イノベーション

世間では新旧世代が入れ替わり続ける。

それは会社もそうだし、ビジネスもそう、人間の創りだした価値はまたそれを壊す新しい価値によって刷新されて新たに創られていく。

古いものと新しいものが入れ替わるのは本当に難しいことだと思う。そこには古いものは、「変われない事情」を持っているし、新しいものは「変わらないといけないという事情」を持っているからだ。

そうなったのは、そうなる事情があったからだ。だからこそ、その事情どちらにも言い文があるように思える。

そして常に古今に照らすと古いものは昔からの関係を引きずり、新しいものを生み出すのを恐れていくようになり、新しいものは古いものからの確執に引きずられ、古いものを壊すのをそ恐れていく。

このように古いカタチで成長したモデルが、まったくそれを受け入れない新しいカタチのモデルよって払拭されていくのを「イノベーション」という。

そうやってイノベーションは日々起きているし、人は誰しもそれが起きるとき、それのどちら側にいるかで隆盛も衰退も紙一重のところで左右される。

たとえば、これを人間の成長に例えてみるとよく分かる。

人間は困難や艱難に出会いどんどん、ぐんぐんと成長する。

そして立派になる人は、その都度そこから深く学び何度も「今までの自分を捨てて」r新しい人に変わっていく。

そしてその変わる理由が、自分のためではなく世界のためだったりするとその新しいものへの変化の値は傍で見ているとすさまじいものがある。

近くにいて感じるのだから遠くから見ると別人にさえなったような感覚にもなる。

世間はその人が変わったことを自分の都合の良いように解釈するけれど本当に身近でその人の理念に一生その人についていくのならよく理解していないといけない。

なぜなら其の人についていくとは、その人が変わったなら迷わずそれにあわせて自分が変わっていくということを求め続けていく必要があるからだ。

つまり自分自身を常に刷新していくということ。
それは最も優先する大事なもののために何度でも自分を捨てるということだ。

そうしないとしがらみや現状の安住に塗れて取り残されてしまい、思った以上に周囲の足を引っ張ったり迷惑をかけてしまうこともある。

理想の実現というのは、イノベーションの連続によって得られるのだと思う。そしてそういう刷新とは、常に変化することを恐れずに突き進むポジティブな創造と勇気、そして決断なのだと思う。

しかしこのイノベーションには落とし穴がある。

人情などもそうだが、人は昔の栄光が捨てられないし、昔の関係を壊したくないと思っている。

そしてそういう関係からくるあらゆる「しがらみ」が変わることを恐れて、それにしがみつきたくなる。手放そうとすればするほど感情のほつれにあう。

今までの関係性を整理してどう新しく刷新するのか、維新するのか。それを思うとき、人は今までを否定しているのではないかという錯覚に陥ってしまう。

そこから抜け出せずにジレンマに巻き込まれると、惰性に流され時間だけが過ぎ去ってしまい周りを巻き込んで負のサイクルへ入り抜け出せなくなる可能性もある。

そうならないようにするには、何をなすべきかを絞り込み、自分にしかできないことで迷いなく常に進化し続ける求道の一直線をどれだけ信念を持って歩むかによるのだと思う。

言いかえればそれは常に進化維新への決断をするということ。変化に対してどう学び続けているかという天道・地理に根ざした一本道、「王道」に照らしたものにしていかないといけないのだと思う。

『湯の盤の銘に曰く、まことに日に新た日々に新たに、又日に新たならんと』(四書大学より)

世の中、変わり続けるのだから絶えず変化創造していく大事さを説いている。

そしてそこから子どもの「今」を思うとき、何を守り、何を捨てていくべきか。

そして子どもの「未来」を思うとき、どう新しい価値で古いものを刷新して子どもたちに良いものを推譲していけるのか。

私はジレンマやしがらみを乗り越えてそれ以上の新しい価値をどう創造していくかをみんなと一緒に考えて提案を続けていきたい。

必ずや古いものも変わり、新しいものも変わり、みんなで変わり続ける優しさと現実の受容を共有して子どもたちの未来環境を創造できるように私自身、迷わず惑わず自分にしかできないことに勇気を持って決断をしていこうと改めて思う。