信仰と感謝の暮らし

この時期の英彦山の宿坊は、空氣が澄み渡っていてとても心地よい季節です。あちこちの木々の葉も紅葉づいて秋の静けさに合わせて綺麗な光が差し込んできます。夜の月も清浄で美しく、明けの明星も一際煌めいています。守静坊では、囲炉裏の火がゆらめき、煙の懐かしい香りの余韻が充満していて穏やかです。

季節季節に喜びはありますが、この秋の豊かさは何よりの贅沢です。

そして今の英彦山は、水が少なく井戸の水量が激減しています。いつもは宿坊の周囲の小川もさらさらとたくさんの水が流れていますが今はほんの少しちょろちょろと流れる程度です。

水がなくなってくると、生活に利用するための水をもったいなく丁寧に使うようになってきます。

以前、鞍馬寺ですべての水道の蛇口に「お水さんありがとう」と書かれたものが括りつけてありました。それに感動し、すぐに自宅の蛇口にも同じように括りつけて忘れないようにと実践していました。しかし、水道水は蛇口をひねれば自由に出てくるためそんなにもったいないと感じにくいように思いました。今でも、ついシャワーなどは高温が出るまで出しっぱなしで水のことなどあまり気にしていません。

しかし英彦山の宿坊に来ると、水がなくなるとまた水量が元に戻るのにかなりの時間がかかってしまいます。そこで少しでも水が使い過ぎにならないように気を付けながら使います。すると、自然にお水さんありがというという気持ちになり、お水の使い方も変わってきます。あまりお水を使わなくていい方法を模索したり考えたりするのです。

洗い物や洗濯、水洗トイレ、シャワーなど今では当たり前に水があることが前提の生活用品や生活家電であふれています。水が足りないところでは使えないようなものばかりです。

不便によって本来の当たり前が変わっていくことで、意識も暮らし方も変わってきます。しかしその暮らし方の中に、もったいないと感じる豊かさと有難さがあり、感謝や信仰の仕合せもまた味わえるものです。

暮らしフルネスの一つに、このもったいないというものを味わうことがありますが英彦山の宿坊はお水のことをいつも深く感じられることが多くあります。一年中、水で溢れる梅雨や冬から春までの大雪にいたるまでお水の影響をかなり受けます。お水のありがたさを感じるほどに、また火の有難さも感じる場所です。

都会や都市にはない、真の豊かさはかつての信仰と感謝の暮らしのなかにこそあります。いつまでも大切な恵みを忘れないように、場をととのえていきたいと思います。

生き方と死に方

人には無数の生き方があるように、同様に死に方というものがあります。どう生きるかを常に優先して歩んでいますが、死に方もまたその生き方の一部として存在しますから最期の瞬間も生き方が出てくるのです。

私の親友はとてもやさしい人で、すぐに遠慮するタイプでした。気を遣いすぎてかえって迷惑をかけるようなタイプです。なので大切な人に迷惑がかからないように配慮しながらあまり我儘を言いませんでした。一方的に大量に与えるのが好きで、何かをもらう方はあまり得意ではありませんでした。強いて言うなら、自分勝手なところがあり自分のペースで周囲と同調するのが苦手だったように思います。

集団行動や、イベントなども平均的な参加の仕方がせずにすぐに他所の方へと遊んでいました。他にもオタクでお笑い気質があり、滑稽な写真や動画、ダジャレなどもよく携帯で送ってきました。自分のことや体には無頓着で、余計なことをしてはおかしな怪我ばかりを繰り返していました。何より家族思いで、家族をいつも優先していました。

そういう彼でしたから死に方も両親に聴いたら、まさにそんな死にざまだったようです。

それを聴いて改めて深く気づくことがありました。人は死ぬときはわかりませんが、死に方は自由にできるということを。そして死ぬ理由もまた、その生き方の集積の影響を色濃く受けて死にます。

自分の場合の死に方を想像してみたらおおよその未来の予測がついてきました。もちろん、ご縁の組み合わせでこれが病死なのか、事故死なのか、あるいは何かの死でしょうが死に方はきっと今の生き方のような死に方になるでしょう。

きっといのちを全部出し切って、やりきって電池切れのような感じでしょうか。周囲を思いやり、真心を盡しているでしょうか。あるいは、一期一会に最期まで諦めずに感謝しているでしょうか。

個人的には旅は見送るよりも、先に出ていく方が好みですが最後はどうなるのか。きっといつもの好奇心に任せてなるようになるでしょう。

親友の死は、思い返せば親友らしい死に方でした。だからこそ、生き方を考えさせられる切っ掛けをまたいただきました。どんな生き方をするかは、今の自分でも決めることができます。悔いのないように、死までの残りの人生を生き方を磨いて歩んでいきたいと思います。

思い出と生き続ける

先日、親友のお通夜を幼馴染と友人と4人で行いました。もともとこのお通夜の起源は、釈迦の弟子たちが釈迦の入滅後の7日間、遺体を見守りながら釈迦が生涯をかけて説いた説法を夜通し互いに聞き合ったという故事だといわれます。

今でも通夜の目的は故人の成仏を祈ることではなく、大夜(たいや)に故人の現世での最後の夜を共に過ごすために集まった親しい人々が、遺体を取り囲んで故人の思い出話を語り合うために行われるものです。そして故人とともに最後の食事を行うという意味で通夜ぶるまいというものも行われきました。

今では単なる形式的で儀式的なものだけになり、家族葬などになると通夜の前に焼香だけをしてあとは帰るというものになりました。本来のお通夜の意味も変わってきています。

この日は、天国に逝く前に大切な親友が家族との食事やお酒を酌み交わすことが大好きなこともあったので私たちでお通夜をやろうと彼のよく飲んでいたお酒を用意し、大好きだった雰囲気と食べ物で夜中まで通夜ぶるまいをして生前のことを語りつくしました。

42年間、私は彼と一緒に生きてきましたが想い出が走馬灯のようにたくさん湧き出てきました。ある時はいのちを助けてもらったことも、そして一緒にいのったことも、またあるいは心を分かち合ったことも、全部思い出しました。湿っぽくはなく、笑い声と楽しかったこと、ふざけていたこと、青春の愉快なシーンばかりで盛り上がりました。

過去の思い出を共有している友だちのありがたさ、こんなに過ぎたことをよく憶えていたものだとお互いに感心しました。懐かしい思い出は、今の自分をつくってくれました。今の自分の中に、一緒に思い出と共に生き続けて成長をしていることを再実感しました。

この先の思い出を勝手に想像していたからこそそこに穴があきますが、その穴を共に友と語り合うことでこの先どのように埋めていこうかという希望も出てきます。気が付くと、親友の願いや祈りが希望になっていることに気づきました。

よかったねとこの先、お互いに感じ続けられるように前を向いて物語の続きを綴りつづけていきたいと思います。唯一無二の親友は、唯一無二の機会を与えてくれました。

これからも大切に思い出を味わい、人生を盡していきます。

ありがとうございます、恩返しはこれからです。

よき理解者

昨日は親友のお通夜に参列してきました。取り乱さないようにと心の準備をしていきましたが親友の弟があまりにも本人に似ていてすぐに取り乱してしまいました。亡くなってもう生きている姿に会えないと思っているからこそ、生きているような彼に似た姿に動揺してしまいます。面影というのは、心の中にいつまでも生きていることに気づかされました。まだどうしても存在の面影を追いかけてしまいます。

またそこで15年ぶりに再会した幼馴染と会いました。いつも親友を含め3人で色々な哲学の話や、世の中のこと、そして人生のことなどを語り合った仲でした。親友を偲び、彼の大好きだったお酒を囲んで出会った時からのことを思い出しては昨日のことのように語り合いました。3人で集まるのを誰よりも楽しみにしていた親友でしたから、昨夜はきっと喜んでくれたと思います。

私にとっては唯一無二の親友でそしてもっとも近くにいたよき理解者でした。

私は行動したり実践するのを先にするので、よく周囲に誤解されます。また色々とあることないことを言われることも日常茶飯事です。そのたびに、予想もしなかった人間関係のトラブルに巻き込まれたり本質的ではない政治的な問題などにも引っ張り込まれそうになることもあります。そんな時、真心の自分や本当の目的、そして純粋な願いや純度の高い祈りのような生き方を裏表も全部見守ってくれているよき理解者に心を救われることがあります。

親友は、私にとってのよき理解者でした。ただ、それだけで有難い存在で心強い存在でした。彼とのやり取りを思い返していたら以前、いただいたメッセージが出てきました。

『君の残した足跡は、必ず後世に残り、同じ志しを共有してこの世に残ると思います。ヒントを残し、次世代に伝えましょう。一代で完結は出来ない、増大な出来事だ。』

いつも近くで見守ってくれて大事な時に心から応援してくれていました。どんなに苦しい時も、ただ身体を心配してくれて話を受け止めてくれていました。言葉にしなくても、以心伝心していたように思います。何も言わずにわかってくれている、そして何をするわけでもなくじっと信じてくれている。その存在に何度も救われてきたように思います。

肉体的に存在し共にこの先の愉快痛快の充実した事の顛末を酒を酌み交わしながら見せてやりたかったなと思いますがそれはなくなりました。あとは物語の続きをやりきって冥途の土産話をたくさん持っていきたいと思います。

昨日は、親友の棺の前で祝詞をあげて法螺貝を吹きました。音は親友の魂に無事に届いたでしょうか、きっと聴こえただろうと思います。どうか安らかに、またどこかで巡り会いたいと思います。

一期一会。

これからも自分のよき理解者として自分を生ききり、親友の魂と共に彼の言葉を胸に宿し直向に歩んでいきたいと思います。

永遠の親友

私には幼馴染で親戚、そして親友がいます。何でも言い合え、嫌なことでも真摯に正面から語ってくれる朋です。半世紀近く、別に一緒にいなくても居ると思っているだけでいい存在。その朋が一昨日、私より先に天国に逝きました。まだ信じることができず、心は置き去りのままに涙しながら書いています。

ここ数年、立て続けに私の大切な人が亡くなりました。その都度、心配させないように感謝して前に進もう、そしていただいたものをお返しできるように自分を真摯に生きていこうとしてきました。みんな大切な人で、見返りも求めずに本当に偉大なものを与えていただきました。涙しても、前に進もうと何とかやってきました。

しかし親友の死がこんなに辛いことだとは思いませんでした。

理屈では納得できない深い寂しさがあり、ひどいことをする奴だと悲しい怒りしか出てきません。たわいもないことが悔しいのです。ふざけあった日々がつらいのです。死別を想像していなかったことが苦しいのです。こんなバカなことがあるかと、恕せないのです。

本当にひどい。

ただひどい悲しみと恕りだけです。

自分が先に死んだら後のことを頼もうと色々と考えていました。家族のこと、子どものこと、他にも気になることは全部、、勝手に自分よりも長く生きるはずだと信じこんできました。だからひどいのです。ひどいのはきっと僕です。

いつからこうなっていたのか、思い出せません。

最初にご縁があった時から、ずっと親友で幼馴染で親戚です。ただこの世に存在して生きているだけで他は要りませんでした。その大切な居るだけで存在していることができなくなりました。

本当の親友とは、唯一無二です。そしてこれからもずっと唯一無二です。彼は永遠になりました、永遠に親友です。ひどいけど、もし自分が逆だったら彼は寂しくてきっと酒をあびて死んでしまうでしょう。だから私より先に死にました。親不孝なやつです。でも本当に善いやつでした。唯一無二のいいやつでした。彼を心から誇りに思いますし、親友だった私も誇りに思います。

こんなことなぜブログで書くのかと思う人もいるかもしれません。沈黙すべきだと。しかしこのブログは私にとっての生の一部であり、私の生きる道です。こんな時だからこそ、親友と私のために綴りたいのです。

人の死も生の一部というのは真理です。その大切な一ページもやっぱり感謝で括りたい。

 

朝焼けの 山に降り立つ なみだ雲 天の盃 いのち飲み干す

 

これからお通夜ですが、永遠の親友は自分勝手。勝手に逝った彼と勝手な私で共に自分勝手に労いたいと思います。

感謝と一期一会。

暮らしの甦生

昨日から国東の友人のところに来ています。ここは、古民家を甦生し自らで暮らしを親子でつくりこまれていてとても落ち着いている場があります。
子どものために環境をつくることを考えれば考えるほど、大人も子どもも共に暮らしをつくっていくことが大切であることがわかります。

本来、家というものは何を守るところか。それは、いのちを守るところです。このいのちとは、暮らしを守るということでもあります。

現在、暮らしというのはどこか労働に対しての休みの日のような使われ方をします。特に、暮らしに関する商品を売っている人たちは、暮らしというものをそれぞれで売り込みますから物ばかりが増えていきます。しかし本来の暮らしは、物もいのちがあり共に生きていますからそんなに増えても困ってしまうものです。

例えば、テーブルや椅子があったとしてそれは単に置いている物ではなくお互いに寿命を生かし合う仲間だとも言えます。

そういう道具たちは、いのちがあります。

私たちのいのちというものは、日本では古来から八百万の神々とも呼ばれ、共に暮らしてきたパートナーたちのことをいいます。

時代が変われば、パートナーの扱いと変わります。今の時代は、歴史を顧みても最もパートナーには過酷な時代かもしれません。大量生産大量消費のなかで、いのちは消えて心も蝕まれることが増えています。

そういう時代でも、そうではない生き方をする方々もたくさんおられます。

子どもたちの未来のためにも、一つずつ丁寧に暮らしを甦生させていきたいと思います。

徳の戦略 

江戸中期の徳の実践家で思想家の三浦梅園に、「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」があります。これは、西洋ではグレシャムの法則といって、「悪貨は良貨を駆逐する」が同じように有名です。私は、徳積循環経済に取り組み、ブロックチェーンの技術を徳で活用していますからこの辺の話は参考にしています。

そもそもこの三浦梅園が自著「価原」でなぜこういうことを言ったのか、それはこの明和9年(1772年)から発行された、南鐐二朱判は一両当りの含有銀量が21.6匁であり、同時期に流通していた元文丁銀の一両当り27.6匁と比較して不足している悪貨であったといいます。このことが南鐐二朱判を広く流通させ、このような計数銀貨が次第に秤量銀貨である丁銀を駆逐していったということもあったといいます。これよりも前の元禄8年(1695年)に行われた品位低下を伴う元禄の改鋳後にもまた良質の慶長金銀は退蔵され、品位の劣る元禄金銀のみが流通したともあります。

そしてグレシャムの法則の方は、16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣改悪のためである」と進言した故事に由来しています。これを19世紀イギリスの経済学者・ヘンリー・マクロードが自著『政治経済学の諸要素』(1858年)で紹介し「グレシャムの法則」と命名してできた言葉です。

他にも調べると、似たようなことは古代ギリシアでも行われていました。劇作家アリストパネスは、その自作の登場人物に「この国では、良貨が流通から姿を消して悪貨がでまわるように、良い人より悪い人が選ばれる」という台詞を与え、当時のアテナイで行われていた陶片追放(オストラシズム)を批判していたといいます。

今の時代もまた似たようなものです。これは貨幣に限らないことは半世紀ほど試しに人生を生きてみるとよくわかります。市井のなかで、「本物」と呼ばれる自然な人たちはみんな私心がありません。世間で騒がれている有名な本物風の人ばかりが情報消費に奔走し、あるいは流通し、同様に消費されていきます。実際の本物は粛々と自分の持ち場を実践し磨き上げ場をととのえています。そこには消費はありません。

そういう人たちは、世の中では流通せずにそれぞれに徳を積み、そうではないものばかりが資本主義経済を拡大させていきます。そもそも人間の欲望と、この金本位制というのは表裏一体の関係です。そして金本位制を廃止してもなお、人間は欲望のストッパーを外してはお金を大量に発行して無理やり国家を繁栄させ続けようとします。すでに、この仕組みで動く世界経済は破綻をしているのは火を見るよりも明らかです。国家間の戦争も歴史を省みればなぜ発生するのかもわかります。

かつて国富論というものをアダムスミスが定義提唱し、富は消費財ということになりました。この辺くらいから資本主義の行く末は語られはじめました。如何に現代が新しい資本主義など世間で騒いでみても、そもそものはじまりをよく観ればその顛末は理解できるものです。ジャッジするわけではありませんが、歪みを見つめる必要性を感じます。

実際の経済とは、経世済民のことです。その経世済民を支えるものは、相互扶助であり互譲互助です。つまりは、人は助け合いによって道と徳を為すとき真に富むということです。この時の富むは消費財ではなく、絶対的な生産であり、徳の醸成です。そういうものがないのに経済だけをブラッシュアップしても片手落ちです。

本来、テクノロジーとは何のために産まれるのか。それはお金を増やすためではありません、世の中を調和するためです。だからこそ、どのように調和するかを考えるのが技術まで昇華できる哲学者たちであり、思想を形にする実践者たちです。

私はその調和を志しているからこそ、ブロックチェーンで三浦梅園の生き方を発信していきたいと思っているのです。そこには先人への深い配慮や思いやりが生きています。

先人たちのこれらの叡智、そして知恵は何世代先の子孫のために書き綴られそれは魂と共に今も私たちの中に生きています。少しでも子孫たちの未来が今よりも善くなるように私の人生の使命を果たしていきたいと思います。

剣聖の生き方

生涯無敗の剣聖として有名な、「塚原卜伝」(つかはらぼくでん)がいます。有名な言葉に「戦わずして勝つ」という教えがあります。もともとは、日本の戦国時代の剣士、兵法家で父祖伝来の鹿島神流(鹿島古流・鹿島中古流)に加え、養父祖伝来の天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新當流を開いた人物とされています。

下剋上、裏切り、謀反、暗殺、と生き残るためには手段を選ばない戦国時代に人を殺す剣ではなく、人を活かす剣を貫いた生き方をした剣豪でした。

この無手勝流の奥義、戦わずして勝つというものがどういうことか。それが色々な説話からも残っています。例えば、家督を3人の養子の誰か1人にその家督を譲る際にも「無手勝流」でやりました。ふすまを開けると木枕が落ちる仕掛けで3人を試し、次男と三男は剣を構えて木枕を斬ったが、長男は仕掛けを見抜いて先に木枕を取り除いたので、長男に家督を譲ったとあります。戦いとは戦略ともいい、戦略は戦いを省く知恵ともいいます。戦わないで済む方法を持つ者こそが、真の剣豪であるとしたのかもしれません。

また他にもこういう説話が残っています。これは塚原卜伝に弟子入りを志願した人との対話です。

弟子入りの志願者は「剣術を習いたいので入門を許して下さいませんか。私は一所懸命に修行します。どれくらいで免許皆伝していただけますか」と。それには卜伝は「一所懸命にやれば、5年で免許皆伝になるじゃろうよ」そしてまた「では、寝食を忘れて修行に打ち込めば、何年で免許皆伝になりますか」と尋ねると、卜伝は「寝食を忘れてやれば、10年で免許皆伝になるじゃろうよ」と。さらに「それじゃあ、死に物ぐるいで修行すれば、何年で免許皆伝になりますか」と最後に尋ねると卜伝は「死に物ぐるいでやれば、一生、免許皆伝にならんじゃろうよ」という話です。

通常であれば、必死に頑張れば頑張るほどに早く免許皆伝できるだろうと考えます。特に弟子入りする人は、早く免許皆伝するのはどうすればと考えるものです。そういう気持ちもあって色々と尋ねたのかもしれません。しかし卜伝は、本質で応えます。

「一所懸命で5年、寝食を忘れて修行すれば10年、死にもの狂いは一生無理」という話。これは今でも通じている知恵の一つです。中庸というものは、執着と離れたものです。そして私心が出れば出るほどに悟りは遠ざかるようにも思います。

如何に、私心を離れていくのか、

生涯無敗という意味の奥深さをその生きざまから感じます。塚原卜伝の教えは国に平和をもたらす剣であったといいます。真の剣豪、そして剣聖とはどういうものか。

今の時代も学ぶところばかりです。生き方を学び直し、徳や聖というものの生きざまも磨いていきたいと思います。

徳あるものは永遠に生きる

山本玄峰先生という方がいます。百万遍念仏のことを調べていて知ったのですが、素晴らしい生き方をされ示唆をいただいております。終戦にも深く関わっておられ、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」という言葉に影響を与えた人物としても知られている方です。

多くの政治家をはじめ、リーダーたちを指導して国を導きました。まさにあの頃の国師のような存在です。

この山本玄峰先生は、若い時に失明を宣告され絶望をして死地を求めてあらゆるところを探し回りました。そしてどこでも死にきれず、四国巡礼の道を開いた弘法大師に願をかけ「自分は死にきれずここまで来ました。私が少しでも世の中の役に立つものならば、結縁をおさずけてください。役に立たなければ、早く命を引き取って下さい」とお遍路に最後の希望を懸けました。

そして7回目の巡礼の三十三番目の高知県の雪蹊寺(せっけいじ)の門前でついに行き倒れました。その後、無銭宿泊所の「通夜堂」で、3、4日過ごしついに出家を決意して同寺の太玄和尚に相談します。

「自分は紀州の山奥で育って、目も見えず、読み書きもできませんが、坊さんにしていただけますか」と。

すると太玄和尚は答えます。

「いくら目が見えても、障子一枚向こうは見えない。いくら耳が聞こえても、一丁先の声は聞こえない。目や日が悪くても、心の眼が開けたならば、世界中を見渡し、天地の声を聞くことができる。葬式や法事をする坊さんにはなれなくても、心の眼が開ければ、人天の大導師になることができる。これは誰にでもできることだ。お前でもやればできる」と。

その後は、すべてを手放し出家して修行にあけくれました。その師匠の言葉どおりの人物になり、葬式や法事をするためではなく、真理を開眼するような大導師になったのです。

その山本玄峰先生は、こういう言葉を遺しています。

『力をもって立つものは、力によって亡ぶ。金で立つものは、金に窮して滅び、ただ、徳あるものは永遠に生きる』

何を拠り所にすることが、もっとも生きるのか。死を求め続けて、生きることの真の意味を悟られた先生の法の言葉は深く心に沁みます。

暮らしの中で禅で生きるというのは、暮らしのすべてで徳を積むということだと感じます。実際にはとても難しく、先達の偉業に深く尊敬の念がこみあげます。

今に集中して、暮らしフルネスで徳を実践していきたいと思います。

純善たる伝承

レッジョエミリア教育というものがあります。これは、イタリアのローリス・マラグッツィという人物の思想や実践が一つの形として表現されたものです。

もともとこのレッジョエミリアは、第2次世界大戦後1946年の北イタリアの町の名前です。その街の郊外のヴィラ・チェラという村でガレキの中から復興を志し、幼児教育に力を入れようと熱心な親や町の人々が教育者、専門家と一体になって立ち上げたことがはじまりでした。このチェラでは、戦後に住民たちが戦争で残った石やレンガを使って、幼稚園を建てるためにドイツ兵が残した戦車やトラック、馬などを売って運営資金にしていたといいます。その後の数年間でレッジョ・エミリアでは女性たちを中心にして60にも及ぶ幼稚園が開園・運営されました。

戦争で子どもたちを保育する場所を自分たちの手で母親たちが主体的に復興するのです。そしてようやく1963年にイタリアで最初の公立の幼児学校がこのレッジョ・エミリアで誕生しました。そこから公立の幼児学校はイタリア全土に広まっていきました。

そもそもイタリアは元々昔から地方分権が強い場所でレッジョ・エミリアはファシスト政権に対する「レジスタンス運動」の本拠地で市民たちの自治意識が高い土地だったといいます。

その当時、教師やジャーナリストとして活動していたレッジョエミリア教育の中心となるローリス・マラグッツィは地域の教育活動に尽力していきます。

このローリス・マラグッツィは「100の言葉」という詩を書きその理念や哲学の中心になるものを残しました。そこにはこうあります。

「子どもには 百とおりある。
子どもには 百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界 発明するのに 百の世界 夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある…それからもっともっともっと…

​けれど九十九は奪われる
学校や文化が 頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う 手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい 話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい 愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う 目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う 遊びと仕事 現実と空想 科学と想像 空と大地 道理と夢は 一緒にはならないものだと つまり百なんかないと言う

子どもはいう でも 百はある 」

自分なりの意訳ですが、それぞれの子どもにはそれぞれの子どもの人生がありその人生には正解などなく、それぞれに自分らしい人生があるということのように思います。この時代、いや今の時代も、子どもが真に尊重されているかといえば教育はその真逆で今でも軍隊のように権利を奪われ、画一的に個性をつぶし、あるいは大人の都合で子どもが主体的に自分のままであることを認めないものばかりです。

「子どもは無限の可能性をもち、あらゆる権利を持っている。そして、それは誰にも奪われず、主体として大切にすることが教育のあるべき姿だ。」とローリス・マラグッツィは静かに諭します。

その後、1991年に「ニューズウィーク」誌は、レッジョ・エミリアのすべての市立幼児教育センターと保育園の代表として紹介し園長を務めたディアナ保育園を世界のベスト10校の一つに挙げました。今では、グーグルやディズニーでも採用され世界中に実践が広がっています。

そう考えてみると、日本ではどうでしょうか。

どのような保育こそが、真にその子どもの主体性を保障し、無限の可能性を奪っていないのか。私は自然農法なども行い、暮らしフルネスを実践しますが日本人はいのちとの繋がり、つまりは物も人もすべていのちの顕現したものという意識を持ちます。

本来は、子どもがもっとも世界で仕合せに暮らす国だったように思います。そういう文化の国が西洋からの古臭い教育で色々な歪が出てきました。今一度、本来の日本にある伝統の教育を今に甦生する時機に入っているように思います。

私が実践する暮らしは本来の日本の保育そのものです。それを大人がまず実践することで、子どもたちにその保育を伝承することができます。大人か子どもかではなく、共に生きる、つまり一緒に暮らすことで実現するのです。これは働き方と生き方の一致でもあるし、過去と未来と今の一致でもあります。

いのちの共生、ものも人もすべて繋がっている場をつくりだす。これが日本式の子どもを育てる伝承法である。それを純善たる伝承とも呼ぶのでしょう。

時機が到来していることに仕合せを感じつつ、かんながらの道を真摯に力強く動き出していきたいと思います。