伐採の歴史

英彦山の宿坊で伐採を行っています。長年放置された木々は鬱蒼として、家に大量の枝がかかっています。日差しも入ってこず、風通しも悪くなるため行っています。実際には、高くなった木の伐採は神経を使いますし蔓の方が処理が大変です。絡みついている蔓は、切ったあともなかなかスムーズには取り外せません。特に高いところになればなおさらです。

通常の家屋であれば、高所用の車や道具が使えるのですが宿坊は岩がゴロゴロとしているうえに車が入っていきません。手動でやるしかないのですが、足場も悪く作業が進みません。それに高齢の枝垂れ桜があるので風の流れをあまり変えないように影響を与えそうな木は触らないようにしています。

自然の森林は、長い時間をかけて人間が暮らしていない森林に変わりましたがいよいよ住み始めるに至り、人間と共生していく森林になります。

そもそも日本人の木材の活用、伐採の歴史は縄文時代からわかっています。 竪穴式住居の柱、あるいは祭祀用の施設、小舟、狩りや料理の道具など木材は使われています。上手に、森林と共生して人間の暮らしを営んでいました。そのころは、今のように環境破壊もほとんど発生していなかったといわれます。森林の荒廃が分かっているのは、木材の加工技術が発展し大型建造物が誕生したころからです。田畑や居住地の開発によって森林は次々と伐採され676年には天武天皇から禁伐令を出すほどになりました。

それが戦後時代になるとさらに築城をはじめ、寺社仏閣、武家屋敷など建造物が増えていきます。人口増加と共に森林がさらに荒廃し、環境破壊が進み自然災害も増えていきます。それを江戸時代には、幕府と諸藩は積極的に森林の保全に取り組んだといいます。そして一時的に日本の森林資源は回復しました。

そして最も荒廃したのは明治中期だといわれます。

近代産業の発展により建築材や燃料が必要になり森林が一気に伐採されます。そして世界大戦のはじまりでと終わりの復興で木材を大量に使います。ここで政府は「拡大造林政策」を発令します。これは天然林を伐採し成長が早く経済価値の高いスギやヒノキなどの人工林に置き換える政策でした。そして昭和までこの流れは続きます。

ここで日本の原生林はほとんど失われ、国内の森の半分近くが人工林という状態になって今に至るのです。山のあちこちでは、スギやヒノキばかりで私も花粉症で大変ですがこれは明治の政策によって行わたことで発症したともいえます。

英彦山の奥地や裏にまわると今でも少し原生林が遺っています。とても穏やかでよく保水し、山も綺麗です。そこにヒノキや杉が乱立するとあっという間に周囲の雰囲気が鬱蒼としてきます。そして強風で倒れたり、鹿が杉皮なども食べるので腐ったりしていて放置すると危険です。

森に入ると、色々と自然環境が破壊されていく原因を感じます。

宿坊の木々を調えるなかで、子どもたちにも環境のことを伝承していきたいと思います。

自生自然

宿坊の庭をお手入れしていますが、水生植物たちを水の流れにあわせて配置しています。また石の配置や土の量も細かく調整しています。今まで単なる岩がゴロゴロと落ちていた場所に、橋を架け、石を配置します。すると、そこが一つの落ち着く場所へと様変わりしていきます。

なぜ然るべきところに配置すると心が落ち着くのか、それはそこに自然の姿を直観することができるからです。自然というものの中に、人間が入っているという安心感が落ち着くという気持ちを創造しているのです。

本来、自然というと野生という見方もあります。そこには人間が入っておらず、自然は野生のままということでここが落ち着くという具合にはすぐにはなりません。その野生の中に、人間がどのように入っていくかで人間も混じり合った野生、つまり自生自然となります。

そこでは、自然のあらゆる生態系と混淆して渾然一体になっていきます。

すると、人間が自然の中に入ることで人間と相性の善い植生や昆虫たち、あるいは菌類までが集まってくるのです。その中で心も調和するような暮らしがはじまれば、長い歳月を経て仙人がいるかのような雰囲気が出てきます。それがわびさびと言う人もいれば、懐かしいという人もいます。

いにしえから今までの間、私たちはどのような暮らしを結んできたのか、そしてどのような生き方を尊んできたのか。その原点に出会えます。それがお山での暮らしの正体です。

自生自然がはじまり、これからが本番です。

引き続き、子どもたちの未来のためにも今どのような調和が必要なのか。この場所で実験していきたいと思います。

参道甦生から学び直す

無事に仙人苦楽部と弁天様の参道を甦生することができました。毎回思いますが、気心がわかる方々と一緒に損得度外視で何かの汗をかく時間や心を調えて自らを磨く場ほど幸せなことはありません。

人間はむかし、何をして過ごしてきたのか。山には何をしにきたのか、懐かしい未来を体験することができました。もともと宿坊というのは、お篭り行の場所でもあります。これは動的修行ではなく静的修行であり、心に向き合い、暮らしと心を調えていく修行です。

まさに英彦山の山の霊気と場の力に癒され磨かれながら自己との対話をすることで、本来の生き方、在り方、心の持ち方を学び直せます。座禅との相性はぴったりで、山人合一の境地を体験できます。

また参道の甦生は、とても考えさせられることばかりでした。

最初に座禅でととのえ、弁天様の宗像神社に参拝をしてみんなで無事と奉仕を祈念します。上からみんなで落石などを気を付けながら作業をはじめていきます。もともとある参道は、土砂で埋もれていましたがお手入れをしていると土の中から次々と出てきました。永い期間、人が歩かなくなると道は失われることはわかっていましたが掘り起こすこともできることを知りました。

そしてどうしても水の流れなどで壊れてしまった場所は、別の道を創りなおします。直す人たちで新道づくりをしますが、それぞれに高齢者でも歩けるようにと歩幅を配慮しながらととのえます。道の甦生の最中には、火の鳥と呼ばれるアカショウビンの鳥の鳴き声が聴こえみんなで作業を止めて楽しみました。お昼は仲間がつくってくれた地元食材のみを使った精進料理、自家野菜などもたくさん差し入れしていただきました。伐採した木を足場にして、階段をつくっていきます。みんなで石を集めて、歩ける場所も調えていきます。そして参道が仕上がっていくと、みんなでその喜びや仕合せを味わいながら写真撮影をしてみんなで参道をあがって参拝をしたくなりました。夜には、甦生の象徴でもあるオオミズアオが宿坊の池に飛来してくれました。

不思議な体験ばかりの甦生でしたが、道がどのように甦生していくのかをみんなで深く味わった暮らしフルネスの二日間でした。

これから暮らしがますます整っていけば、道もまたさらに善いものに仕上がっていくと思います。ご縁と邂逅に感謝しています。次回は、夏至の時の鏡になりますがそれまでに場を整えていきたいと思います。

暮らしフルネスの日々

昨日から英彦山の守静坊で結の人たちと一緒に仙人苦楽部と古い参道をお手入れしています。もともと、私はこの仙人苦楽部はイベントのようにしたいわけではなく日々の暮らしの中で知恵を持った人たちと共にすることでその生き方や先人からの遺徳、さらには叡智を子孫へ伝承していこうとする活動になります。

今回は、長年放置され誰も通らなくなってしまった古道が土砂や枯れ木、水害などで破壊されていてそれをもう一度甦生し、参道を歩けるように繋ごうとする活動です。

もともと道が廃れるというのは何か。

これは道を歩かなくなるからです。道が歩かなくなるのはなぜか、それは本来の道がわからなくなるからです。本来の道とは、いにしえのむかしからどのような心でその道を歩いたか、その人たちが通り続けるところに本当の道があるのです。

この道を甦生しようとするのが私の試みです。

そして道を甦生するには、どのような心であるか、どのような精神であるか、どのような姿勢、どのような生き方、どのような働き方、どのような人たちかということがとても大切になっていきます。

心を一つに合わせて、道を甦らせていくのです。

有難いことに、この道を甦らせたいという声をかけたら有志が集まってきます。その人たちは、損得度外視で徳を積むことを喜びに参加してくださいます。そういう人たちとこの人生で出会い、そして共に汗を流し、一緒に喜び合う時間はまさに真の豊かさと邂逅があります。

道は途絶えたのではありません。

道を見失っているだけです。そして道は見失ったらもう一度、みんなでこの道だったかと探し出せばいいのです。そして道が見つかったならそれをお手入れしてもう一度歩き始めればいいのです。そうしているうちに、道が踏み固められまたむかしの道が新しくなり道の続きがはじまります。

参道を甦生するというのは、どういうことか。また英彦山やお山から教えていただきました。心から感謝しています。皆さんと一緒に参禅し、穏やかな気持ちで感謝し合える暮らしはまさに道そのものを再発掘できます。

暮らしフルネスな時を、今日も過ごしていきたいと思います。

心を磨く

本日から英彦山の守静坊で宗像神社、弁天様への参道を甦生します。また多くの方々がお手伝いいただき、みんなで崩れた場所を直していきます。今回は、尊敬する禅僧の友人と共に心安らかに和やかに穏やかに一緒に作務を通して静かに浄化しながら行うというまさに暮らしの中心を体験できる仕組みで取り組みます。

そもそも生きているということは、どのような心境で道を歩んでいくかということです。それをある人は、争いの心で歩んだり、貪る心で歩んだり、比較や嫉妬、不安や恐怖、怒りの心で歩んだりする人もいます。しかし、またある人は平和で安心、喜びや幸福な心で歩んだりする人もいます。

同じ人間であっても、どのような境地や心境で過ごすかは自らの意志で選べます。自分を調えるというのは、心も感情も調和させていくということです。世界は、何も変わっていなくてもどのような心の持ちようでいるかはその人次第でいくらでも変わります。

大事なことは、日々を過ごすのに、道を歩むのにどのような心境であるかということが自己との対話、自己との調和において重要だと思うのです。

この自己との調和というのは、心の持ちようを常に保ち続けるという修行です。平常心という言い方もしますが、常に心がある方を観ているか、常に心はすべての音を素直に聴いているか、常に心は周囲への感謝で満ちているか、四六時中その心境のままに暮らしを味わっていくのです。

人生の仕合せというものは、境地の会得にあるように思います。そしてそれは日々の暮らし方、過ごし方の中にあるということです。

同じ作務であっても心境次第で、ただの疲れるだけの作業になり、あるいは最幸を味わう一生忘れられない喜びにもなります。誰と過ごすのか、どう過ごすのか、どう生きるのか、それを決めることはできるのです。

今日も二度とない一生、一期一会です。

かけがえのない時間を豊かに楽しみながら心を磨き、大切な時間を味わっていきたいと思います。

新しい心学

石田梅岩という人物がいます。この人物は、商人であり、商人としてどうあるべきかという生き方を説きました。この考え方を石門心学といいました。

これは自分も商人として働いた梅岩の経験から誕生したものです。これはちょうど時代背景から貨幣経済が発展してきた時期で、ちょうどその時に色々な商人がでるなかで本来の人としての道は何か、商人としてどうあるべきかということが教育として必要になったように思います。

その中で、素直さのことが記されていて、人間は私心なき正直な心で商いをすることが大切であるということを信条にしました。素直さこそ人の道で、それが商売の道としたのです。ということから想像するのは、その逆が横行して世の中が乱れていったからかもしれません。

こういう言葉も遺しています。

「商人の蓄える利益とは、その者だけのものではない。天下の宝であることをわきまえなくてはならない」

利益は自分のものではなく、みんなのもの。これはもともと天下の宝ではないかということです。だからこそ、自分のものにだけするのは本来の商売ではないということです。

みんなのものだからそれをどう大事にするかということを考えるのです。自分の会社ではなく、みんなの会社。自分の財産ではなく、天下の財産。そう考えてみたら、大切にしなければならないものがたくさん観えてきます。

私が徳積財団で手掛け甦生した古民家なども、誰かのものではなく天下の宝だと思っているからそれをみんなで直していきました。自分だけがそれを守るのではなく、どうやってみんなで守るか。

これは自然に似ています。この土地や山は、自分のものか。川も海も自分のものか。いや、天下の宝である。だからこそこれに享受された利益があるのはその人だけのものではない。みんなのものだと弁えるところに、その人ととしての道があるということ。

現代、環境問題を見ていたら自分の土地だからと何の手入れもせず、人にも使わせず、ただ朽ちていきます。そして環境はますます悪化して、そのツケも子孫たちへと先送りされていきます。これだけ日本は裕福になってお金もあっても、ゴミばかりを捨てては消費するばかりの経済を拡大させています。

石田梅岩が今、生きていたらこれをどう思うのかなと感じます。

みんなのものだから大切にする。

こういう当たり前のことがなくなる経済というものは果たしてどのような結末を迎えるのか。きっと想像できたのでしょう。今は、その時代ではなく末期ですからこうなってしまったらどうあるか、新たな心学を甦生する必要があると感じています。

徳積循環経済は、新しい石門心学になっていくと私は確信しています。子どもたちのためにも、実践を通して伝承していきたいと思います。

有難い心の持ち方

有難いという言葉があります。それがありがとうになっています。言葉の意味から有り難しですから、滅多にないこととでしょう。時代劇などをみていたら、かたじけないという言い方もします。これも滅多にないほどに畏れ多いことという意味だといわれます。それだけ貴重なこと、一期一会であること、二度とないほど、また自分にはもったいないほどのことという解釈だと思います。

この反対語で使われるのが、当たり前。いつもあるもの、当然に貰えるもの、普通なことといいます。これは、その人の感覚でどちらにもとることができます。空気があるのは当たり前、空気があるのは有難い、同じ空気でもそれは人の感じ方で変わるものです。つまりこれは、生き方のことです。

確かに、親がいて自分が誕生しました。今の自分があるというのは、両親があったのですがこれは当たり前の真理です。しかし、両親が偶然出会い自分がいるというのはこれは滅多にないことです。他にも、今自分が置かれている環境や条件においても本当は相当な巡りあわせの奇跡であるといえば滅多ないことですが、そうやって歩んできたから当たり前という言い方もできます。

こういう言葉はどこから産まれてきたのか、長い年月、様々な代を経て、私たちの先祖たちは生き方的に大切なことを気づいてそれはそういうことを忘れないために言葉にして使おうとしたのではないかと思います。

足るを知るというのもこれに似ています。同じコップの水であっても、これだけしかないと思うのか、それともまだこんなにあると思うのか。同じ条件、状況下であっても観えるもの、感じるものが変わってしまうのです。

物の観え方が変わる、それは心の持ち方次第ということになります。

同じ人生を送っても、心の持ち方である人は仕合せで裕福で満足し、ある人は不満で不幸で貧しい人生を送ります。それは何がその分岐点になっているのか、まさに心の持ち方であることは間違いありません。

自分の人生が選べないとして、運命だとして、それをどう感じるか、生き方だけは自由に決めることができます。善い人生を生きたい、そして素晴らしい生き方をしていきたいと憧れた先人たちが言葉を遺してくださったのかもしれません。

ありがとうという言葉には、生き方をどうありたいかがいつも寄り添っています。日々を見つめて、子孫のためにも一期一会を生きていきたいと思います。

今を生きる

今の自分に発生していることを、ちょうどよかったと思えるというのは今を生きているということでもあります。人は今から離れると、よくないと思い込んだり、良すぎるのではないかと思ったりするものです。今がもっとも今の自分に相応しいと思う中にこそ、物事を活かすヒントがあるように私は思います。

では、なぜ思えないのか。それは自己との対話に問題があるように思います。過去のことを引きずって後悔し自分を責めていたり、未来に対する疑心や不安が入ってきたり、感情が心の眼を曇らせていくものです。本来、心の眼というものは素直であり、あるがままのことが観えるものです。そこに感情が入ってくると、見たくないものは避けようとするし、見たいものしか見ないという欲望が邪魔をしたりして真実が観えなくなります。

感情がピークに達すれば、脳が過剰反応してショートしてしまうものです。脳は、心と感情の調整をしていますからバランスを保てずに病んでしまうこともあります。本来、素直さというのは心と感情がどちらも今に集中するときに行われるように思います。

今、感じたことを心もあるがままに観ている。それがいいかわるいかなどではなく、あるがままにそのままに許される。そのようなとき、心も感情も健やかになります。もっとシンプルに言えば、体験することを素直に喜び味わう状態になっているということです。この喜び味わうというのは、感謝できる境地であるということです。

日々に感謝で生きる人は、今ここに素直に人生を味わっている人のように思います。しかしそれも簡単にはできることではないから、魂の修行、内省の実践を続けて、自己との調和を通して自己を磨いて修養していくということでしょう。

感情が嫌だといいながらも、心はやりたがっていたり、心は嫌だと思っても感情が先に動いていたり、好奇心というのはやっかいなものですがその好奇心があるから人は体験を優先していけるように思います。

時代が変わっても、人の本質は何も変わりません。AIが出てきても、人間は変わらないのです。変わらないからこそ、何が変わるのかを善く見つめ、今を大切に過ごしていきたいと思います。

初心伝承の種

種を蒔けばそこに芽がでます。自然と生きていれば、大事なのは種蒔きとそれを見守ることです。土がよければ、植物は育ちます。育った植物の中には、人間にとって都合がいいものとそうではないものもあります。それをよく見定めながら、全部を排除せず、共生できるようにするには知恵が必要です。

その知恵は、どこから学ぶか、それは自然から学ぶしかありません。

自然を観察していると、それぞれは真摯に生きていますが全体は調和しています。自分だけでいいではなく、そもそもが利他であることが生き残る戦略になっているのです。

生き残る戦略というのは、自分を生き切るということです。

自分を生き切るというのは、どこかすべてを何か偉大なものに委ねるような心境です。同時に、天にお任せするからこそ人事を盡すという感じです。

結局は、運というものがあり、その運が自然界ではとても重要になっているように思います。運をよくするには、運がよくなるようなことを自然から学ぶ必要があります。

自然は運という循環と一体になっており、上手に命を運んで何百年も何千年も続く仕組みの中に入っています。運の良しあしではなく、運そのものになっているということでしょう。

自然から学んだ知恵は、これからの人類に大切なことを伝承していきます。引き続き、子どもたちのためにも初心伝承を磨いていきたいと思います。

英彦山の水徳

現在、英彦山の宿坊で井戸さらいをしています。もう数十年も使われていなかった井戸ですから下には砂や汚泥が蓄積しています。それを取り除き、地下水脈からの水が綺麗に入ってくるようにお手入れをしています。

目測での感覚では井戸の中は目に見えるところまでは8メートルほど、ポンプで吸い上げていると水量はある程度は確保できそうです。あとはどれくらい砂や泥などで水が入りにくくなっているか、ここからは井戸に入って作業に取り組みます。

不思議なことに、ちょうど井戸をこれから取り組もうとしていたら6年前に聴福庵の井戸をお手伝いいただいた個人の井戸業者さんが挨拶に来られててまさかこのタイミングということで6年ぶりにまたお願いして一緒にやることになりました。

もう長いこと、井戸から離れたそうですが先日一緒に作業をしていたらやっぱりプロの風格で見事に井戸の道具をかき集めて準備を仕上げておりました。もう75歳になりますが、人生で掘った井戸の数を聴いたら覚えていないそうですが100本以上は手掛けたそうです。

掘る場所で全部水の個性が異なり、ある時はカナケで使えなかったり、あるいは良質ものものも出るそうです。深井戸と浅井戸がありますが、そのどちらも大変さがあるといいます。深井戸の方は、岩盤があったり、水が出なかったり、深いため掃除も大変であったり、あらゆる道具が高くついたりもあるそうです。水量もありますから、ほとんど一か八かということになっています。浅井戸の方も、水脈に中るかというのと水脈に中ったら当たったで水が大量に流れ込んできますから工事が大変だそうです。

自然を相手に仕事をするというのは、知恵が沢山必要です。そしてガッツというか、気力も必要です。井戸やさんも私が宿坊で池を甦生しているのをみて何か触発されたようで元氣が湧いてきて楽しく取り組んでくれています。

水は当たり前ではなく、自然からいただいたものです。この二日間、久しぶりに大雨が降っていますがこれが地下水になるのに世界は平均で600年くらいかかり循環するそうです。新しい水でも数日から50年、古い水は50年から5万年とか、もしくはもっと古いものもあります。

水もまた生きているということです。

子どもたちに自然の恵みを伝承するためにも、英彦山の水の徳を顕現させていきたいと思います。