生活人の智慧~郷中教育~

鹿児島には風土の教育文化として「郷中教育」というものがありました。この郷中教育とは藩内に「郷中」と言う数十戸で構成された自治組織を設けこの組織内における異年齢の子ども同士の間で学び合う仕組みです。

具体的には、六歳か、十歳までを小稚児と呼び、十一歳から十五歳の長稚児が生活万般のモデルを示す。さらにこの長稚児を指導するのは、十五歳以上の二才(にせ)と呼ばれる青年が担います。二才のリーダー格を二才頭(にせがしら)と言い、西郷隆盛はこの二才頭を務めていました。

所謂、「子どもの自治」を行うことで子どもたちをたくましくさせる仕組みがあったのです。今では大人が教え込まなければ子どもは育たないなどと刷り込まれ、知識や規範を厳しく躾けるようなことがいいように思われますが、かつて歴史で立派な人たちを沢山輩出した郷中教育では子ども同士の学び合いを何よりも重視しました。

そこには規則はありましたが、基本的には先輩がモデルを示し後輩を思いやり、己に克つための生き方を導いたリーダーが存在しただけです。非常に理に叶った方法で、異年齢による養育を行っていました。

その仕組みは、私たちの行う一円対話とよく似ています。磯田道史さんのニュースの紹介記事から抜粋していますがここにはこう書かれています。

「薩摩の子供は、まず早朝にひとりで先生(主に近所のインテリ武士)の家に行って儒学や書道などの教えを受けるのですが、誰を先生に選び、何を学ぶかは、子供が自分で勝手に決めていいんです。そして次は子供だけで集まって、車座(くるまざ)になり「今日は何を学んだか」を各自が口頭で発表します。決まった校舎や教室はなくて、毎日、子供が順番で、地域の家に「今日はこの家を教室に貸してください」と交渉します。社会性も身につきますよね。何より大事なのは、皆の先生がバラバラなことです。思想が統一されないし、話す本人は復習になるし、口伝え・耳聞きによって、知識を皆で効率よく共有できる。ちゃんと理解してるか、親よりも厳しく仲間同士でチェックし合います。」

子ども同士で気づき合うのがもっとも偉大な先生という発想です。異年齢で教え合うことで仲間の発達や気づきから、自分自身を鏡のように内省し、自らの改善点を自らで発見しそれを克服していく。

人間が育つということは、己を修めるということです。その己の修め方は先生が机上で教えるのではなく、仲間の挑戦から学ぶという方法です。決まりは、負けるな、嘘をつくな、弱い者いじめはするなと明瞭です。その他、自らに打ち克つためのことが書かれるくらいです。

教育といっても今のように知識偏重型だけのものではなく、人本育成について真剣に考えて編み出した仕組みがこの郷中教育であったということです。

西洋のメソッドばかりを見ては、学者が言う事をさもそれが最先端だと思い込みますが日本の風土に遺っている歴史の篩をかけられても真実の記録が残っているものこそ、最先端のような気がしてなりません。

温故知新とは、かつての本質を今の時代に甦生させるものです。

私が今、提案して実践をしている一円対話はその郷中教育の仕組みを随所に取り入れています。人は教えなくても育つ、できるようになるには異年齢による見守りが必要であるというのは古今東西の発達の真理なのでしょう。

さらに磯部さん郷中教育の仕組みをついてこう語っています。

「判断力、決断力、実行力を伴った、まさに「知恵」ですね。定まった知識をテキストで身につけるのでなく、(1)あらゆる事態を仮想し、(2)それに対処するアイデアを考え出し、(3)その中から正しいものを選択し、(4)実行する“度胸”を持つという。」

生きる力とは何か、子どもたちが立派に自分の使命を果たし仕合せに役割を全うするための社會人、生活人にしていくための仕組みを考えた先人には頭が下がります。そしてこの郷中教育の基本は文字で教えず、全て実地実行、実践によってのみ行ったということです。

今年はこの郷中教育も少しずつ深めていきたいと思います。

 

いのちの基本

自然の中にある生き物たちを観察していると、そこにいのちの基本があることを実感します。今は基本が崩れている時代に入り、精神を病んだり心が閉じたり、様々な現代病ともいう病が蔓延しています。

自然界に生きる動植物から昆虫、微生物にいたるまで野生のものは全て活き活きしています。厳しくも慈しみがある自然界の中で、精一杯自分の生を生き切る姿に私たちは感動するものです。

いのちは輝くものですが、その輝くいのちとは精一杯の状態の時です。私の言葉では「生き切る」時です。いのちの基本は「生き切る」ことです。

刷り込みからあれこれと思い悩み憂いては、ありもしないことに煩悶し苦悩します。頭ばかりを使って感覚を使わなくなると、もともと備わっているいのちの力を発揮することができなくなってくるものです。結局、どこかでいつかは諦めないといけないことなのですが頭だけでいくら考えても無理なものは土台無理なのです。根本や基本は教材やテクニックでは乗り越えることはできないのです。

「いのち」はとても心と密接で、心の応じるままに初心を忘れなければいつまでも活き活きと光り輝きます。頭でああだろうとかこうだろうとかを思っているのは心を盡し遣っているわけではありません。「心が疼く」という言い方をした方もいましたが、心は行動や実践することによって「からだ」の感覚で一心に気づいていくものです。

「こころ」か「からだ」ではなく、「こころとからだ」ということです。心体技も同一のものです。私たちは分かれていないものを無理に分けて考えはじめたところに病の元があるようにも思います。そうやって分けて考えたことで、真実から遠ざかったのかもしれません。

いのちの基本は生き切ることです。

それは自分を全力で出し切ることでもあります。日々に出し惜しみせずに自分の中の最大限の真心を、そして誰の見返りを求めずに全身全霊に精一杯遣りきる日々こそ、万物のいのちの基本になるのでしょう。

基本があっての応用ですから、自然界の野生の生き物たちは基本に忠実ゆえに自然にお互いを思いやり活かしあうことができるように思います。

自然をお手本に自然の中での生き方を学び直していきたいと思います。

本物の継承~原点回帰~

人間はその人を判断するとき、その人の職業や性別、年齢、見た目、経歴など様々な情報をもとに分類していきます。例えば、医者、職人、芸人、営業マン、お坊さん、経営者など、その人の立場を見ては分類分けしていきます。分類分けしてわかるのは表面上のやっている業務全般を知ることはできますが、その理念は何かとまでは確認しているわけではありません。

言い換えれば、人間か猿かライオン、オスかメスかという分類はしていてもそのものが本当は何を目指しているのかや本当は何がしたいのかということまでは知らないままに役割を勝手に決めつけてしまうものです。

そもそも自分の役割というものは、理念があってはっきりしてきます。その集団が目指しているものは何か、その社會が目指すものは何か、全体の集団の中で自分の役割を知るのはその全体の集団が何を目指しているのかによるのです。

例えば、全体の集団が人類の幸せを目指し見守ることを優先しようと理念を持つなら、それは見守る社會を創造する社會ですから、そこでの人たちは見守る医者、見守るお坊さん、見守るコンサルタントのように、その人の肩書きの前に何をする人か、つまり理念がはっきりしているように思うのです。

その共通する理念の中で、自分の役割を考えることで役割を押し付けるのではなく自分の得意分野で役割を活かしあうことができるように思います。それはまるで森の中の木々たちのように、百花繚乱の花々のように、また発酵場にあるような土壌の中の菌類や生き物たちのように、皆で互いのいのちを見守り合います。

どんな社會にしていきたいか、どんな世界にしていきたいか、そういうものがまず先にあって職業はそのあとであるのが本質なのです。しかし今の時代は、原点には触れず職業だけで自分の立場や役割を決めつけてはその範囲を勤めることが仕事だと刷り込まれています。

自分が何のために産まれてきたのか、自分の本当の役割とは何かとは、使命感のようなものです。突き詰めて深めていけば、志や思いやりに人は生きるように思います。この時代の中での自分の役割は何か、この自分の人生での全体の役割は何か、いつも周りの世界に心や眼を開いて何のために在るのかを自覚することが役割に目覚めることかもしれません。

理念とは、本質そのものであり本来の原点です。

不易と流行、温故知新、刷り込まれず素直に正直に理念を観て、本物を継承していきたいと思います。

口伝と体得~初心伝承~

一昨日から紹介している鵤工舎の小川三夫さんの「棟梁」(文春文庫)には共感するものばかりです。王陽明はかつて「道統を継ぎ、絶学を紡ぐ」と言いましたが、師の教えを忠実に守り伝統を継承する志に子々孫々への思いやりや真心を感じます。

そういう理念を持つ組織だからこそ、その教え方も本質的であり実践的、体得体認することを重んじています。口伝の重みでも実感したことですが、口伝できるというのはその志を受け継ぐ心があってのことです。血肉に伝わっていくような関係の中にこそ、大切な原点や初心、その志や伝統は伝承できるのではないかと今でははっきりと思います。

今年は伝統文化や老舗から日本の職人文化を学び直そうと思っていましたが、その最初に鵤工舎のことを学べて有難く思います。

文章の中で修業について書かれているところが沢山あります。修養も修行も、その心構えのことでしょうが具体的な実践事例で「研ぐ」ということの意味が書かれているので紹介します。

「刃物というのは、なかなか研げないものや。砥石にぴったりし刃を当ててゆっくり擦ればいいだけだが、それができんのや。人間の身体というのは思いの通りには動かないんだな。・・・中略・・・言葉は常に後や。自分の身体が考えの通りには動かないことにまず気がつかなならん。だから修業するのや。言葉や考えが役に立たないことにも気がつかなならん。無心で研げるようになって初めて刃物が研げるようになる。じゃあ無心ってどういうもんかと考えるかもしらんが、刃物が研げたときや。答えは刃物や。」

西岡棟梁から学んだ刃物研ぎの本質が記されています。無心とは研げた時だといい、答えは刃物だといいます。これは仕事でも同じように思います、無心でできるときは自他一体になっているということでその答えは仕事そのものだということです。そしてこう続きます。

「苦労して、悩みながら研いでいるうちにある日、「おっ」と思うことがある。そうやって階段を上がっていくんだな。精神修業のようだが、そうじゃない。大工は体を作ることだ。頭や考えも体から生まれてくるんや。俺はそう思う。だから刃物を研がせる。」

体をつくることと言います。以前、メンターから「からだ」という字は肉体だけではなくそこには心や精神も入っていると聞いたことがあります。「からだ」で覚えるというのは実践で染み込み自分のものにするということでしょう。

「よく研げるようになれば、道具を使ってみたくなる。木を削ってみたくなる。穴を穿ってみたくなる。それが大工として最初や。切れない刃物で木を削らせたところで、辛いだけでうれしいことも気持ちがいいこともない。そんな心で仕事をしていてもいいものはできない。だから刃物を研げないやつには道具を持たせない方がいいんだ。手道具は体そのものだ。体の一部として、考え通り、感じたとおりに使えなくては意味がない。その最初が研ぎや。」

”手道具こそ体そのもの”とあります。仕事では何が手道具であるかということです、それが商品であり自分そのものでもあります。

最後にこうあります。

「嘘を教えれば嘘を覚える。研ぎは全くそうや。ほんとうを覚えるには時間がかかる。時間がかかるが一旦身に着いたら、体が今度は嘘を嫌う。嘘を嫌う体を作ることや。それは刃物研ぎが一番よくわかる。・・・中略・・・上手になれば過去の自分の未熟さがわかる。それも上手になって初めてわかること。つまり、判断は常にその時の自分を超えないということや。刃物は自分の力量を表す鏡や。一心不乱に研ぐことによって、大工としての感覚と研ぎ澄まされた精神も養われるんやな」

”判断は常にその時の自分を超えない”とあります。今の自分の刷り込みを取り除くには、”からだ”で身につけろということです。言い換えれば一心不乱であるし、私の言葉だと全身全霊です。それだけの実践をどれだけ積んでいるかで本物や本質が磨かれるように思います。ここでの刃物とは人格に似ているように思います。何を研ぐのか、手道具とは何か、もう一度そのものの在り方から見直してみないといけません。

そして「技と人」の伝承とは、つまりは「口伝と体得」ではないかと改めて実感します。今の時代の人と技の教え方、学び方に対して刷り込みを見つめているととても大きな危機感を覚えます。子ども達には自学自悟、自分らしく自らを磨き上げていってほしいと思います。まだまだ職人文化や初心伝承を高めていきたいと思います。

師弟と撫育~志事の流儀~

今の時代、徒弟制度などもなくなり対等な立場で物事に取り組みます。学校のようにいつも教えてもらえるものだと思っている人はあまり伸びません。それは素直ではないからのように思います。そういう意味では、徒弟制度というものは職人文化ですが日本人としての育ち方、教え方の粋を集めた智慧だったのではないかと思います。

一緒に暮らし、師のことを理解し近づこうと努力しまた師も弟子のことを知り弟子を伸ばそうとするのです。両者一体の中で教えたことは、決して知識ではなく親がわが子を育てるように感化薫風し陶冶したように思います。今の時代の育成の関係性に危機感を覚えてなりません。

法隆寺の宮大工、西岡常一さんの一番弟子に鵤工舎の創業者小川三夫さんがいます。この方の著書「棟梁」(文春文庫)に師弟の生き方が書かれています。自分の昔に照らしていくつか感銘を受けたものを紹介します。

「昔は十二、三歳になれば親方のところに弟子に入るか、店に丁稚に行ったそうだな。年季を決めて、前渡金を親がもらって働き手として出すのもあったそうだし、親方の元で雑用をしながら仕事を覚えるというのもあった。せいぜい十四歳、五歳までに行ったんだな。これより年を取ったら反発したり、生意気になって素直に言うことが聞けんようになる。遊びも覚える。世間も気になる。お金を勘定するようになる。そうなったらひたすら言われるままに働くのは難しいわな。ものを教わる、覚えるために一番大事なのは、素直なことや。教わる方もその方がいいし、教えるほうもそうや。そのためには、そのぐらいの年齢がちょうどよかったんだな。それ以上になると体ができてしまう。体ができるということは、頭もできるということだ」

とあります。以前、自由の森学園の校長から「中学生は体だけではなく心も精神も出来てくる大事な時期だからこそその時期をどのような環境で過ごすのが大切か」と言われたことを思い出しました。素直さというのは刷り込まれる前の姿ですから本質を理解するのに余計な知識が邪魔になる前にあるがままを体得することで一道の深淵に触れる機会を持てばいいということかもしれません。

またこう続きます。

「体がきついと、楽を考える。楽を考え出したら、終わりや。楽なんてないということに気づくまで、ずっと遠回りせなならん。もしくは、楽を求めてやめてしまうことになる。何もかもその職業で生きていくために自分が身につけることやから、他人の目をごまかしても何にもならん。損なだけや。そのためには体と頭、技が一緒に身につくことがいいんやな。」

考えるということは総じて楽を選ぶときに行う作業です、だからそれは損やと言い切ります。

「親方が悪いんやと、他人のせいにするのは簡単や。しかし何も好転せんわな。ひがんで、ふて腐れてたらもっと悪いわ。他人のせいにするのも逃げや、ふて腐れるのも相手が悪いと思うからや。相手は親方や。代えられん。親方のとこに来たのは自分や。自分を変えることで状況を脱出せなならん。そう考えるんだな。俺は頭が悪いから、そうたくさんのことは考えられん。やめて逃げ出さないなら、がんばって早く仕事を覚えんべえ、と思った。それしかねえんだ。これはどんな時でも一緒だな。逃げたらあかん。逃げる前に考えるんやな。それと、他人のせいにして自分が正しいと思いこもうとしても無駄や。自分を騙しているだけやんか。ものを覚える、人と何かをする、ものを作る。何でもそうやが目的があるやろ。そのためにそこにおるんやろ。そういうところで、どうするか考えるんやな。俺もない頭で考えた。」

考えるということの定義が楽をすることではないからこそはっきりと示されます。目的を考えよと、そのために其処に居るのではないかと考えろと言います。

最後に私が何よりも共感したのは「はじめに」の中にある下記の文章です。私も同感で、何よりも自戒しているのは下記のことです。

「人から人へ技を伝えるというのは容易なことではありません。言葉で技や感覚を伝えることは不可能です。こうしたことは本文で詳しく話しますが、言葉や数字やデータ、映像に頼ってものを学んできた若者にそのことを教えるだけでも簡単ではないのです。学校では先生が教科書を使い、黒板を駆使して教えてくれます。子ども達は教わることが当たり前だと思っています。教わればわかると思っています。教わらないことは知らなくて当然です。中学や高等学校は一年が経てば進級し、三年経てば卒業します。学校には期限があります。生徒はみんな同じ能力があると設定され、同じ方法で、同じ期間学びます。進級するには最低、決められた点数を取ればいいのです。その点数を取るためには近道があり、早道があり、要領があります。学校ばかりではなく、塾も予備校も、家庭教師も、それを教えてくれます。このすべてが私たちの世界では、技や感覚を師匠から受け継ぐための障害になるのです。少なくともこの方法に慣れた子どもに、技を教え、感覚を身につけさせることは無理です。技も感覚も大工の考え方も、本人が身につけるものなのです。体に記憶させる、体で考える。このことを理解してもらうには、親方や師匠と一緒に暮らし、一緒に飯を食い、一緒に働くしかないと思っています。」

これは本来の本能の学び方、道理を悟った真理であり、動物からあらゆる生き物たちが如何に本質を掴みとっていくのかということの要諦が書かれています。頭が良くなったつもりが、刷り込まれていてかえって地頭が狂ったでは本末転倒です。

今でも身近でも私はその刷り込みを取り払うのに苦労苦労の連続の日々です。叱咤激励くらいではダメで、私の技術も忍耐も未熟そのものです。しかしだからこそ同じような志を抱き、鵤工舎を創業した方の信念にも少しだけ触れることができます。

物事に正対し、正面から坦々滔滔と歩みを進めていきたいと思います。

歴史の産道~今此処の一歩~

山野の中には人が歩いている道や獣道があります。長い時間、何度も同じところを歩いていくことでそこに道ができます。已まずに歩かれ続けるとその道は踏み固められ、誰も歩かないとそのうちその道が消えていきます。

道といえば代表的な古い道に熊野古道があります。だいぶ前に熊野古道を歩いたことがありますがその道を歩きながら歴史や文化、そして風土や理念などを感じたことを思い出します。

道というものはただそこに道があるのではなくその道をどのような人たちが何の目的でどのような心で歩いたのかという「太古から流れる一筋の思い」を鑑みることができるのです。

今まで続いてきた道というのは、過去にその道を歩んで今の自分にまでつないでくださった方々があるということです。その消えそうになっている道を、自分が後でまた歩むことでその踏み固めた一歩はまた次の人たちへの礎になっていくのです。

誰も見ていないからや誰も通らないからではなく、自分が通る道だからこそ責任をもって歩まねばならないと思うのです。みんなが通ったから安心ではなく、自分が通らなければならぬ志があるのです。

ひとたび歩めば、そこはもう鬱蒼とした密林の中で道なき道をかき分けていくものかもしれません。しかしだからこそ自分が進まねばならぬ、だからこそ自分がもう一度かき分けて入っていかなければならぬという道を開くという使命感です。

私が好きな三つの言葉があります。一つは二宮尊徳、「古道に積る木の葉を掘分けて天照す神の足跡を見む」。そしてもう一つは種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」、最後は源重之の「つくば山 葉山蕃山 しげけれど 思い入るには あわらざりけり」です。

そのどれも自分の境遇に左右されず、自らの道を切り開く真心を感じます。

幼いころ、生前の祖父が山登りをするのに連れられて道なき道を登り山の中を歩き回ったことがあります。今思い返せば、きっと山芋を探していたのかもしれませんが子ども心に迷子になるのではないか、二度と戻れないのではないか、何か獣と遭遇するのではないかと不安を感じつつ背中を見つめては歩んだ記憶が残っています。どこに出てくるのかも、どこに向かうのかもわからず、山の中に何時間もただ分け入って往くのです。しかし思い返せばその体験が山に入る霊妙さと道を歩む崇高さを覚えたのかもしれません。

道は時であり、時は人であり、人は旅です。

そしてその道は歩む中に由って顕れます。

きっと私たちは歴史の産道を歩んでいる最中なのかもしれません。その歴史の産道の意義を決して忘れず、自分の足で今此処の一歩を大切に歩んでいきたいと思います。

 

長い目~地球観~

先日、養鶏場で鳥インフルエンザが蔓延し約10万羽の鶏が処分されました。他の鶏に感染するからと全部の鶏を処分するのですが果たしてこれが人間ならどうだろうかと思ってしまいます。

もともと鳥インフルエンザは昔からある病気で今にはじまったものではありません。鶏自体に免疫があれば感染せず、かかってもそんなに広がらなかった病気です。自然界に棲んで自然界の生活をしていれば、自ずから病気もまた天敵と同じように自浄作用の中で働いているものの一つです。

しかし、人間の都合で鶏を飼育され抗生物質を大量に投与されている合成人工餌を食べている養鶏場の鶏では病気に対する抗体がなくほとんどが死んでしまいます。その卵を食べたり、その肉を食べる私たちもまたその弱体化したものを取り入れて弱くなっていきます。

自然農に取り組み、自然の畑の中に入り感じるものは厳しい環境の中でいのちを育んでいく自然の姿です。寒さに負けず、暑さに負けず、虫にも負けず、病気にも負けずに逞しく育っていきます。苦労という苦労をまともにしながらも、その生はゆるぎなく元気そのものです。

時折、運命に負けそうな出来事が起こっても再び這い上がってきます。天候の変化や人間の余計な手出しがあったにせよ、強く逞しく自ずから主体的にいのちを発揮します。

農薬も同じく、一部の虫が問題だからとほとんどの生き物たちを処分してしまいます。そして除草剤も同じく、ほとんどの草を処分します。それで一時的に処分したとしてもすぐにまた同じ出来事が起こります。根本的に解決しない方法を繰り返しとったとしても、その時は乗り切ってもあとにもっと大変なことになります。

長い目で物事を観ることを已めてしまうということは、それだけで悠久の歴史の中の智慧を失ってしまうことになります。生き残るという意味が、どれだけ長いスパンで考えているかはその人の生き方に由るものです。

ある程度の数を制限し、広い空間の中で、自然の雑草や穀物、昆虫を譲られた分を自然に食べるようにすれば全体とのバランスの中で病気にもかからなくなっていきます。これは鶏だけの話ではなく、すべての動物に言えることです。

もっとも悍ましいことは、人間が今動植物に行っていることが人間にも行われていくということです。戦争も同じく、自然に天敵があるように、人間にも天敵があります。それが決して外界にあるものではなく人間の精神や心の中にあることに気づいている人は多いはずです。

何千年も前から悠久の歴史には人間は自分に打ち克つことを戒めてきた言葉ばかりが刻まれます。今の時代、スピードを上げるばかりで内省する時間もないようですが根本に立ち返り、本質に立ち止まる勇気と、流れを断ち切る信念が必要なのかもしれません。

なぜ自然養鶏なのか、なぜ自然農なのか、なぜ自然の生き方なのか、自分の中にある自然の力を外側から抑え込んでもそこには限界があることを自然はいつも教えてくれます。

私たちは46億年の地球の一部ですから、地球観を持ち、長い目で静かに物事を判断していく力を身に着けていきたいと思います。

志の意義~親孝行~

今年は大河ドラマで吉田松陰に関することに触れる機会が多いため、今まで見聞きし調べてきたことを何回かに分けて深めてみたいと思います。

吉田松陰は脱藩をしたり、ペリーの黒船に乗ったり、討幕を訴えたりと危険なことばかりを繰り返した我儘な人物ということをよく誤解されます。当然、人間は封建的なものを持っていますから秩序を乱すようなことをすれば排斥されてしまうものです。特に明治維新前の時代は思想をはじめ言論から行動まで非常に強く抑え込まれていた時代ですから危険人物の中では突出していたとも思われていたのでしょう。

先日も吉田松陰のことについて他人に聞かれましたが、親に迷惑をかけて周囲に迷惑をかけてなんて勝手な人だという人がいましたが決してそうではないのです。

吉田松陰はいつも自分が行ったことで親に申し訳ない、周りの家族に、親族に、お世話になった方々にと涙しながら前進した人物でした。脱藩の時は、毎晩のように涙を流して親の安否を心配し続け、ペリーの時は有志の師の佐久間象山先生の安否を気遣い続け、牢獄に入れられ私塾を開き討幕を訴えて兄は失職し両親も仕事がなくなり、養父の責任も巻き込み、申し訳なさに涙涙しながらも志を貫き至誠を通し真心を盡した生き方の人でした。

それは手紙や詩の中にたくさん残っています。

「知るや否や親を思う連夜の涙、天衷自ら万人同じきあり」(分かっているのだろうか、両親のことを心配し流している連夜の涙を、人間には必ず天から与えられている情があるのだから私もまた同じなのです)

「吾が家の父母兄弟いずれもつつがなきに候や」(我が家の父母兄弟はいずれもご無事であろうか)

「これからは、拙者は兄弟の代わりに此の世の禍を受け合うから、兄弟中は拙者の代わりに父母へ孝行してくれるがよい。左様あれば、つづまるところ兄弟中皆よくなりて、果ては父母様のおしあわせ、また子供が見習い候えば子供のため、これほど目出度き事はないではないか」(これから私は兄弟の代わりにこの世の災難を請け合うから皆はどうか両親に孝行してください、そうであればみんな家族は仲良く両親も仕合せで子どもがそれを見習えばきっとめでたいことだから)

最期の別れでは、母親に元気な姿で帰ってくると約束し母親を安心させ旅だち、処刑前に遺した詩が「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」(私が両親を思いやる心以上に私を思ってくれる両親の真心、今日の私の死の知らせをどう思うだろうか)とするのです。

このような人物が我儘で自分勝手に生きたわけはありません。吉田松陰は何よりも孝行を大切にし、忠義を盡して、至誠に生きた人物なのはすぐにわかります。激しい一面だけを見ては危険な人物というところだけを見ては、世の中の批評はあったけれど、内面や内心、本心はとても思いやりのある優しく純粋で正直な子どものような人だったのです。

自らを「情人」であるといつも言っていた松陰は常に立つときその情に於いて煩悶するがそれでも往く、「慈母の愛、父淑の責めは人情の堪え難きところ、唯だ非常の人のみ能く非常のことを為す。孔孟の国を去り、釈迦の山に入る、皆常情にあらざるなり」という。孔子も孟子も自ら家族を遺して国を去り、釈迦もまた同じように山に入っていったように決して比べられない大事なもののために覚悟するのだと自戒し言うのです。

自分の真心を信じてくださる両親に甘えつつも、同時にそのことで多大な迷惑をかけてしまう苦悩に煩悶し涙する日々の中「已むにやまれぬ大和魂」(それでもやめることはできない私の善心)という言葉は、それでも已めるわけにはいかないという透徹した純粋で正直なその人の心魂から吐出す信念の血言霊だったのではないかと私は思います。

本当に未来を憂い、世界の将来を心配し、人々の行く末を案じるのなら魂の先輩から志の本意を学ばなければなりません。私たちは単に義理か人情かではなく、志ということがどれだけ苦労の実践実行と関与しているのかを自覚しなければなりません。親孝行の中に大切な教えは全て入っているように思います。

親孝行をするというのは、志を練り上げる第一の徳です。

子ども心に憧れた松陰はいつも心の中に居ます。時機を心待ちにしているのなら、いつの日か同じ境地に近づけるのでしょうか。これからも何をもって親とし、何をもって孝行とするか、その志の意義をよくよく考えて生き切っていきたいと思います。

伝心

人は知識があるないにかかわらず、信じているか信じていないかは言葉に表れて出てくるものです。何のために知識を持つのか、それがかえって不安材料になってしまうのではせっかくの知識がうまく活かせないことになるかもしれません。

先日ある人が、若いときは「できないことが増えるから挑戦したくない」ということを言っていたという話を聞きました。優等生で優秀であったために、何かをすればできないことが増えるから何もしたくないという心理があったとのことです。それを聞いた周りの人は「できないことが増えるのはできることがそれだけ増えることだからもったいない」と言っていましたが、その人はできないことが増えることは可能性が広がるという考え方でした。

同じ事柄であっても、できるできないをどう捉えるかというのはその人のセルフイメージが決めています。セルフイメージとは自分の心と思いのことです。自分の中で何を信じているか、自分の中でどのような思いがあるかということに気づけば自分の努力の方向性が分かるようにも思うのです。

人は対話をします。その対話はただ言葉を行き来させているのではなく、その人の心や感情を伝えるものです。いくら上辺を繕って表面上は誤魔化してみても、心はそのまま相手に伝わります。心や思いがどうなっているのかは、語らずとしても伝わるものです。

これを以心伝心といいます。信じるということもこれに似ています。その人が言っているから鵜呑みにして信じるではなく、自分から能動的にどれだけ信じようとするかということが大事なのです。

言葉にはその人の信が入ります、そして眼差しにも信が入ります。信じ合っている絆は強く簡単には崩れません。しかし信が弱くなれば、絆は脆くなります。お互いが信じ合っているという関係を維持するのは、お互いにその信を送り続ける努力が必要なのです。

信じるというのは、自分が信じる実践を積み重ねていくことで溜まっていきます。自分との約束を果たし続けていたり、自分に打ち克ってきた場数によって信はより篤く盤石になっていきます。もしくは自分の信じる人が信じているものを一緒に信じることでその信を結び信頼の手綱を握り合うこともできます。

目には見えませんが、その信があるからお互いに頼り合うことができるのです。自立というのは、信頼関係を築けるということです。つまり自ら信じることができるようになるということです。

信じさせてもらおうという態度では、いつまでも他人のせいにできるような姿勢では信じることは難しいものです。自分を如何にだまし続けるかは、自分が如何に信じ続けられるかです。本来の知識とは、自分を信じ騙すためにあるもののように私には思えます。そしてそれは信じる方も同じです、信じているかどうかが相手の信の礎になるのです。

どんな情報も知識も受け取る側の考え方次第ですから、それを善いものへと転じるのは具体的な実践による智慧に換えた時に変わるように思います。知識をどのように活かすかは、その人の生き方ですから長い目で観て世の中を仕合せにするために遣っていきたいと思います。

子どもたちのためにも、できるできない、分かる分からない、知識か智慧かではなく、信じるということ。何よりも主体的に心を育てて思いを揺るがないものに成長していきたいと思います。

師弟とは~一心同体~

よく師弟関係という言葉を用いることがあります。何の道でもそうですが、何かを習い始めては師がいますが師がいれば自分は弟子となります。しかし本来の師弟というのは一体だと私は信じているのでむやにやたらに誰かを師にすることはありません。

吉田松陰にこのような言葉があります。

「師道を興さんとならば、妄りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。必ず真に教ふべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべきし。」

これはかなり厳しい言葉にして、師とするな、師となるなといいます。真にこれは教えなければならない学ばなければならないことの時にだけ師となれというのです。

吉田松陰や孟子の著書を沢山出版している川口雅昭氏がこれを解釈しています。「この言葉はよく一般論として、教師、上司はこうあらねばならないという引き合いにだされるが、実はそうではない。知識があるとか、品行方正、学術優秀な教師はたくさんいると。しかし松陰のいう師弟関係とは、国家のために死ねと命令したら死ね。死ねない人間は弟子になるな。これに対して弟子も、先生の言うことなら死んでもいいという。両者の思いがそのレベルで一致して初めて師弟関係となる。」

つまりは、お互いの「本気」「覚悟」があってのものということです。言い換えれば、師を弟子に置き換えた文章でも同じということです。「弟子道を興さんとならば、妄りに人の弟子となるべからず、又妄りに人を弟子とすべからず。」なのです。

思いを同じくするというのは、知識が多いから師匠と呼ぶのではなく、経験が豊富だから師匠というのではなく。師弟一体になりたいと願う、魂の求道なのです。それだけ一心同体になって物事に真剣になりたいということなのです。

私は孟子の私淑という言葉が大好きです。私淑とは「孟子巻第八離婁章句」に書かれている言葉です。

「予未だ孔子の徒たるを得ざりしも、予、私かに、諸を人に淑くするなり」

意訳ですが、私は時代が異なり孔子の弟子になれなかったけれど、孔子の遺した徳風から様々な薫陶をうけそれを学び周囲の人々に伝えていたのです。つまりは「ひそかにその人を師にして尊敬し模範として学びます」という言葉です。

孟子の姿勢は孔子にとって一心同体のように私には思うのです。それだけ本気だったということ、それだけ同じ夢を目指したという事、ここに真の師弟を観るのです。単に自分が学ぶために師とするのではなく、師と同じ夢を持つという事、同師というのかもしれません。

師道を興すというのは、後に続く者たちへの夢を遺すということです。

本気度で師に刺激をいただく日々に感謝しつつも自戒ばかりが頭をよぎります。子どもの前に立っているのだからこそ、子どもが背中を追いかけてくるからこそ、決して自分のために行うのではなく、やったりやらなかったりするのではなく、真摯に至誠の実践を積み重ねていきたいと思います。