますが、これは「信頼」を深めれば深めるほどにその意味の奥深さが分かります。

勘違いした価値観や、刷り込みや常識に囚われればこの自立の意味もはき違えて信じる力を減退するための環境を自らが子どもたちに広げてしまうかもしれません。もう一度、信じるとは何か、なぜ信じるのかと確認しながら本来のあるべき姿に回帰し、信で繋がり、信で頼り合う関係を構築していきたいと思います。