志とは何か

人は、志を持つことでどう生きるかという本命に出会います。この志というものは、何のために生きるのかという問いにはじまります。これはどの教育者も最初に自己と正対する道の入口になっています。

しかしこの志は、自己のものなのかといえばそうではないことがわかります。今まで連綿と繋がって続いてきたいのちへの問いです。つまりこのいただいているいのちを、私は何のために使うのかという問いです。

そしてその問いは、日々の結果で顕現してきます。

例えば、自己を超えているような不思議な力が発揮できたり、あるいは奇跡のようなめぐりあわせやご縁をいただいたりそこには人智をはるかに超えていくような命の充実を実感します。

生きているということの実感、活かされているという幸福のことです。

悠久の歳月をかけて、私たちの持つ「意味や目的」は醸成されてきました。自分の志だと思っていたら、その志は先祖たちや関係している世界すべてと結ばれていると感じることもあります。

つまりすべての繋がりを実感するための最も大切な生き方が「志」に集約されているのです。

志を持てというのは、すべての繋がりを実感するための入り口です。その人がどの志からすべてと結び直すのか。一人の力ではなく、偉大な一人の力になっていくのです。

だからこそ、何のために生きるのか、どう生きるのか、何を恩返しするのかと尋ねるのも繋がりに氣づくための大切な問いなのです。

すべての生きることの源流は、志と結ばれることからはじまる。今の自分を使って連綿と繋がってきたいのちが何を成し遂げようとしているのか。それに氣づくのです。

だからこそ、かの吉田松陰をはじめ先覚者たちは道の入り口にこの志を据えました。志と結ぶための学問は、人を主体的にし、育つ場を醸成します。

子どもたちが連綿と続いてきたいのちの繋がりと結び直せるように保育園に育つ場を調えていきたいと思います。

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