心を磨く

本日から英彦山の守静坊で宗像神社、弁天様への参道を甦生します。また多くの方々がお手伝いいただき、みんなで崩れた場所を直していきます。今回は、尊敬する禅僧の友人と共に心安らかに和やかに穏やかに一緒に作務を通して静かに浄化しながら行うというまさに暮らしの中心を体験できる仕組みで取り組みます。

そもそも生きているということは、どのような心境で道を歩んでいくかということです。それをある人は、争いの心で歩んだり、貪る心で歩んだり、比較や嫉妬、不安や恐怖、怒りの心で歩んだりする人もいます。しかし、またある人は平和で安心、喜びや幸福な心で歩んだりする人もいます。

同じ人間であっても、どのような境地や心境で過ごすかは自らの意志で選べます。自分を調えるというのは、心も感情も調和させていくということです。世界は、何も変わっていなくてもどのような心の持ちようでいるかはその人次第でいくらでも変わります。

大事なことは、日々を過ごすのに、道を歩むのにどのような心境であるかということが自己との対話、自己との調和において重要だと思うのです。

この自己との調和というのは、心の持ちようを常に保ち続けるという修行です。平常心という言い方もしますが、常に心がある方を観ているか、常に心はすべての音を素直に聴いているか、常に心は周囲への感謝で満ちているか、四六時中その心境のままに暮らしを味わっていくのです。

人生の仕合せというものは、境地の会得にあるように思います。そしてそれは日々の暮らし方、過ごし方の中にあるということです。

同じ作務であっても心境次第で、ただの疲れるだけの作業になり、あるいは最幸を味わう一生忘れられない喜びにもなります。誰と過ごすのか、どう過ごすのか、どう生きるのか、それを決めることはできるのです。

今日も二度とない一生、一期一会です。

かけがえのない時間を豊かに楽しみながら心を磨き、大切な時間を味わっていきたいと思います。

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