思い出と生き続ける

先日、親友のお通夜を幼馴染と友人と4人で行いました。もともとこのお通夜の起源は、釈迦の弟子たちが釈迦の入滅後の7日間、遺体を見守りながら釈迦が生涯をかけて説いた説法を夜通し互いに聞き合ったという故事だといわれます。

今でも通夜の目的は故人の成仏を祈ることではなく、大夜(たいや)に故人の現世での最後の夜を共に過ごすために集まった親しい人々が、遺体を取り囲んで故人の思い出話を語り合うために行われるものです。そして故人とともに最後の食事を行うという意味で通夜ぶるまいというものも行われきました。

今では単なる形式的で儀式的なものだけになり、家族葬などになると通夜の前に焼香だけをしてあとは帰るというものになりました。本来のお通夜の意味も変わってきています。

この日は、天国に逝く前に大切な親友が家族との食事やお酒を酌み交わすことが大好きなこともあったので私たちでお通夜をやろうと彼のよく飲んでいたお酒を用意し、大好きだった雰囲気と食べ物で夜中まで通夜ぶるまいをして生前のことを語りつくしました。

42年間、私は彼と一緒に生きてきましたが想い出が走馬灯のようにたくさん湧き出てきました。ある時はいのちを助けてもらったことも、そして一緒にいのったことも、またあるいは心を分かち合ったことも、全部思い出しました。湿っぽくはなく、笑い声と楽しかったこと、ふざけていたこと、青春の愉快なシーンばかりで盛り上がりました。

過去の思い出を共有している友だちのありがたさ、こんなに過ぎたことをよく憶えていたものだとお互いに感心しました。懐かしい思い出は、今の自分をつくってくれました。今の自分の中に、一緒に思い出と共に生き続けて成長をしていることを再実感しました。

この先の思い出を勝手に想像していたからこそそこに穴があきますが、その穴を共に友と語り合うことでこの先どのように埋めていこうかという希望も出てきます。気が付くと、親友の願いや祈りが希望になっていることに気づきました。

よかったねとこの先、お互いに感じ続けられるように前を向いて物語の続きを綴りつづけていきたいと思います。唯一無二の親友は、唯一無二の機会を与えてくれました。

これからも大切に思い出を味わい、人生を盡していきます。

ありがとうございます、恩返しはこれからです。

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