変化の創造

成熟してきた業界のことを観察していると、今までの仕組みが邪魔をして変化が停滞していしまっているところがよくあります。その時代時代に、課題がありそれを解決するためにはじまるのですがその時に作った仕組みやシステムが陳腐化してくるのです。

その時は、それでよかったものが時代が経つとそれが変化の邪魔をするのです。そもそも移り変わっていくということが分かっていれば、移り変わる中で何が今の時代の要請なのかということを常にとらえて学び続けることができます。しかし、日々の忙しさに追われてそんな時間が取れなくなると次第に移り変わることを忘れてしまいます。

あまりにも目先のことや日々のことに追われていくと、人は変化に疎くなるのです。

変化していくためには、少し忙しさから離れて世の中の変化をよく見つめ直す時間が必要です。もしくは、忙しくしない日々を生き、常に変化というものを見つめる観察眼を養う必要があるように私は思います。

かつての人たちは暮らしの中でその観察眼を磨いてきました。

日々の小さな変化、自然の変化に目を凝らし、小さな虫一つ、植物の変化一つを気づき、そこから世界の変化を予測していました。自然界にも兆しというものがあり、世界の反対側で起きていることでも小さな自然の変化から想像することができるのです。

今は、テレビやインターネットで世界の反対側の情報も映像などで入ってきますがむかしは長い時間と小さな変化を観察することで情報を入手したのでしょう。もともと地球は球体ですから、投げたものは長い時間をかけて返ってくるものです。これは意識の変化も同様です。歴史が刻まれていく中で、人間の意識も少しずつ変化していきます。

コロナがあり、戦争があり、人間の心理や感情も刻々と変化していきます。

毎日は同じように見えても同じことは一つもありません。

その時々によく観察し、原点回帰しながらも何が変わったのかを見極めて順応していくしかありません。昔と比べてではなく、まさに今がどうなっているのかに集中するということでしょう。

子どもたちの未来のためにも、新たな変化を創造していきたいと思います。

暮らし方

人はそれぞれに人生を生きていますが、その中で暮らしがどうなっているかはその豊かさや仕合せを左右するものです。例えば、芸術や文化、音楽などを含めそれがなくても毎日仕事をしてお金を稼いで毎日、忙しく生きてはいますがそれで日々の暮らしが潤うかというとそうではないことはすぐにわかります。

ある人は、毎日の生活に潤いがありまたある人はそれがない。それは環境もあるかもしれませんが、本来は生き方が決めるのであり、その生き方が暮らし方を決めているということもでもあります。

どんなに忙しい毎日であっても、暮らしがととのっているのであれば潤いのある日々を過ごしていくことができるのです。

私の場合も、周りからみると結構暇そうに過ごしているように見られることがあります。特に古民家で炭火でお茶を沸かしてゆったりとおもてなしやおしゃべりをしていますから余計にそう思われます。

私のことをあの人はもう十分儲かって稼いでいるから仕事をしなくていいなどと言われたり、話が長いし時間がゆったりだから気を付けないとすぐに時間がなくなってしまうよなどともいわれます。しかし実際は、結構な忙しさもありやっていることを話すとよくそんな時間がありますねというくらいいろいろとやっています。ただそう見えないだけといことです。

それを考えてみると、私の場合は「今」というものを大事にします。また人生の座右の銘は一期一会です。その瞬間に真心を籠めていきると決めていますから、忙しくても心まではそうならないようにと噛みしめながら味わっています。毎朝毎晩、振り返りをしてはその余韻から気づいたことを反芻しています。

自然に触れたり、花をめでたり、炭を感じ、音を聴き、光を観察しご縁を味わう。そうやって少しの隙間に、今、この瞬間を楽しむのです。

暮らしは、暮らし方でもあります。

人生は一度きりですから、悔いのないよう潤いを忘れないように過ごしていきたいものです。子どもたちにも、多様な暮らし方を選択できるような場をつくっていきたいと思います。

子どもの環境

今の子どもたちとむかしの子どもたちは、基本的には同じです。しかし同じ子どもでも与えられた環境が異なってくるとその子どもたちは異なった成長をしていきます。当たり前のことですが、環境が子どもに与える影響は大きく、どんな環境であったかはその後の人生を左右していくのです。

ではどのような環境がいいのか。例えば、自然が多いところ、もしくは学術都市のようなところ、他にも有名な教育をしているところ、色々と考えることはあるでしょう。しかし、それが子どもにいいかどうかは本当に意味ではわかりません。なぜなら個人差もあり、どのような効果があるのかは人それぞれだからです。

こういうことを書くとでは、どうするのかとなります。もちろん、自然が多いところなどは感性を磨いてくれますし、身体も健康になっていきます。都会と比べて空気も美味しく、健康的です。健康に育てようとすれば、自然豊かで地産地消できるような場所、また人のつながりやコミュニティが暖かいところがいいのは間違いありません。

私は子どもの環境のことを深めていながら普遍的な環境というものがあるのではないかということに気づきました。一つは、暮らし、一つは発達、一つは伝統文化です。

例えば、伝統文化というのは今の子どももむかしの子どももそれを知恵として伝承してこの土地の人間として育ってきました。それは非常に理にかなっているものであり普遍的です。この土地に生まれたからこそのこの文化というように、地理や気候、生活文化が長い長い時間をかけて醸成されてきたのです。この環境が子どもにあるのかどうかは大変重要だと思うのです。

もう一つの発達、これは育つ環境のことです。植物であれば、土中の環境がよくその植物にあった場所で育ちます。つまり育つための環境があるということです。もともと人は個人差もありますから発達速度もバラバラですし、特性もあります。それがうまくみんなで育ちあうようにするにはそれができるような場所が必要です。植物でいえば土もない、水もない砂漠のようなところでは育ちません。自然農でも、その特性を見抜いて最適な環境をどう用意し見守るかが大切です。これも時代が変わっても普遍的なものです。

最後に暮らしです。暮らしというのは、人の営みです。大人の姿を見て子どもは育ちます。そしてその暮らしの中には、今まで連綿とつながってきた先祖からの記憶や知恵が凝縮されておりそれによって地球や自然と共生していくことができます。あらゆる生き物は、この暮らしと調和し一生をはじめ一生を終えるのです。どのように暮らすことが仕合せなのか。それも教えずにしてわかるのがこの暮らしです。

このように普遍的なものがあるなかで、人は特殊な教育ばかりを注目しますが残念なことです。空気や太陽や水などと同じように、本来は教育も普遍的なものでした。私たちは今までどう育ってきたのか、こういう時代だからこそ原点回帰していく必要性を感じています。

保育に関わる人間として、私自身、まだまだやれることがあります。残りの人生の課題の一つとして挑戦していきたいと思います。

守静坊の枝垂れ桜の徳

守静坊の枝垂れ桜を見学しに沢山の方々が訪れていました。もう何十年の前から訪れている人、最近知ってはじめて来られる方、色々な方が来られます。辺鄙なところにありますからほとんど場所も見つけられないところにあります。それでも桜を見に来てくれているのを感じると、ここに一つの出会いと一期一会があります。

私たちは花を見ます。しかしこれは花の方も私たちを見ているということもわかるはずです。お互いに見つめ合ってその心を通じ合うとき、私たちは花に心を映されて感動するのです。

自分の心が花の美しさを見て、その美しさを感じる心とつながるのです。

私たちの心というのは、目で見ている以上にその目には映らない何かを感じ取っています。私たちは自然の中に存在しているその何か、私はいのちともいいますがそれを心が観ているのです。

この地球のすべてはいのちを持っていることがわかり、いにしえの時代にはそのいのちが常に観えている時代があったのでしょう。日本でも、研ぎ澄まされた神社などはその姿がいつも観えるように自分を整え心を澄ませています。他にも飛鳥時代などの大工さんや職人さんを調べると、確かにその方々にもいのちが観えているのがわかります。

私たちはいのちをいちいち確認していたら、何もできなくなると思いそのいのちから一定の距離を持つようになってきたのでしょう。しかし、繋がっているいのちの世界から離れたことによって私たちは心を忙しくするようになっていきました。心が忙しくなることで、頭で処理するようになりましたがその分、本当の豊かさや仕合せからも遠ざかったともいえます。

人間は戦争を繰り返しますが、戦時中でも美しい心を保ち続けた人たちの姿もあります。真に地球に住む生命を保ちたい、真の人間のままで素直を保ちたいとみんな自分に打ち克って生きていました。

花は、そんな人間の心をよく知っているのかのようにいつも美しい心のままに私たちに正対してくれます。花のいのちは短いといいますが、私たちはこの花のいのちをみて心を落ち着かせることができます。

花も多種多様、心も多種多様、しかし、その花が持つ美しさに魅せられて心は動いていきます。

この守静坊の枝垂れ桜も孤高の美しさ、その心を映してきます。老齢になっても、理想を失わずいつまでも情熱を持ち気魄を放ち永遠の若さを宿す枝垂れ桜。

この枝垂れ桜に恥ずかしくないように、真摯に甦生に取り組んでいきたいと思います。

 

英彦山の甦生のはじまり

昨日は、英彦山の宿坊、守静坊に120人以上が集まりみんなで茅葺屋根の茅を運び入れました。大きなトラックで6台分くらいあったでしょうか。一軒の家の屋根にこんなにも大量の茅を使うのかと驚きます。先日、阿蘇に茅を刈りにいきましたがその作業も大変な作業でしたからこれをこの数と思うと、改めて職人さんたちの労力や仕事に頭が下がる思いがしました。

現在、この宿坊は昭和のリフォームで茅葺屋根がトタン屋根に変わっています。もう地元で茅を育てている人たちもなく、みんなで茅を葺く文化も消失しました。できないのだから他の方法でということで、トタンになったのでしょう。トタンは便利で、茅を丸ごと囲いますから茅に雨が染みこむこともありません。茅は、そのままにしていると傷みますから定期的なメンテナンスが必要になります。

むかしは、常に囲炉裏に火が入っていたから茅も燻されて防カビや防虫などもしてくれ長持ちしました。現代は、燻すこともありませんからすぐに茅も傷んでしまいます。どう考えてもトタンからわざわざ茅葺にすることは見た目が良いメリット以外には大きな費用がかかるし、この先もずっとメンテナンスできるかという問題があるからと二の足を踏む人が多いといいます。それはよくわかっています。一般的には無理だと諦めるかもしれません。しかし、私は別に家をリフォームしているのではありません。

私は、古民家甦生を通して日本の懐かしい未来を甦生しているのです。なので茅葺屋根は私にとってはメリットしかないのです。やらない理由はまったくないのです。この茅葺屋根を葺くという行為自体が、懐かしさの源流であり、現代にも連綿と続いてきた真の日本人の心を甦生することになっているからです。

昨日は、みんなで「結」(ゆい)という体験をしながら、たくさんの茅を運びました。みんなで声をかけあいながら、力を合わせて協力しました。午前中だけでは終わらず、その後は有志が残ってくださって残りの茅もほとんど運びました。体力も消耗し、大変ではありましたがみんな心は清々しく笑顔も多く、素晴らしい人たちが一緒に汗をかいてくださっていることで場所全体が輝いていました。そして200年の枝垂れ桜もそれを満開の花と共に美しく揺れながら見守ってくれていました。

この懐かしい未来の光景は、決して文字では伝えることができません。

この場に参加してはじめて、これが「結」(ゆい)なのかと、直観し実感するものです。私はこの光景がいつまでも子どもたちに遺して続いていけたらいいなと心から祈っています。

人はみんな、みんなのものだと分かち合う時、そして誰もが地球では家族の一員だと助け合う時、私たちはそこに繋がっている存在、結ばれている存在の有難さに気づきます。他人と貸し借りができるのも、そして知らない人たちでも協力し合えるの、その時、心はとても豊かになります。懐かしい先人の生き方や知恵に触れるとき、私たちは何かを思い出しています。その何かは先人が私たちに遺してくださった大切な心を伝承し、その当たり前ではないことに感謝を思い出しています。そして私たちはその結ばれてきた今までのご縁の尊さを思い出すのです。

私たちは、ずっとむかしから今も結ばれ合っています。それをまたこの時代も結い直すことが、これまでもこれからも仕合せになっていくための知恵なのでしょう。

英彦山の甦生のはじまりが、この結からであったことに深く感謝しています。

歴史の大切な1ページを皆さんと一緒に、結でめくれたこと一生忘れません。英彦山のお山の徳が引き出された瞬間を感じました。ここからは引き続き、徳を磨き、英彦山から日本全体へとその徳を顕現させ子どもたちの心のふるさとを甦生させていきたいと思います。

一期一会をありがとうございました。

ありがとうの波紋

昨日、無事に46歳の誕生日を迎えることができました。多くの方々からもお祝いをしていただき、感謝の一日を過ごすことができました。ご縁は広がっていきますから、出会う人たちも広がっていきます。人生の豊かさの一つは、多くの人たちに出会い関わりを持てるということでもあります。

人はそれぞれに色々な生き方があり、色々な考え方もあります。まるでお花のように、色々なお花を咲かせてはそれぞれの徳が薫ってきます。その花の魅力をどう活かすかは、器にもよるし場所にもよります。みんなが活かしあえるような楽しく愉快な場所がこの世に広がっていけばいいなといつも思っています。

子どもたちがそうであるように、それぞれの子どもたちの徳は無限の可能性があります。やりたいことがあり、その人らしい個性を持っています。みんなで尊重し合う社会が実現できるのなら、悲しい暴力や戦争も遠ざかっていくように思います。

何世紀もの間、性懲りもなく人間は同じような戦争を繰り返しますが同時にどの時代にも暮らしをととのえて地球や自然と共生し、他の生き物と一緒にじっと耐え忍んで永遠の平和の実践を積み重ねてきた人々もいます。

しかし子どもたちは未来がありますから、この一時的な感情よりももっと大切なものを守るために私たちができることを、できる人たちからはじめていくしかありません。まさに、来た時よりも美しくしようと一人ひとりの一歩一歩が場をととのえて世界をより善くしていくことです。

私の現在の状況を振り返ると、いつも怒涛の一進一退です。善いことが起きると思って期待すると、すぐにそれが予期せぬことで叩き落されます。感情的には落ち込みますが、それでも人間万事塞翁が馬だからと粛々と初心を貫いていたらまた予期せぬことが起き偉大な恵みをいただきます。感情の起伏が激しい味わい深い体験ばかりの日々ですが、有難いことにその繰り返しによって謙虚でいられます。

私は今もずっと未熟で、どうしても謙虚でい続けることができません。心が揺さぶられ感動する分、感情も波立ちますから毎日は劇場のように物語が発生しています。しかしこうやってブログや日記、その他の内省の習慣の御蔭で少しは自分自身の心を守り続けることができています。

謙虚さというものの本質は、自分が恵まれていることに気づいていく感性のことをいうのかもしれません。

当たり前ではない、有難いことをどれだけ今、この瞬間に感謝しているか。私たちの日本語は、「有難う」という言葉の御蔭様で暮らしが潤います。多くの人たちとのご縁が広がるというのは、それだけ有難うという恵みをいただいているということでもあります。

皆さんの有難うの波紋が、お山に伝わり、そして世界に広がっていけるように真摯に自分の役割を全うしていきたいと思います。

ありがとうございます。

道具の役割

道具というのは使われるなかで磨かれていくものです。特に使い手が徳のある人物であったり、その目的が偉大であればあるほどに道具の質も変化していきます。これは道具の話でもありますが、人間の話でもあります。

人間も道具と同じように、何か天や神意に使われることで磨かれ偉大になっていくものです。尊敬して已まない方々をみると、みんな一様に何かに使われている感じがします。

それは自分が使っているのではなく、何かしらの偉大なものに使役しているのです。それをよく人は、「神懸かる」という言い方をします。この神懸かるという言葉は、辞書を引くと「計り知れない、神霊の仕業かとも思われるような様子を表す表現。」とあります。別の言い方では「神霊が人のからだに乗り移る。また、人が普通と違うようすになることにもたとえていう。」ともあります。

つまり使い手の意志が道具に乗り移りそのものになっているということです。

これは自分の身体でも同じではないかと思うのです。魂が宿っているのが自分の肉体ということであれば、その魂懸かるのが自分ということです。純粋であればあるほど、精神を研ぎ澄ますほどに自分の魂が外側に出てきます。

私の尊敬している新潟の方がまさにそのような方で魂が外に顕現しています。純粋さや純粋性を磨き切ると、人は神懸かるのかもしれません。

日本刀のような美しさもまた、その魂を磨いていく中でこそ味わえる境地です。

英彦山に関わっていると、私の中の純粋性が磨かれていくように感じます。お山の御蔭で今まで感じなかったこと、観えなかったことなども近づいてきています。少しでも恩返ししたい、お役に立ちたいと取り組めばさらに純粋性が高まります。

これから何が起きるのか、わかりませんが心を澄ませて、魂を研ぎ澄ませ、邪魔にならないように道具としての役割を果たしていきたいと思います。

守静坊の枝垂れ桜

ついに念願の英彦山守静坊の枝垂れ桜が開花をはじめました。この枝垂れ桜は、文化・文政の頃(1804年~1819年)に、英彦山座主の御使僧として京都御所へ上京した真光院普覚という山伏が祇園枝垂の苗木を持ち帰り植樹したものだと伝わっています。

この枝垂れ桜の樹齢は約200年。高さ約15m、幅20mで、品種は一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)と言われています。

京都の祇園の桜のことを調べていたら、祇園枝垂れ桜というものが円山公園にあることを知りました。円山公園は、八坂神社の東側にひろがる京都で最も古い公園です。

なんとこの品種も守静坊と同じで「一重白彼岸枝垂桜」なのです。かつて歌人・与謝野晶子も愛でたという大きな桜は、現在二代目のものです。初代のシダレザクラは、根回り4m、高さ12m、樹齢200年余あったそうですが昭和13年、天然記念物に指定されましたが、昭和22年に枯死したといいます。現在の桜は、これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したものだそうです。現在の容姿は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10mとあります。

不思議に思ったのですが、守静坊の枝垂れ桜と初代の枝垂れ桜の年代がほぼ同じです。これは私の直観ですが、この桜はもとは同じ桜だったのではないかと感じます。現在の2代目の円山公園の枝垂れ桜は京都は南山城の井手町にある地蔵院の枝垂れ桜を株分けしたものです。この地蔵院の枝垂れ桜の写真をみたら、守静坊の枝垂れ桜にそっくりなのです。

その当時に思いを馳せると、どのような物語があったのかを想像しロマンを感じます。それが200年の歳月を経て、このタイミングで京都と英彦山がつながり枝垂れ桜のご縁で日本文化や信仰を甦生する場が誕生するのです。

ご縁というものは、時空を超えていきます。

どこまでがシナリオ通りなのか、それは神のみぞ知る世界です。私はその天意を邪魔しないように器として支えていくのみです。

皆さんと一緒に、枝垂れ桜の物語を未来に紡いで子孫たちの平和を祈念したいと思います。

甦生の心得

私は甦生の取り組むをする際、とても大切にしている心得のようなものがあります。それはそのものの持っている徳を感じるように取り組むことです。これは言い換えれば、ご縁を感じることに似ています。

自然はそれぞれにいのちがあり天命を生きています。それをそのままに尊重することで、その徳が出てきます。あるがままに活かすというか、ありのままにその時々のご縁を味わうような具合です。

そもそもご縁というものは、一期一会です。

二度とない組み合わせで、その時の記憶に刻まれていきます。これは物の組み合わせも、そしていのちの組み合わせも、その時々の絶妙なタイミングで発生してきます。

みんなその絶妙を生きている存在であり、そこに疑うものはありません。そしてその絶妙で顕れたご縁に対して、それを深く味わっていく方を優先していけばそのうちそのご縁がととのっていくのを感じます。

ご縁がととのうというのは、あるようにあり、なるようになり、あるがままになるというものです。これをある人は、待っているといい、またある人は、満ちるともいいます。

自我というものは、自分の思い通りにしようするものです。ではその反対は、思い通りにしないと通常は考えます。そうではなく、思っている以上の不思議な何かがあると信じるとき、自我合一し自然に想いと一体になります。

想いというものは、操作しているようで操作せず、自分があるようで自分ではない。まるで山のようで、まるで海のようで、まるで空気のように透明です。私たちたちは本来は、地球と一体になって暮らしていますから地球そのものともいえます。

私に与えられた天命とすべてを丸ごと受け容れて生きている方が、あまり執着もせず日々は豊かで楽しいものです。他人と比較せず、あまり持っているとか持っていないとか思わず、足るを知り、あるものを活かす方がみんなの天命に出会えるものです。

年度末で色々と周囲のスケジュールに巻き込まれてしまいますが、こういう時こそ、穏やかな暮らし、日々の暮らしフルネスを楽しんでいきたいと思います。

学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。